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【掌編ミステリ】齊藤想『完全犯罪』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第37回)に応募した作品です。
テーマは「運」でした。

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『完全犯罪』 齊藤想

 プランは完全に整えた。アリバイも完璧。あとの問題は、この毒を夫の卓也が口に含むかどうか。それは運にゆだねられている。
 裕子が卓也に殺意を覚えたのは、結婚後まもなくだった。
 恋人時代は魅力的だと思った卓也の男らしいところだが、半年と経たないうちに、それは単なる支配欲と権力欲の裏返しであることを知らされた。一挙手一投足まで束縛される毎日に息苦しくなり、何度も離婚を持ちかけた。そのたびに「世間体が悪い」と暴力をふるわれて、いつしか奴隷のような生活を強いられるようになった。裕子は不幸のどん底だった。
 夫は運送会社を経営し、自らも長距離ドライバーとして働いている。
 卓也は家を空けることが多く、得意先で様々な女を作っているようだった。ときおり深夜に帰宅しては、レイプのような性交渉を求めてくる。こうしてダラダラとこの男との生活を続けていくのかと思うと、絶望感があふれてくる。
 閉塞した状況から抜け出すには、卓也を殺害するしかない。夫は会社経営者でなので保険金も高額だ。たまにしか帰宅しないので、準備する時間も十分にある。条件は恵まれている。
 やるしない。裕子は決断した。
 警察に捕まったら元も子もない。準備には慎重に慎重を重ねた。毒はトリカブトを使うことにした。毒殺と分からなければ、急性心筋梗塞のように見えるらしい。実際にそのよな事件があった。
 裕子はハイキングと称して天然のトリカブトを集め、ひそかに蓄えた。毒物の抽出方法がわからなかったので、根を乾燥させて粉にした。調べればよいのかもしれないが、インターネットを使えば履歴から警察に気づかれる。図書館や書店は論外だ。
 毒物の濃度が不明なので、トリカブトだけでは不安だ。保険をかける意味で、自ら船を出してフグも釣り上げた。フグもよく中毒を起こす食材だ。近所の主婦仲間から「最近、アクティブになったわね」と言われたが、なんとかごまかした。失敗は許されないのだ。
 プランも整えた。
 まず卓也にフグの刺身を食べさせ、食後のお茶にトリカブトを煎じて含ませる。
 ひとつの毒でも致命傷を与えられるのに、ダブルなら効果倍増だ。仮にひとつは失敗してももうひとつで仕留められる。素人による殺人なので、何重にも予防線を張らなければならない。
 問題は、いつ卓也が帰ってくるかだ。数日間も刺身を取っておくのは不自然だ。フグは簡単に獲れるものではない。しかも漁師の協力を仰ぐわけにはいかないので、素人がひとりで海に出るのだ。この条件でフグを釣り上げるのは、奇跡に近い。
 ところが、その奇跡が起きたのだ。
 フグを三枚に下ろした翌日に卓也が帰ってきた。彼は上機嫌だった。仕事がうまくいったらしい。さらに車を増やし、ドライバーを雇いいれ、会社を大きくするという。
 将来への夢を語る時に卓也は素敵だった。恋心を抱いていたころを思い出す。しかし、この思いは何度も裏切られきた。この好機を逃してはならない。
 裕子は卓也に刺身を出した。いつもなら卓也がひとりで食べる。それが何の拍子か「一緒に食べよう」と裕子に勧めてきた。
 この家にとって、卓也の命令は絶対だった。フグ毒の致死量は知らない。そもそも、刺身にどれくらい毒が含まれているのかもわからない。裕子は怪しまれない程度にふた切れを口にした。トリカブト入りのお茶も勧められた。裕子は絶望的な気持ちになった。やはり私は不幸な女なのだ。幸運など訪れるはずがない。裕子は短い人生を振り返りながら、お茶を口に含んだ。苦い味がした。目の前が暗くなり、そのまま気を失った。
 しかし、裕子は死ななかった。そして卓也も。
 あとでわかったことだが、トリカブトの毒ととフグ毒はお互いに打ち消しあう効果があるらしい。お互いに口にした分量が奇跡的にも釣り合って、綺麗に解毒されたのだ。
 裕子の気持ちはすっきりして、卓也も会社経営が順調なためか優しくなった。経営者としての自覚ができたためか、愛人とも手が切れたようだ。娘も誕生した。それは夫に似た、愛くるしい目をしていた。
 あのとき、卓也が死んでいたらどうなっていたのか。裕子は、とても運に恵まれていると、思えるようになってきた。

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