【SS】齊藤想『父と猫耳とレオタード』 [自作ショートショート]
第14回小説でもどうぞに応募した作品その2です。
テーマは「あの日」でした。
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『父と猫耳とレオタード』 齊藤 想
大学受験を控えた高校三年の秋に、博嗣は父の秘密を見てしまった。
電気系統のトラブルで高校が臨時休校となり、不意に帰宅すると、父の書斎からアニメ主題歌のような音楽が流れている。
父はベテラン社会保険労務士として出勤中だ。音楽の消し忘れだろう。父にもこんな趣味があったのか。そう思いながら書斎のドアを開けると、なぜかそこに、猫耳とレオタードを装着して、ノリノリで踊っている父の姿があった。
「みんな元気! いつも元気な向日葵アイちゃんだよ!」
父は高校野球で鍛えた野性味あふれる声で、カメラに向かって呼びかける。
向日葵アイのこと博嗣も知っている。それどころか、新規動画がアップされるたびになけなしのバイト代を投げ銭してきた熱烈なファンだ。
その向日葵アイの正体が、五十代バツイチのわが父だなんて。
父の書斎では、筋骨隆々で、男性ホルモン過剰な父が、仁王像のような相貌で踊っている。ところが、パソコンを通しただけで、モニターではアニメ顔・アニメ声の超絶美少女が楽しそうに笑顔を振りまいている。
現代技術は恐ろしい。
ふと画面を見ると、向日葵アイの背後に、もうひとりの美少女が立っている。油断して、博嗣もカメラに入ってしまったらしい。
慌てて下がる前に、異変を察知した父が鬼のような形相で振り返った。だが、すぐに営業用スマイルで向き直る。
「あ、ごめんね。妹の向日葵ユメちゃんが画面に入っちゃった。配信中はダメだよと言っているのにね。テへ」
なにがテへだが。
博嗣は、そっと書斎の扉を閉めた。
父と昼食をとるのは何年振りだろうか。父は慣れた手つきでスパゲッティーをゆでると、ホイールトマトとひき肉でお手製のミートソースを作ってくれた。
仕上げにパルメザンチーズとハーブも添えられている。
いつもは店屋物で済ませている父の意外な姿に困惑していたが、しばらくするとまじめな顔で博嗣に語り掛けてきた。
「見られてしまったのなら仕方がない。実はな……」
父はスパゲッティーを丸めていたフォークを休めた。
「半年前に会社をやめて、独立したんだ。いわば、ユーチューバー系社会保険労務士といったところかな」
博嗣は困惑の表情を浮かべた。”ユーチューバー系保険労務士”というワードが理解できない。だいたい、猫耳とレオタードを装着して踊っている社会保険労務士が存在していいものだろうか。
「博嗣が怪訝な顔をするの分かる。だが、いまはテレワークが浸透し、自宅にいながら仕事ができる時代なんだ」
動画配信がテレワーク……まあ、それはいいとして、そもそもオヤジが働いてきたのは身内で固めた親族会社だ。なぜ、オヤジだけ独立したのだろうか。
「親戚だからこそ、自ら身を引かなければならないことがある」
だから社内は全員親戚だって。ようするにクビになったのね。
「いままで黙っていて悪かったが、博嗣に告白しなければならないことがある」
父はやっと本題に入るらしい。博嗣は背筋を伸ばした。
「苦し紛れに博嗣のことを妹と紹介したら大好評でなあ。次回配信時に共演することが決まった。おめでとう」
博嗣は椅子から転がり落ちそうになった。話の方向性が絶対に違う。
しかも、父は「博嗣がこの仕事を継ぐまで、チャンネルを守り続けてみせる」と妙な決意までしてきた。
老舗商店ではあるまいし。
少しの沈黙があった。父は食後のコーヒーをひとくち含むと、博嗣に聞こえるようにつぶやいた。
「大学進学にはお金がかかるよなあ」
このひとことで、博嗣は陥落した。
「こんにちわ。向日葵ユメちゃんだよ。みんな元気、ヒューヒュー」
これは一時期の迷いだ。大学を卒業して就職するまでの辛抱だ。社会人になったら過去は封印して、消し去ればいい。
画面越しに、多くのファンが博嗣のことを見つめている。投げ銭がたまっていく。
しかし、社会人になったとき、この快感を忘れられるのだろうか。
博嗣には、その自信がなかった。
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テーマは「あの日」でした。
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『父と猫耳とレオタード』 齊藤 想
大学受験を控えた高校三年の秋に、博嗣は父の秘密を見てしまった。
電気系統のトラブルで高校が臨時休校となり、不意に帰宅すると、父の書斎からアニメ主題歌のような音楽が流れている。
父はベテラン社会保険労務士として出勤中だ。音楽の消し忘れだろう。父にもこんな趣味があったのか。そう思いながら書斎のドアを開けると、なぜかそこに、猫耳とレオタードを装着して、ノリノリで踊っている父の姿があった。
「みんな元気! いつも元気な向日葵アイちゃんだよ!」
父は高校野球で鍛えた野性味あふれる声で、カメラに向かって呼びかける。
向日葵アイのこと博嗣も知っている。それどころか、新規動画がアップされるたびになけなしのバイト代を投げ銭してきた熱烈なファンだ。
その向日葵アイの正体が、五十代バツイチのわが父だなんて。
父の書斎では、筋骨隆々で、男性ホルモン過剰な父が、仁王像のような相貌で踊っている。ところが、パソコンを通しただけで、モニターではアニメ顔・アニメ声の超絶美少女が楽しそうに笑顔を振りまいている。
現代技術は恐ろしい。
ふと画面を見ると、向日葵アイの背後に、もうひとりの美少女が立っている。油断して、博嗣もカメラに入ってしまったらしい。
慌てて下がる前に、異変を察知した父が鬼のような形相で振り返った。だが、すぐに営業用スマイルで向き直る。
「あ、ごめんね。妹の向日葵ユメちゃんが画面に入っちゃった。配信中はダメだよと言っているのにね。テへ」
なにがテへだが。
博嗣は、そっと書斎の扉を閉めた。
父と昼食をとるのは何年振りだろうか。父は慣れた手つきでスパゲッティーをゆでると、ホイールトマトとひき肉でお手製のミートソースを作ってくれた。
仕上げにパルメザンチーズとハーブも添えられている。
いつもは店屋物で済ませている父の意外な姿に困惑していたが、しばらくするとまじめな顔で博嗣に語り掛けてきた。
「見られてしまったのなら仕方がない。実はな……」
父はスパゲッティーを丸めていたフォークを休めた。
「半年前に会社をやめて、独立したんだ。いわば、ユーチューバー系社会保険労務士といったところかな」
博嗣は困惑の表情を浮かべた。”ユーチューバー系保険労務士”というワードが理解できない。だいたい、猫耳とレオタードを装着して踊っている社会保険労務士が存在していいものだろうか。
「博嗣が怪訝な顔をするの分かる。だが、いまはテレワークが浸透し、自宅にいながら仕事ができる時代なんだ」
動画配信がテレワーク……まあ、それはいいとして、そもそもオヤジが働いてきたのは身内で固めた親族会社だ。なぜ、オヤジだけ独立したのだろうか。
「親戚だからこそ、自ら身を引かなければならないことがある」
だから社内は全員親戚だって。ようするにクビになったのね。
「いままで黙っていて悪かったが、博嗣に告白しなければならないことがある」
父はやっと本題に入るらしい。博嗣は背筋を伸ばした。
「苦し紛れに博嗣のことを妹と紹介したら大好評でなあ。次回配信時に共演することが決まった。おめでとう」
博嗣は椅子から転がり落ちそうになった。話の方向性が絶対に違う。
しかも、父は「博嗣がこの仕事を継ぐまで、チャンネルを守り続けてみせる」と妙な決意までしてきた。
老舗商店ではあるまいし。
少しの沈黙があった。父は食後のコーヒーをひとくち含むと、博嗣に聞こえるようにつぶやいた。
「大学進学にはお金がかかるよなあ」
このひとことで、博嗣は陥落した。
「こんにちわ。向日葵ユメちゃんだよ。みんな元気、ヒューヒュー」
これは一時期の迷いだ。大学を卒業して就職するまでの辛抱だ。社会人になったら過去は封印して、消し去ればいい。
画面越しに、多くのファンが博嗣のことを見つめている。投げ銭がたまっていく。
しかし、社会人になったとき、この快感を忘れられるのだろうか。
博嗣には、その自信がなかった。
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