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【SS】齊藤想『誘拐』 [自作ショートショート]

小説でもどうぞ第3回に応募した作品です。
テーマは「旅」です。

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『誘拐』 齊藤 想

 美和は嫌な予感がした。子供の洋一が六時を過ぎても帰ってこない。
 暗くなるまで友達と校庭で遊んでいるのかと思い小学校に電話したが、だれもいないという。友人宅にも連絡した。学習塾の曜日を間違えたかと思い、塾にも問い合わせたが、来ていませんとの返事だ。
 夫にも電話したが、「どこか遊びに行っているんだろう」と頼りにならない。
 誘拐、の二文字が美和の頭をかすめる。美和の不安を見透かしたように電話が鳴る。
「ねえ、奥さん」
 デジタル変換された音声が、耳元から流れてくる。美和は眩暈がした。
「ヨウイチ君はとてもイイ子だね。いま大人しくワタクシの横で眠りについています。安心してください、乱暴はしませんから。さて、ヨウイチ君がかわいいと思うのなら、ワタクシの命令に従ってもらいます。いまお宅にはそれなりの現金がありましたよね。それを持って、いますぐ東京駅に向かってください。服装はズボンとスニーカーをオススメします。運転免許や保険証、さらにはパスポートもお忘れなく。とにかく急いで」
 美和は何も考えられなくなった。夫に置き手紙を残し、家の現金をすべてボストンバックに詰めると、慌てて東京駅に向かった。
 とたんに携帯電話がなる。
「地下一階の東京メトロ入口のそばにあるトイレの一番奥の部屋に入ってください。そこに小さなビニール袋があるので中身を確認してください。とにかく早く」
 美和は構内を駆けた。トイレの角にその袋はあった。中身を見ると、黒い携帯電話と新大阪行きの新幹線のチケットが入っていた。
 真新しい黒い携帯電話が震える。
「今後はこの携帯で連絡を取りますので、充電を忘れずに。では、新幹線に乗ってください。出発まであと2分です。急いで!」
 東京駅は広い。美和は誘拐犯がズボンとスニーカーを指示してきたことに感謝しながら走り続けた。
 出発時刻にはギリギリ間に合った。
 新大阪までは少しゆっくりできるかもしれない。夫に連絡して、それから警察に……と思っていたら、また黒い電話が震えた。
「そう簡単に油断されては困ります。次はスマホの画面を見てください」
 そこには、航空機のチケットが表示されていた。しかもアメリカ行きで、おまけにファーストクラスだ。
「あの……身代金の支払いのために、ここまで……持ってきた現金はそこまで多額でもありませんし……」
「ワタクシに意見をするつもりかね」
「いえ、すみません」
「ワカレばよろしいのです。まあ、旅だとおもってくれたまえ。忙しい美和サンには、たまには休息が必要だ。こうでもしない限り、旅なんて無理だろうから」
 何が面白いのか、誘拐犯は携帯電話の向こう側で笑い声をあげた。
 まるでベルトコンベアーだ。美和は帰りたかった。お金など払うから、早く息子と夫との平和な家庭に戻してほしかった。
 美和は誘拐犯に言われるがまま、海を渡ることになった。
 当然のように、アメリカでも誘拐犯からの指令は続いた。指示通りに電車に乗り、バスを乗り継ぐと、なんとNASAについた。
 黒い携帯が震えた。
「次は宇宙飛行士になってもらいます。すでに履歴書は送付済みで、書類審査は通過しています。では頑張ってください」
「ちょっと待ってください。私は単なる主婦で、宇宙飛行士なんてとてもとても」
「ワタクシは美和サンのことを徹底的に調べています。英語は堪能でスポーツ万能。理系大学院卒と全ての条件は整っています。後は美和サンの努力次第です」
 いま夫は自宅で何をしてるのだろうか。置き手紙を見て、驚いているだろうか。妻と息子が失踪したと思っていないだろうか。
 しかし、美和は命じられたことをするしかいない。そして、懸命な努力の末に、宇宙飛行士として採用された。地球を周回し、実験をこなし、宇宙からみた地球の写真を撮った。夫と息子に見せたいと思った。
 日本に帰れたのは二年後だった。夫は実家に戻っており、生活感のない部屋に離婚届だけが残されていた。息子も実家にいるという。
 二年も家を留守にしていたのだから愛想をつかされるのも仕方がない。美和は考えるのもおっくうになりながら、サインして夫の実家に郵送した。
 美和が何気なくテレビを見ていたら、アメリカ政府が火星に人類を送り込む計画を発表していた。
 美和には予感があった。
 黒い携帯電話が震えた。

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