長編について〔その2〕 [小説の書き方関係]
昨日の続きです。
立場論を具体的に考えていくために、秋山瑞人『猫の地球儀』を立場論から読み解いてみます。
猫の地球儀の主要キャラのひとり(一匹?)に焔(ほむら)がいます。
焔は最強を目指すスパイラルライダーであり、王者を破り、最強の証であるドルゴンになります。
普通に読むと、焔は最強であることを証明するために王者に挑戦します。
これで間違いないのですが、長編を書こうとする場合、焔は”最初から最強という立場にる”としたほうが良いのではないかと。
称号があろうがなかろうが、焔は最強であるがゆえに、王者に挑戦せざるを得ない。
最強であるが故に、一度の敗戦が許せない。雪辱するのが行動基準の最上位になる。そういうことになるのかなあと。
また、もう一匹の主要キャラに幽(かすか)がいます。
幽はスペースコロニーから脱出して地球を目指すスカイウオーカーです。ただ、スカイウオーカーは禁断の存在とされているので、猫目につかないよう隠れて生活します。
立場からすると”逃亡者”です。
キャラ設定的には”スカイウオーカー”なのですが、行動原理としては”逃亡者”ではないかと。
逃亡者であるがゆえに慎重に行動し、焔との関係も、自らの身を守るために利用するにすぎない。そうした立場から見ると、行動が一貫しており、分かりやすい。
分かりやすいということは、書きやすい。
こうなるのかなあと。
おまけにもうひとつ楽(かぐら)も付け加えると”甘える子供”ですかねえ。
こんなことを、ここ何ヶ月か考えていました。
あとは実戦あるのみですが、まず創元社SF短編への応募作で実験してみます。
長編じゃないじゃん! と突っ込まれそうですが、ぼくにとっては十分に長編です。
ということで、その実験結果は随時ブログで報告…・・・できるようになればいいな(汗)
立場論を具体的に考えていくために、秋山瑞人『猫の地球儀』を立場論から読み解いてみます。
猫の地球儀の主要キャラのひとり(一匹?)に焔(ほむら)がいます。
焔は最強を目指すスパイラルライダーであり、王者を破り、最強の証であるドルゴンになります。
普通に読むと、焔は最強であることを証明するために王者に挑戦します。
これで間違いないのですが、長編を書こうとする場合、焔は”最初から最強という立場にる”としたほうが良いのではないかと。
称号があろうがなかろうが、焔は最強であるがゆえに、王者に挑戦せざるを得ない。
最強であるが故に、一度の敗戦が許せない。雪辱するのが行動基準の最上位になる。そういうことになるのかなあと。
また、もう一匹の主要キャラに幽(かすか)がいます。
幽はスペースコロニーから脱出して地球を目指すスカイウオーカーです。ただ、スカイウオーカーは禁断の存在とされているので、猫目につかないよう隠れて生活します。
立場からすると”逃亡者”です。
キャラ設定的には”スカイウオーカー”なのですが、行動原理としては”逃亡者”ではないかと。
逃亡者であるがゆえに慎重に行動し、焔との関係も、自らの身を守るために利用するにすぎない。そうした立場から見ると、行動が一貫しており、分かりやすい。
分かりやすいということは、書きやすい。
こうなるのかなあと。
おまけにもうひとつ楽(かぐら)も付け加えると”甘える子供”ですかねえ。
こんなことを、ここ何ヶ月か考えていました。
あとは実戦あるのみですが、まず創元社SF短編への応募作で実験してみます。
長編じゃないじゃん! と突っ込まれそうですが、ぼくにとっては十分に長編です。
ということで、その実験結果は随時ブログで報告…・・・できるようになればいいな(汗)
長編について〔その1〕 [小説の書き方関係]
新年2日目、ということで、もちろん予約投稿です。
最近の日記は、基本的には予約投稿ということで。いやー、便利ですね。
さて、長編の書き方について、いつも思っていることをちまちまと。
ぼくはショートショートや短編ばかり書いていて、まともな長編を書いたことがありません。
枚数だけなら200枚前後の作品はありますが、小説の呈をなしているかというと、なしていないというか、賞を狙えるレベルには達していない。
長編の書き方についてはいろいろ勉強をしているが、どうも、いまひとつ身にならない。
たとえば、「物語は葛藤である」とか「主人公の成長が大事」とか「キャラ設定を入念に」とか言われても、いまいち抽象的というか、根っからの理系人間であるぼくにはピンとこない。
ぼくは理論的にカチカチっと考えるのが好きで、短編・ショートショートだとこのスタイルがあっている。
いままで長編向きのスタイルに自分を合わせようとしたが、短編向きの理論的スタンスで長編が書けないものか。
年齢を重ねると、どうもガムシャラに突き進む気になれないというか、やはり効率的にできないかと考えるようになる。
それに、社会人、家庭人としての顔を持つようになると、本当に自分の時間が限られてくる。
その限られた時間の中で何かしようと思うと、事前に計画を立てて、無駄を減らしながら進めたいと思うようになる。
まあ、大人になったということですかねえ、いい意味でも、悪い意味でも。
とまあ、こんな観点で、ここ何ヶ月が長編を読んでみた。
そうして思いついたのが、キャラ立場論。
このアイデアが頭に浮かんだのは、ジェフリーアーチャー『誇りと復讐』を読んでいたときです。
いままで翻訳物は苦手でした。理由は単純で、外国人の名前がカタカナだらけ(当たり前ですが)で、頭に入ってこない。
2,3人ならともかく、多人数になるともう誰が誰だかわからなくなる。
けど、ジェフリーアーチャー『誇りと復讐』は違う。
キャラそれぞれの立ち位置がしっかりしていて、極端な話、主語がなくても、行動と会話でだれだか理解できる。
それだけキャラの立場がしっかりしている。
あーなるほど、と思いました。
キャラを立たせるとはこういうことではないか。
主人公と対立者だけでなく、キャラの”立場”を明確にすることで、長編はぐっと作りやすくなるのではないか。
では、この立場論をより具体論にするために、紫仙さんおすすめの秋山瑞人『猫の地球儀』を立場論で読み解いてみます。
ということで、明日に続く・・・・・・。
最近の日記は、基本的には予約投稿ということで。いやー、便利ですね。
さて、長編の書き方について、いつも思っていることをちまちまと。
ぼくはショートショートや短編ばかり書いていて、まともな長編を書いたことがありません。
枚数だけなら200枚前後の作品はありますが、小説の呈をなしているかというと、なしていないというか、賞を狙えるレベルには達していない。
長編の書き方についてはいろいろ勉強をしているが、どうも、いまひとつ身にならない。
たとえば、「物語は葛藤である」とか「主人公の成長が大事」とか「キャラ設定を入念に」とか言われても、いまいち抽象的というか、根っからの理系人間であるぼくにはピンとこない。
ぼくは理論的にカチカチっと考えるのが好きで、短編・ショートショートだとこのスタイルがあっている。
いままで長編向きのスタイルに自分を合わせようとしたが、短編向きの理論的スタンスで長編が書けないものか。
年齢を重ねると、どうもガムシャラに突き進む気になれないというか、やはり効率的にできないかと考えるようになる。
それに、社会人、家庭人としての顔を持つようになると、本当に自分の時間が限られてくる。
その限られた時間の中で何かしようと思うと、事前に計画を立てて、無駄を減らしながら進めたいと思うようになる。
まあ、大人になったということですかねえ、いい意味でも、悪い意味でも。
とまあ、こんな観点で、ここ何ヶ月が長編を読んでみた。
そうして思いついたのが、キャラ立場論。
このアイデアが頭に浮かんだのは、ジェフリーアーチャー『誇りと復讐』を読んでいたときです。
いままで翻訳物は苦手でした。理由は単純で、外国人の名前がカタカナだらけ(当たり前ですが)で、頭に入ってこない。
2,3人ならともかく、多人数になるともう誰が誰だかわからなくなる。
けど、ジェフリーアーチャー『誇りと復讐』は違う。
キャラそれぞれの立ち位置がしっかりしていて、極端な話、主語がなくても、行動と会話でだれだか理解できる。
それだけキャラの立場がしっかりしている。
あーなるほど、と思いました。
キャラを立たせるとはこういうことではないか。
主人公と対立者だけでなく、キャラの”立場”を明確にすることで、長編はぐっと作りやすくなるのではないか。
では、この立場論をより具体論にするために、紫仙さんおすすめの秋山瑞人『猫の地球儀』を立場論で読み解いてみます。
ということで、明日に続く・・・・・・。
小説講座の記憶その3(描写について) [小説の書き方関係]
ぼくが過去に受講した小説講座について、いまだから思うことを付け加えながらエッセー風に紹介する第3弾です。
過去の記事はこちらから。
小説講座の記憶その1(自作を客観的に見るには)
http://takeaction.blog.so-net.ne.jp/2012-12-09-3
小説講座の記憶その2(冒頭の書き方)
http://takeaction.blog.so-net.ne.jp/2012-12-13
※たまに書き直しています。
まだ講座2ヶ月目です。
描写についての説明がでてきました。
そこで、お手本として示されたのが以下の文章です。
「シャンテ・シネで映画を見た後、日比谷シャンテの一階の奥にある喫茶店でビールを飲んでいたら、路地に面したガラス窓越しの、レンガに囲まれた小さな緑地を猫がゆっくりと歩いて横切っていった」
テキストではこの描写はビールの金色を始めとする様々な色彩を登場させているところが優れているそうです。
それはそれで一つの見方ですが、別の見方もあるのではないかと。
これまた昔の話ですが、某作家のメルマガを購読していました。
そのメルマガに描写についての説明がでてきて、某作家が投稿してきたアマチュアの文章に指摘していたのは、「体感がない」ということです。
例文となったのは雪山の描写でしたが、「視覚から入る風景はふんだんに盛り込まれているのに、足元の寒さとか、風の強さなど、他の感覚がすっぽりと抜け落ちている。これでは読者は追体験できない」というのが指摘の主旨です。
この五感を活かした描写については、ぼくが絶えず意識している重要なポイントだと思っています。
さて、某作家の指摘を元にお手本を読み返すと、色彩だけでなく、ビールという体感を呼び起こす小道具が使われていることに気がつきます。おそらく、これは「黄色」を使うのが主眼ではなく、ひんやりとした「触覚」、苦味という「味覚」など、むしろ読者の五感を刺激することを意識しているのではないかと思います。
描写についてさらに追記。
描写で重要なのは、これはテキストに限らずどの本にも書いてあることですが、「具体的に書く」ことです。例えばこんな感じです。
「彼が悪い人だ」
↓(どう悪いのか具体的に)
「彼は泥棒だ」
↓(どのような泥棒なのか具体的に)
「彼はスリだ」
↓(どのようなスリなのか具体的に)
「気がつくと、彼の右手には私の一万円札が握られていた」
下にいけばいくほど、具体的になっているのがお分かりいただければと思います。
ということで、その4に続く……。
過去の記事はこちらから。
小説講座の記憶その1(自作を客観的に見るには)
http://takeaction.blog.so-net.ne.jp/2012-12-09-3
小説講座の記憶その2(冒頭の書き方)
http://takeaction.blog.so-net.ne.jp/2012-12-13
※たまに書き直しています。
まだ講座2ヶ月目です。
描写についての説明がでてきました。
そこで、お手本として示されたのが以下の文章です。
「シャンテ・シネで映画を見た後、日比谷シャンテの一階の奥にある喫茶店でビールを飲んでいたら、路地に面したガラス窓越しの、レンガに囲まれた小さな緑地を猫がゆっくりと歩いて横切っていった」
テキストではこの描写はビールの金色を始めとする様々な色彩を登場させているところが優れているそうです。
それはそれで一つの見方ですが、別の見方もあるのではないかと。
これまた昔の話ですが、某作家のメルマガを購読していました。
そのメルマガに描写についての説明がでてきて、某作家が投稿してきたアマチュアの文章に指摘していたのは、「体感がない」ということです。
例文となったのは雪山の描写でしたが、「視覚から入る風景はふんだんに盛り込まれているのに、足元の寒さとか、風の強さなど、他の感覚がすっぽりと抜け落ちている。これでは読者は追体験できない」というのが指摘の主旨です。
この五感を活かした描写については、ぼくが絶えず意識している重要なポイントだと思っています。
さて、某作家の指摘を元にお手本を読み返すと、色彩だけでなく、ビールという体感を呼び起こす小道具が使われていることに気がつきます。おそらく、これは「黄色」を使うのが主眼ではなく、ひんやりとした「触覚」、苦味という「味覚」など、むしろ読者の五感を刺激することを意識しているのではないかと思います。
描写についてさらに追記。
描写で重要なのは、これはテキストに限らずどの本にも書いてあることですが、「具体的に書く」ことです。例えばこんな感じです。
「彼が悪い人だ」
↓(どう悪いのか具体的に)
「彼は泥棒だ」
↓(どのような泥棒なのか具体的に)
「彼はスリだ」
↓(どのようなスリなのか具体的に)
「気がつくと、彼の右手には私の一万円札が握られていた」
下にいけばいくほど、具体的になっているのがお分かりいただければと思います。
ということで、その4に続く……。
テリー・ビッスンによるSF短編小説60のルール [小説の書き方関係]
こんなのがあるみたいです。
SFマガジン・リーダーズストーリでの入選を目指すにはぴったりかもしれません。
【テリー・ビッスンによるSF短編小説60のルール】
http://togetter.com/li/430872
ちなみに、テリー・ビッスンによるルールを知ったのは、川越敏司さんのツィッターからです。
川越さんサンクスです。
【川越敏司さんのツィッター】
https://twitter.com/ToshijiKawagoe
さて、この60のレッスンを全部読むのは大変なので、この中でぼくが重要だと思った項目を並べておきます。
1. 短さを保て。一気に読めるし、またそうあるべきだ。これが最初のルール。
4.並外れたアイデアほど普通の言葉を使うように。実験的手法は日常の出来事に使え。ジェイムズ・ジョイスもヴァージニア・ウルフもこれを理解していた。
10.アイデアが奇妙なほど、その世界をリアルに見せる必要がある。
30.磨け。読み返されるという点で、短編小説は詩と似ている。本当に良い短編小説は何度も読まれる。注意せよ。
50.キャラクタの描写は適当に。君のキャラクターがどのように見えるか誰も気にしない。単に区別できればよいのだ。
58.批評するな。ドライでアカデミックな読書スタイルがベストだ。君がジョン・クロウリーやゲイハン・ウィルソンでな限り。
アマチュアの立場からいうと、最も注意しなくてはならないのは4だと思います。
ネットで公開されている作品を読むと、言葉で盛り上げよう、言葉で個性を出そうとする方が多いように感じています。
普通の言葉で書く、ということは、物語の力、描写の的確さで読者を引き込まなくてはならないということです。
このことを心がけるだけで、文章力は格段に変わってくるのかなと。
他にも興味深いルールが多いので、メルマガでも何かの機会に取り上げたいと思います。
ちなみにメルマガ登録はこちらから。
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
SFマガジン・リーダーズストーリでの入選を目指すにはぴったりかもしれません。
【テリー・ビッスンによるSF短編小説60のルール】
http://togetter.com/li/430872
ちなみに、テリー・ビッスンによるルールを知ったのは、川越敏司さんのツィッターからです。
川越さんサンクスです。
【川越敏司さんのツィッター】
https://twitter.com/ToshijiKawagoe
さて、この60のレッスンを全部読むのは大変なので、この中でぼくが重要だと思った項目を並べておきます。
1. 短さを保て。一気に読めるし、またそうあるべきだ。これが最初のルール。
4.並外れたアイデアほど普通の言葉を使うように。実験的手法は日常の出来事に使え。ジェイムズ・ジョイスもヴァージニア・ウルフもこれを理解していた。
10.アイデアが奇妙なほど、その世界をリアルに見せる必要がある。
30.磨け。読み返されるという点で、短編小説は詩と似ている。本当に良い短編小説は何度も読まれる。注意せよ。
50.キャラクタの描写は適当に。君のキャラクターがどのように見えるか誰も気にしない。単に区別できればよいのだ。
58.批評するな。ドライでアカデミックな読書スタイルがベストだ。君がジョン・クロウリーやゲイハン・ウィルソンでな限り。
アマチュアの立場からいうと、最も注意しなくてはならないのは4だと思います。
ネットで公開されている作品を読むと、言葉で盛り上げよう、言葉で個性を出そうとする方が多いように感じています。
普通の言葉で書く、ということは、物語の力、描写の的確さで読者を引き込まなくてはならないということです。
このことを心がけるだけで、文章力は格段に変わってくるのかなと。
他にも興味深いルールが多いので、メルマガでも何かの機会に取り上げたいと思います。
ちなみにメルマガ登録はこちらから。
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
小説講座の記憶その2(冒頭の書き方) [小説の書き方関係]
その1の続きです。
テキストを読み進めていくと、冒頭をどう書くかがテーマになっている箇所があった。
どうやら「冒頭でどのような作品なのか伝える」のかが大事らしい。
純文学系をターゲットにしたテキストなので、最初に例としてでてきたのは風景描写だ。いかにも純文学が始まりますと思わせる書き出しになっている。
確かに、ぼくが「このひとの文章は上手いなあ」と思う作家は、冒頭に風景描写を持ってくることが多いような気がする。また「物語に関する情報をさり気なく入れる」ということも紹介されています。これも当然ですね。
また、別の手法として「読者に疑問を持たせる」というのが紹介されており、具体例として読者にとって意味不明な言葉を使って違和感を持たせた文章が紹介されていた。
しかし、これはさすがにNGでしょう。読者が疑問を持つ前に、「なんだこりゃ」と投げ出されます。
とっつきにくいSFを読んだときも、こんな感じになります。
一般的でない言葉を羅列するのは、読者に「こんなことも分からないの~」と居丈高になっているようで、貴重な時間を潰して自作を読んでいただいているという感謝の念が欠けているように思います。
「読者に疑問を持たせる」こと自体は重要なんだけども、方向性が間違っていないかと。
言葉ではなくて、内容で疑問……つまり謎を持たせるべきではないかと。
ここからは掌編限定の話。
ぼくが冒頭について意識しているのは、さり気なく舞台や主人公の年齢性別が分かるように描写するだけでなく、その中に物語のキーを入れることです。あくまで描写なんですけど、押し付けがましくない程度に情報を盛り込んでおく。
そのためには、読者に提供する情報を厳選する必要があるんですけどね。この厳選という作業が大事なのかも。
冒頭で上手いなあと思うのが、これ。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi3m-tkuc/ss.html
プロになられた方だけに物が違います。
描写が描写で終わっていないところが、とてもいいです。
舞台を表現するだけでなく、物語の主題を提示しています。すらすらと読めて、次の「ただひとつ……」と主題に対する謎をちらつかされると、これはもう、続きがきになって物語に引き込まれざるを得ない。そして、最後もきっちりと主題が回収される。
いやあ、感服です。
こんな調子で書いていって、講座の復習になっているのかな?
ただ、やはり何かで勉強を続けないと、慣れた手法を漫然と繰り返すだけになってしまうので、こうしたテキストを読み返して「風景描写で始まる冒頭の重要性」を再認識しただけでも良かったのかも。
また、時間の有るときに続きを書きます。
テキストを読み進めていくと、冒頭をどう書くかがテーマになっている箇所があった。
どうやら「冒頭でどのような作品なのか伝える」のかが大事らしい。
純文学系をターゲットにしたテキストなので、最初に例としてでてきたのは風景描写だ。いかにも純文学が始まりますと思わせる書き出しになっている。
確かに、ぼくが「このひとの文章は上手いなあ」と思う作家は、冒頭に風景描写を持ってくることが多いような気がする。また「物語に関する情報をさり気なく入れる」ということも紹介されています。これも当然ですね。
また、別の手法として「読者に疑問を持たせる」というのが紹介されており、具体例として読者にとって意味不明な言葉を使って違和感を持たせた文章が紹介されていた。
しかし、これはさすがにNGでしょう。読者が疑問を持つ前に、「なんだこりゃ」と投げ出されます。
とっつきにくいSFを読んだときも、こんな感じになります。
一般的でない言葉を羅列するのは、読者に「こんなことも分からないの~」と居丈高になっているようで、貴重な時間を潰して自作を読んでいただいているという感謝の念が欠けているように思います。
「読者に疑問を持たせる」こと自体は重要なんだけども、方向性が間違っていないかと。
言葉ではなくて、内容で疑問……つまり謎を持たせるべきではないかと。
ここからは掌編限定の話。
ぼくが冒頭について意識しているのは、さり気なく舞台や主人公の年齢性別が分かるように描写するだけでなく、その中に物語のキーを入れることです。あくまで描写なんですけど、押し付けがましくない程度に情報を盛り込んでおく。
そのためには、読者に提供する情報を厳選する必要があるんですけどね。この厳選という作業が大事なのかも。
冒頭で上手いなあと思うのが、これ。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi3m-tkuc/ss.html
プロになられた方だけに物が違います。
描写が描写で終わっていないところが、とてもいいです。
舞台を表現するだけでなく、物語の主題を提示しています。すらすらと読めて、次の「ただひとつ……」と主題に対する謎をちらつかされると、これはもう、続きがきになって物語に引き込まれざるを得ない。そして、最後もきっちりと主題が回収される。
いやあ、感服です。
こんな調子で書いていって、講座の復習になっているのかな?
ただ、やはり何かで勉強を続けないと、慣れた手法を漫然と繰り返すだけになってしまうので、こうしたテキストを読み返して「風景描写で始まる冒頭の重要性」を再認識しただけでも良かったのかも。
また、時間の有るときに続きを書きます。
小説講座の記憶その1(自作を客観的に見るには) [小説の書き方関係]
ぼくが掌編を書き始めたころ、通信の小説講座を受講したころがあります。
で、感想ですが、当時はまったく役に立ちませんでした。
しかし、ものごとを教わるには、教師と生徒のレベルに合致してないといけません。
対面だと教師がレベルを合わせてくれるのですが、通信だとそれも期待できません。
なので、当時は役に立たなくても、いまなら役に立つのかもしれない。
ということで、いまさらながら講座の復習をしてみることにしました。
テキストを読んでいくと、第1回目にこんなことが書いてある。
「読者の立場にたって書くこと」
言われるまでもなく当たり前じゃないか、ということで当時はそれで流していました。
けど、実際問題として、自作を読者の立場に置き、客観的に眺めるのは難しいです。
ではどうすればいいのか、という具体論についてはテキストは黙り込んだまま。
そこから先は自分で考えろということでしょう。
確かに、手法は人それぞれではあるのですが、具体的なハウツーを求めていた当時のぼくが「役に立たない」と感じたのも当たり前かも。
実は、「どうすれば自作を客観的に見ることができるのか」という質問はよく受けます。
それらに対するぼくの答えはこれです。
「別の作品を書いてから、見直す」
いろいろ試して、結果として、これが最大のオススメです。
なぜ別の作品を書いてからなのかというと、頭をリセットするためです。
以前は「少し時間を置いて……」と答えていましたが、これだと、時間を置いてもやはり自分の作品が気になって、頭が一向にリセットされない場合があります。
ところが、別の作品を書くとなると、これはもう、その作品に集中せざるをえないので、頭が完全にリセットされます。
書いているうちに、ぼくが受講してきた小説講座の話なのか、自分流の創作術なのか分からなくなってきました。
なにはともあれ、自分を見つめなおす機会になるかもしれないので、ときおり復習しつつ、みなさんのお役に立てるような話ができればと思います。
続くかどうかは謎ということで(笑)
で、感想ですが、当時はまったく役に立ちませんでした。
しかし、ものごとを教わるには、教師と生徒のレベルに合致してないといけません。
対面だと教師がレベルを合わせてくれるのですが、通信だとそれも期待できません。
なので、当時は役に立たなくても、いまなら役に立つのかもしれない。
ということで、いまさらながら講座の復習をしてみることにしました。
テキストを読んでいくと、第1回目にこんなことが書いてある。
「読者の立場にたって書くこと」
言われるまでもなく当たり前じゃないか、ということで当時はそれで流していました。
けど、実際問題として、自作を読者の立場に置き、客観的に眺めるのは難しいです。
ではどうすればいいのか、という具体論についてはテキストは黙り込んだまま。
そこから先は自分で考えろということでしょう。
確かに、手法は人それぞれではあるのですが、具体的なハウツーを求めていた当時のぼくが「役に立たない」と感じたのも当たり前かも。
実は、「どうすれば自作を客観的に見ることができるのか」という質問はよく受けます。
それらに対するぼくの答えはこれです。
「別の作品を書いてから、見直す」
いろいろ試して、結果として、これが最大のオススメです。
なぜ別の作品を書いてからなのかというと、頭をリセットするためです。
以前は「少し時間を置いて……」と答えていましたが、これだと、時間を置いてもやはり自分の作品が気になって、頭が一向にリセットされない場合があります。
ところが、別の作品を書くとなると、これはもう、その作品に集中せざるをえないので、頭が完全にリセットされます。
書いているうちに、ぼくが受講してきた小説講座の話なのか、自分流の創作術なのか分からなくなってきました。
なにはともあれ、自分を見つめなおす機会になるかもしれないので、ときおり復習しつつ、みなさんのお役に立てるような話ができればと思います。
続くかどうかは謎ということで(笑)