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第60期王位戦第6局(豊島将之王位VS木村一基九段) [将棋]

豊島王位の3勝2敗で迎えた第6局です。

【王位戦中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/oui/

木村九段には矢倉の著書が複数ありますが、個人的に一番だと思うのが『木村一基の初級者でもわかる受けの基本』です。
「千駄ヶ谷の受け士」の異名をとる木村九段らしい本です。
内容はというと、アマチュアが苦手な先受けの大切さが説かれています。
一手早く受けることで、受け手の選択肢が増えるというのです。
文章も平易で読みやすく、人柄がよくでている良著だと思います。
これから将棋を強くなりたい中級者にオススメですので、ぜひとも目を通してみてください。
将棋の本というと、どうしても作戦の詳解が中心になりがちです。
こうした将棋の基本から一歩進んだ本こそ、アマチュアにとって重要だと思うのですが、どうでしょうか。

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/60/oui201909090101.html

ということで、将棋です。
角番に追い込まれた木村九段ですが、エース戦法の相掛かりを採用します。
局面が大きく動いたのは35手目です。木村九段は普通は銀を上がる3三に金を力強く持ち上げます。
豊島王位は2時間30分を超える長考に沈み、7六歩と木村九段の構想を真っ向から否定しにかかります。
飛車損ながら急所にと金ができて互角の形勢でしたが、コンピューターによると50手目からの構想にやや問題があったようです。
桂馬を取り馬を作りますが、急所のと金を払われ、駒を逃がしながら後手玉の周辺に集められると、駒損だけが響きます。
その後も木村九段は豊島王位の攻めを根こそぎ奪い、最後は先手の攻めの速度を見切っての反撃に出ます。
攻防ともに見込みがないと判断した豊島王位は、119手まで投了しました。
これで3勝3敗となり、タイトルの行方は最終決戦にもちこまれました。

第7局は9月25・26日(水・木)、東京都千代田区「都市センターホテル」で行われます!
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第9期リコー杯女流王座挑戦者決定戦(西山朋佳女王VS伊藤沙恵女流二段) [将棋]

順当に実力者が勝ちあがってきました。

【中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/joryu_ouza/

西山女王は本戦で清水市代、藤井奈々、加藤桃子を破っての決勝戦です。特に加藤女流三段との戦いは圧巻で、かつてのライバルを置き去りにした感があります。
伊藤女流二段は室田伊織、渡部愛、岩根忍を破っています。
この岩根戦はかなり薄氷の勝利で、優勢から一手ぱったりの敗勢に陥り、最後は岩根女流三段が詰まし損なって首の皮一枚繋がりました。
いろいろありましたが、結果を残してきています。
両者の対戦ですが、西山4勝-1勝伊藤とまだ5戦しかしていません。霧島酒造杯女流王将戦の挑戦者決定戦も対戦し、その結果は西山女王の貫録勝ちでした。
これから回数を増やせるどうかは、お互いの頑張り次第です。
ここで西山女王が勝つと対戦成績がやや開くので、先々のことを考えると伊藤女流二段としてはひとつ押し返したいところです。
さあ、6回目の対戦はどうなるでしょうか!

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/joryu_ouza/kifu/9/joryu_ouza201909090101.html

ということで、将棋です。
対戦成績で推されている伊藤沙女流二段は、定跡形では分が悪いとみたのか角交換から筋違いに打ち、乱戦に持ち込みます。
伊藤沙女流ニ段の準備の作戦かと思ったのですが、4手目3二飛車を見てとっさの判断だったようです。
西山女王は練習済みの局面で、経験値的には上回っていました。
その後も曲線的な手順が続くのですが、56手目当たりまで経験があったとのことで驚きです。
手探りで進める伊藤沙女流ニ段は時間を削られつつも、苦労の多い局面ながら評価値的には互角の範囲で収めます。
勝負の分かれ目は57手目からの数手でした。
先手ばかり気苦労が耐えない局面が続いていたのですが、ついに均衡が破れてしまいました。
優位にたった西山女王は角のただ捨てといった派手な技も繰り出し、78手まで最短距離の寄せで勝ちきりました。
これで里見香奈女流王座への挑戦権獲得です。

五番勝負第1局は10月30日(水)高知県高知市「ザ クラウンパレス新阪急高知」で行われます!
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第41回霧島酒造杯女流王将戦挑戦者決定戦(西山朋佳女王VS伊藤沙恵女流二段) [将棋]

里見女流六冠への挑戦者が決まります。

【中継サイト】
http://www.igoshogi.net/shogi/Loushou_info/

いまの女流棋界は里見女流六冠が飛びぬけていますが、2番手を西山女王と伊藤沙女流二段が争っています。
月曜日に行われる女流王座挑戦者決定戦もこの両者です。
西山女王は生粋の振り飛車党で、とにかく火達磨のように攻めます。無理気味の仕掛けから、なんとか通してしまう腕力は女流随一です。
伊藤沙女流二段の棋風はどちらかというと受けで、どちらかというと金銀の厚みで推していくスタイルです。
王将戦はタイトル戦は3時間ですが、予選は25分のスプリント勝負です。
一般的には早指しは攻め有利と言われますが、受けの方が相手の指してにあわせていけばよいという気楽な一面もあります。
さあ、2番手を激しく争う両者の勝負はどうなってでしょうか!

【棋譜】
http://www.igoshogi.net/shogi/Loushou/kifuplay.html?kifu=L41k0401

ということで、将棋です。
後手西山女王の三間飛車を、先手伊藤沙女流二段が銀冠で迎え撃ちます。
30手目から先手が後手の攻めを呼び込むような仕掛けを敢行しますが、交換した角を手放した瞬間に2五角打~4七歩と垂らされて先手が忙しくなります。
57手目にと金による銀取りを放置して飛車を成りこみ、攻め合いに活路を見出しますが、ここは銀損となりますがと金を払うのが勝っていたようです。
振り飛車の左桂が綺麗に捌け、5三に成りこまれては先手苦しいです。
西山女王は女流タイトルホルダー枠での出場ですが、見事に106手まで勝利し、女流王将戦初挑戦を決めました。
トーナメントを通じて安定した戦いぶりを見せてくれて、現役奨励会三段としての実力を遺憾なく発揮していると思います。

3番勝負の日程はまだ発表されていますが、例年ですと10月に第1局が霧島創業記念館「吉助」で行われます。
西山女王が里見女流六冠からタイトルをもぎ取れるのか注目です!
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第1期ヒューリック杯清麗戦第3局(里見香奈女流五冠VS甲斐智美女流五段) [将棋]

里見女流五冠が史上初の六冠まであと1勝で迎えた第3局です。

【中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/joryu-oui/

清麗戦は第1局から第4局までが土曜日、第5局も金曜日と見る将を意識したスケジュールになっています。
土日対局が増えて対局やイベントとの調整が大変だとは思います。会場となるホテル等も土日はかきいれどきなので、負担になっているかもしれません。
それでも、将棋ファンを楽しませるという意味では良いと試みだと思います。
ちなみに第3局の会場であるホテル日航金沢は、主催者でるヒューリック社が保有しています。
今後もホテル新築計画があるようなので、集客の目玉としてタイトル戦を開催するのは、新たな共存共栄戦略になるかもしれません。
さあ見る将を楽しませるためにも、甲斐女流五段は角番を凌げることができるでしょうか!

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/seirei/kifu/1/seirei201909070101.html

ということで、将棋です。
先手は甲斐女流五段。里見女流五段のゴキゲン中飛車から銀対抗となります。
8月27日に行われた第61期王位戦予選の▲藤原直哉七段-△里見香奈女流五冠戦をなぞっていきますが、35手でまけた側を持つ甲斐女流五段が変化します。
ただ長考しているので、研究からの予定変更のように思います。
先に駒得したのは後手ですが、1歩を持った甲斐女流五段の端攻めが厳しく、流れは先手有利になります。
里見女流五冠が玉を逆側に逃がそうとしたところで一回自陣に手を入れますが、それが結果として緩手となったようです。
中央からの攻めが厳しそうに見えましたが、角で大砲となるはずだった飛車を追われ、成り返られた馬で端を追い詰めていた桂香を取られると後手玉への寄せが見えません。
まだまだ将棋を続けることはできましたが、桂馬で両取りをかけられた時点で見込みのない局面と判断した甲斐女流五段は投了しました。
120手まで里見女流五冠が3連勝となり、初代清麗位を獲得するとともに、史上初の六冠となりました。

里見女流六冠おめでとうございます!

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【公募情報】いわて震災小説2020 [公募情報]

テーマは、東日本大震災及びそれ以降の復興や暮らしです。

【主催者HP】
http://iwate-arts.jp/?p=3772

主催者は震災からの芸術文化や祭りの復興を目指す特定非営利活動法人いわてアートサポートセンターです。
過去3回は川柳や随筆を募集していましたが、4回目は掌編小説の募集となりました。
入選作は「いわて震災小説2020」に収録され、フォーラムで朗読されたりと、芸術文化の復興のためにいろいろと活用されるそうです。
賞金はないようなので、応募はボランティア精神で。制限文字数は2000字、応募締切は令和元年10月31日です!
※応募には岩手に何らかの縁があることが条件とされているので注意してください!

<募集要項抜粋>
募集内容:掌編小説
テーマ :東日本大震災及び震災以降の情景や心の動き、未来に向けての思いなど
最優秀賞:記念品
応募締切:令和元年10月31日
応募方法:郵送、メール
応募条件:岩手県在住者、在住経験者、出身者など岩手ゆかりの方。
    (被災地支援・復興支援のため来県された方も含める)
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第32期竜王戦挑戦者決定戦3番勝負第3局(豊島将之名人VS木村一基九段) [将棋]

豊島名人の1勝1敗で迎えた第3局です。

【中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/ryuou/

竜王戦挑戦者決定3番勝負と王位戦7番勝負と合わせて10番勝負と呼ばれていました。
タイトル戦で有名なのが2005年の羽生善治・佐藤康光で、棋聖戦五番勝負、王位戦七番勝負、王座戦五番と連続してあたり、17番勝負と呼ばれました。
また、中原誠、加藤一二三のによる第40期の名人戦はフルセットに持将棋1回、千日手指し直しが2回あり、俗に「十番勝負」と呼ばています。
指し盛りの若い名人と、四十代後半のおじさんとの対戦ですから、豊島名人が圧倒するかと思いきや、ここまで木村九段から見て竜王戦1勝1敗、王位戦○勝○負と互角の勝負を演じています。
いまだにタイトル0期の木村九段ですが、さあ8度目のタイトル挑戦はなるでしょうか!

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/32/ryuou201909050101.html

ということで将棋です。
振り駒の結果、先手を引き当てたのは豊島名人、となれば大事な一局で選択するのは角換わりです。
豊島名人の代名詞ともいえる戦法です。
よくある形から、豊島名人は手持ちも角をあえて受けに手放します。
ここからは未知の局面で、お互いの構想力が問われます。
十分に玉を固めてから攻めに入ったのは木村九段。なんと角を捨てて飛車を成り込む順に飛び込みますが、結果からすると暴発だったようです。
その角を9七に打たれて竜を隅に追いやられると、そこから豊島名人の猛攻が始まります。
先手の玉形は弱く何かあってもおかしくありませんでしたが、豊島名人は読みきっていました。
最後まで木村九段に逆転のチャンスを与えず、115手まで押し切りました。
これで2勝1敗となり、豊島名人が広瀬竜王への挑戦権獲得です。
あと一歩のところまで奮闘した木村九段、残念でした。

第32期竜王戦第1局は、10月11、12日に東京都渋谷区「セルリアンタワー能楽堂」で行われます。

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【書評】大倉祟裕『凍雨』 [書評]

山岳を舞台にしたハードボイルドです。


凍雨 (徳間文庫 お 41-1)

凍雨 (徳間文庫 お 41-1)

  • 作者: 大倉 崇裕
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2014/10/03
  • メディア: 文庫



舞台は架空の山です。
亡夫の慰霊登山に出かけた母娘が、謎の集団同士の構想に巻き込まれて人質にされます。
追われていた集団は、追跡者を全滅させ山岳に立てこもります。
同じく慰霊登山にでかけていた元自衛隊員である亡夫の親友が、謎の集団との戦いを挑む……という全編に渡るアクション小説です。
元自衛隊員が強く、実力差は明らかなので、人数頼みの敵を徐々に削っていきます。
途中でお互いの過去がいろいろと明らかになるが、若干不満が残る内容かも。

山岳を舞台にしたアクション小説を読みたいひとのために!
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【書評】松本博文『藤井聡太はAIに勝てるか?』 [書評]

著名な将棋ライターによる新書です。


藤井聡太はAIに勝てるか? (光文社新書)

藤井聡太はAIに勝てるか? (光文社新書)

  • 作者: 松本 博文
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2018/03/15
  • メディア: 新書



タイトルには「藤井聡太」とありますが、内容はほとんど関係ありません。
最後の電王戦にける佐藤天彦名人の苦闘から始まり、コンピューター将棋の進化、さらには日本将棋連盟を退会した永作氏の現状など、内容は多岐に渡ります。
表題部についての結論はすでにでていて、レーティングからいくと、AIは人間が一発入れることも困難なレベルに達していて、誰が指そうが勝てるわけがありません。
人間とコンピューターが拮抗していたのは、一瞬のできごとです。
表題と内容はかなり異なりますが、興味深いトピックスが並んでおり、すらすらと読んでしまいました。

コンピューター将棋に興味のある人のために!
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第67期王座戦第1局(斎藤慎太郎王座VS永瀬拓矢叡王) [将棋]

斎藤王座が初防衛戦挑みます。

【中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/ouza/

王座戦は特殊です。
1日制のタイトル戦は3つありますが、棋聖戦、棋王戦が4時間で、5時間は王座戦だけです。
それだけ対局時間が長くなるため、夕食休憩もあります。
6時間ある順位戦だと中盤戦で夕食休憩となりますが、王座戦だと終盤戦の佳境に入るころに夕食休憩となります。
それだけ時間の使い方が特別になります。
この5時間という経験はなかなかできるものではないので、そういう意味では防衛側に少し利点があるのかなと思います。
ただ、今年からチェスクロック使用なので、昨年と時間感覚が異なります。
経験値的には予選から勝ち上がってきた方が有利かもしれません。
さあ、初防衛戦に挑む斎藤王座ですが、永瀬叡王相手に初防衛なるでしょうか!

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/ouza/kifu/67/ouza201909020102.html

ということで将棋です。
最初は千日手になり、先後が入れ替わりました。
先手を勝ち取ったのは斎藤王座。矢倉調から後手永瀬叡王が急戦を仕掛けます。
最初の戦いは銀と桂香の交換となり、若干先手駒得。
さらに後手飛車を押さえ込めそうな形となり、検討陣は先手有利と判断します。
ところがコンピューターは途中から後手有利に変わります。
このあたり、人間とコンピューターの感覚の差があり面白いです。
終盤、先に持ち時間を使い切ったのは斎藤王座でした。
まだ中盤から終盤の入口での秒読みは痛いです。しかも先手玉は薄く、一手間違えると終わってしまいます。
そうした状況での73手目、「キュウ」で指した3三金が形勢を決定的に悪化させてしまいました。
金角交換で駒得ですが、後手玉への手がかりがなくなってしまいました。
その後、17手ほど対局は続きますが、大勢は動きません。
このまま90手まで永瀬叡王が勝利し、2冠に向けて好発進となりました。

第2局は9月18日(水)に大阪府大阪市「ウェスティンホテル大阪」で行われます!

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【ミステリ】齊藤想『違う夢を見ていた』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第53回)に応募した作品です。
テーマは「ぶどう」でした。

―――――

『違う夢を見ていた』 齊藤想

「いつもありがとね、助かるよ。これがないと、ワイン詰めができないからな」
 明美の部屋を訪れる肇は、いつも陽気だった。営業車を兼ねる小型車でアパートに横付けすると、さっそく荷物を運びこんでいく。
 肇は小さなワインメーカーの社長で、手にしているのはコルクの可塑剤だ。ワインの蓋を作るのに欠かせない薬品だ。
 少しでも経費を節減するために、買い付けは化学薬品メーカーに勤めている明美が担当している。肇は会社が倒産したときに迷惑がかかるからと嫌がったが、明美は社内に安く買えるツテがあるからと強引に押し切った。
「いつも忙しそうだね」
 肇は活きいきとした表情で答える。
「明美のためにも、絶対にお父さんの農場を復活させてやるからな」
 一番大切なひとの言葉に、明美の胸が暖かな感情が流れ込んできた。
 明美の父は小さなワインメーカーを経営していた。だが、ワインが飛ぶように売れたバブル時代は遠く過ぎ去り、明美が知る父はいつも資金繰りに追われていた。
 気苦労が父の寿命を縮めたのだろう。父は昨年末に命を燃やし尽くたように、静かにあの世へ旅立った。
 明美も母も、父が生誕込めて土から作り上げた農園を手放すのは惜しい。しかし、家族経営の農園が大手資本に太刀打ちできる時代ではなかった。
 父の急逝にともない、ワインメーカーは解散するつもりだった。だが、食品メーカーに勤めていた恋人の肇が、経営を引き受けてくれたのだ。
 明美は期待をこめた目で肇を見上げる。
「それで、今日こそお願いしているものを持ってきてくれた?」
「もちろんだとも」
 肇が手にしているのは、数種類の新作ワインだ。赤、白、ロゼに辛口から甘口までひととおりそろっている。
 名もないワインメーカーが復活するには、インパクトのある新製品が必要だ。宣伝しなくても口コミで固定客をつかめて、それなりの価格帯で販売できる中級ワインを送り出さなければならない。
 目指すのは本当に良いワインを作り続けられる環境だ。そのためには売れなくてはならない。肇はそう熱く語っていた。
 明美は並べられたワインを光にかざした。数種類あるなかで、甘口の白ワインを選ぶ。
「これも販売するの?」
 肇は一瞬だけ口ごもった。
「試作品だから、まだ決まっていない」
 明美は慣れた手つきでコルク栓を抜くと、黄金色の液体をワイングラスに注ぐ。甘い香りが部屋中に広がる。明美は冗談めかながら、グラスを蛍光灯にかざす。
「もしかして、毒は入っていないよね」
「キャベツにすら発がん性物質が含まれている。毒性のない食品は存在しない。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしだ」
「このワインの場合はどうかしらね」
 肇の冗談に明美は笑った。少し口に含み、舌の上でワインを転がす。取れたてのようなブドウ香と、濃厚な甘みが広がる。
 試飲だと思った肇が差し出したボールを無視するようにして、明美は飲み込んだ。
「とても美味しい。まるでワインの王様と呼ばれる貴腐ワインのよう。これ、肇さんも飲んだの?」
「飲みすぎない程度だけど」
「販売価格は?」
「……まだ決めていない」
「そうよね、決められないわよね。こんなにおいしいワインだもの。取れたてなのに、まるで数十年前から熟成されてきたみたいな重厚な味がするんだもの」
 肇は明美が何を言いたのか、すべてを悟ったようだ。気まずい沈黙のあと、肇はワインを片付けて部屋から出て行った。

 肇の車が遠ざかっていく。
 コルクの可塑剤の原料はジエチレングリコール。この薬品を極微量ワインに添加すると濃厚な甘みを得ることができる。違法な上に、有毒だ。大量に飲まななければ健康被害は生じないとはいえ、そのような問題ではない。
 肇が可塑剤を購入しようとしたとき、明美はその役目を強引に奪い取った。家族の思い出が詰まったワインメーカーを必死に立て直そうとする気持ちはわかる。だから、見て見ぬふりをしてきた。途中で気が付いてくれると思っていた。
 だが、今日のワインで確信した。肇は私たち家族とは違う夢を見ていたことを。
 肇の車が明美の部屋を訪れることはもないだろう。明美はいつもより大きく、肇の車に向かって手を振った。まるで、家族の思い出と決別するかのように。

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