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【ミステリ】齊藤想『違う夢を見ていた』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第53回)に応募した作品です。
テーマは「ぶどう」でした。

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『違う夢を見ていた』 齊藤想

「いつもありがとね、助かるよ。これがないと、ワイン詰めができないからな」
 明美の部屋を訪れる肇は、いつも陽気だった。営業車を兼ねる小型車でアパートに横付けすると、さっそく荷物を運びこんでいく。
 肇は小さなワインメーカーの社長で、手にしているのはコルクの可塑剤だ。ワインの蓋を作るのに欠かせない薬品だ。
 少しでも経費を節減するために、買い付けは化学薬品メーカーに勤めている明美が担当している。肇は会社が倒産したときに迷惑がかかるからと嫌がったが、明美は社内に安く買えるツテがあるからと強引に押し切った。
「いつも忙しそうだね」
 肇は活きいきとした表情で答える。
「明美のためにも、絶対にお父さんの農場を復活させてやるからな」
 一番大切なひとの言葉に、明美の胸が暖かな感情が流れ込んできた。
 明美の父は小さなワインメーカーを経営していた。だが、ワインが飛ぶように売れたバブル時代は遠く過ぎ去り、明美が知る父はいつも資金繰りに追われていた。
 気苦労が父の寿命を縮めたのだろう。父は昨年末に命を燃やし尽くたように、静かにあの世へ旅立った。
 明美も母も、父が生誕込めて土から作り上げた農園を手放すのは惜しい。しかし、家族経営の農園が大手資本に太刀打ちできる時代ではなかった。
 父の急逝にともない、ワインメーカーは解散するつもりだった。だが、食品メーカーに勤めていた恋人の肇が、経営を引き受けてくれたのだ。
 明美は期待をこめた目で肇を見上げる。
「それで、今日こそお願いしているものを持ってきてくれた?」
「もちろんだとも」
 肇が手にしているのは、数種類の新作ワインだ。赤、白、ロゼに辛口から甘口までひととおりそろっている。
 名もないワインメーカーが復活するには、インパクトのある新製品が必要だ。宣伝しなくても口コミで固定客をつかめて、それなりの価格帯で販売できる中級ワインを送り出さなければならない。
 目指すのは本当に良いワインを作り続けられる環境だ。そのためには売れなくてはならない。肇はそう熱く語っていた。
 明美は並べられたワインを光にかざした。数種類あるなかで、甘口の白ワインを選ぶ。
「これも販売するの?」
 肇は一瞬だけ口ごもった。
「試作品だから、まだ決まっていない」
 明美は慣れた手つきでコルク栓を抜くと、黄金色の液体をワイングラスに注ぐ。甘い香りが部屋中に広がる。明美は冗談めかながら、グラスを蛍光灯にかざす。
「もしかして、毒は入っていないよね」
「キャベツにすら発がん性物質が含まれている。毒性のない食品は存在しない。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしだ」
「このワインの場合はどうかしらね」
 肇の冗談に明美は笑った。少し口に含み、舌の上でワインを転がす。取れたてのようなブドウ香と、濃厚な甘みが広がる。
 試飲だと思った肇が差し出したボールを無視するようにして、明美は飲み込んだ。
「とても美味しい。まるでワインの王様と呼ばれる貴腐ワインのよう。これ、肇さんも飲んだの?」
「飲みすぎない程度だけど」
「販売価格は?」
「……まだ決めていない」
「そうよね、決められないわよね。こんなにおいしいワインだもの。取れたてなのに、まるで数十年前から熟成されてきたみたいな重厚な味がするんだもの」
 肇は明美が何を言いたのか、すべてを悟ったようだ。気まずい沈黙のあと、肇はワインを片付けて部屋から出て行った。

 肇の車が遠ざかっていく。
 コルクの可塑剤の原料はジエチレングリコール。この薬品を極微量ワインに添加すると濃厚な甘みを得ることができる。違法な上に、有毒だ。大量に飲まななければ健康被害は生じないとはいえ、そのような問題ではない。
 肇が可塑剤を購入しようとしたとき、明美はその役目を強引に奪い取った。家族の思い出が詰まったワインメーカーを必死に立て直そうとする気持ちはわかる。だから、見て見ぬふりをしてきた。途中で気が付いてくれると思っていた。
 だが、今日のワインで確信した。肇は私たち家族とは違う夢を見ていたことを。
 肇の車が明美の部屋を訪れることはもないだろう。明美はいつもより大きく、肇の車に向かって手を振った。まるで、家族の思い出と決別するかのように。

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