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【掌編】齊藤想『深夜の蝶』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房第57回に応募した作品です。
テーマは「蝶」です。

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齊藤 想 『深夜の蝶』

 中年の後半に差し掛かった由佳の目覚めは、いつも夕方だ。古びたアパートの隅で、今日も関節の節々が痛む身体を何とかして起こす。腕を伸ばし、照明のスイッチを入れると、情けないほど弱々しい豆電球がひとつだけ灯る。
 光量過剰な蛍光灯ははるか昔に外してしまった。光と太陽は由佳の敵で、憎しみの対象だった。この世から無くなってしまえばよいと、いつも呪っていた。
 由佳の仕事はスナックの接客だ。
 老いた肌を直視するのは絶えられない。室内は絶えず薄暗くし、出勤前にはどうらんのようにファンデーションを塗りたくる。
 自分でも、夜の蝶に過ぎないことがわかっている。何度かお客と肌を重ねたことがあるが、朝になるとみんな化け物を見たかのように逃げ出した。
 分かっている。自分でも理解している。それでも、やっぱり傷つく。
 女心は何歳になっても変わらない。
 最近、とてもよいお客が出来た。同年代で、いわゆる働き盛りの年齢だ。勤め先も配偶者の有無もまったく分からない。いつも駄洒落ばかり飛ばしてくる。
「おう、ミサカちゃん」と由佳のことを気軽に呼んでくれる。由佳の源氏名は「ミカサ」だ。イケメンではないが、とても誠実そうで、だからこそ様々なトラブルを一人で抱えてしまうタイプだ。
 彼は月に一回ペースで来店しては、一時間ほど他愛のない雑談をして帰る。本当は仕事で疲れている彼を癒さなければならないのに、逆に由佳の悩みを聞いてもらい、いつも彼から癒しをもらっていた。
 今日もしわがひとつ増えた。そんな愚痴を、彼に聞かせていたときだ。彼は「しわ(四八)三十二」などと下らない駄洒落を飛ばしながら、なにげない口調でつぶやいた。
「ミサカは夜の蝶ではなく、深夜の蝶になるべきだな」
 彼は少し酔っていた。由佳は沈黙した。
 その意味は分かる。暗闇なら「自分は蝶だ」という幻想に浸っていられるが、昼間になると「自分は蛾である」ことが白日の元に晒されてしまう。
 夜ではなく深夜、その言葉に、「君は一生暗闇で生活しなさい」と突きつけられた気がする。由佳は表面上こそ明るくふるまったが、優しい彼からの言葉だけに、いままで以上に傷ついた。おそらく表情も固くなっていただろう。彼は気まずそうにしていた。
 スナックを辞めたくなったが、生きるためには続けなくてはならない。手に何の技術も無い中年女性の勤め先など限られる。死ぬにはまだ早すぎる。

 彼が再来店したのは二ヵ月後だった。もう来ないものだと思って半分は安心し、半分は寂しさに襲われていた。
 いつものように他愛のない会話をはじめたが、ぎこちなさは否めなかった。一度崩れてしまった関係は戻せない。何度も裏切られ、夜の蝶と蔑まれ、すでに数え切れないほど経験したはずなのに、なぜ彼に希望を持ってしまったのだろう。客と店員という関係でしかないと分かっていたはずなのに。
 気まずい時間が三十分ほど過ぎたあと、「この前は驚かせてごめんね」と彼は急に謝ってきた。
「田中さんらしくもない、どうしちゃったのよ」
 由佳は営業用のスマイルを返す。深夜だからこそ通用する笑顔だ。
「そんな怖い顔をしないでくれよ。少し説明が足りなかった。実は、自分の本名は伸哉と言うんだ。それと、まだ独身」
「シンヤさん?」
「そうシンヤ。ミサカさんにお願いだけど、夜の蝶ではなくて、ぼくだけの蝶、つまりシンヤの蝶にならないか」
 由佳は笑い飛ばした。
「夜でこそ蝶でいられますが、昼間は汚い蛾です。みんな、昼間の顔を見て逃げ出します。気を持たせることを言わないでください。こう見えても、優しくされると傷つきますから」
「もし昼間のミサカさんが蛾なら、ぼくの昼間はラフレシアだな」
 由佳は思わず噴き出した。ラフレシアとは世界で最も臭い花と言われている。よくよく考えると、お互いに昼間の顔は知らないのだ。
 由佳は自分がとてもちっぽけな存在のように感じてきた。
「私の本名はユカと言います」
 それだけで彼には通じた。長いこと忘れていたが、心が通じ合う気持ちよさを久しぶりに味わった。
 もう少しだけ生きてみよう、そう由佳は思った。

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コメント 2

ネオ・アッキー

明けましておめでとう御座います。
昨年はお世話になり、心よりお礼申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
by ネオ・アッキー (2020-01-03 08:30) 

サイトー

>ネオ・アッキーさん
あけましておめでとうございます。
こちらこを本年もよろしくお願いいたします。
by サイトー (2020-01-03 09:52) 

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