【ファンタジー】齊藤想『私の本』 [自作ショートショート]
TO-BE小説工房第75回に応募した作品です。
テーマは「本」です。
―――――
『私の本』 齊藤想
今後の構想を練り、表紙も描き、いよいよ私が本になる準備が整った。新しい自分になるために精神統一をしていると、父が血相を変えて部屋に飛び込んできた。
父は壁にへばりついている出来たての繭を見て、うろたえる。
「マリサが本になるって、本当か」
清浄な心を乱された私は、不機嫌になりながら答えた。
「本当よ。もう、こんな人生に飽き飽きしたの。子供のころはひたすら勉強、大人になったら仕事。いつも何かに追い立てられて、本当の自分はどこにあるのかなって考えていたら、本になるのが一番だと思ったの」
「ようするに、失恋したからか」
父は、乙女を傷つけるようなことを平気で言う。
「あんな男、こちらから願い下げよ。振られたんじゃなくて、私から振ったの」
「強がるのはよせって。傷ついたのなら、また新しい恋をすれば良いじゃないか。一生ものの恋なんて、小説だけの話だ。現にお父さんは離婚しているわけだし」
私は無言で立派に作り上げた繭を指した。この繭を作るのに一か月はかかっている。半端な気持ちではここまで作れない。
父が深いため息をついた。
「マリサの決心はよく分かった。それなら、せめて立派でずっと手元に置きたくなる本になって欲しい。それが親心というものだ。例えば辞書とか」
「いまどき辞書を持つひとなんている?」
「なら宗教関係はどうか。経典なら捨てられることはない」
「パパも知っての通り、無宗教だから」
「なら、冠婚葬祭ハンドブックや手紙例文集はどうだ。一生ものだぞ」
「乙女がそんな本になりたいと思う? もういい加減にして。私は私の好きな本になりたいの」
父が心配そうな表情になる。
「もしかして、恋愛小説になるつもりか。それだけは絶対にいかん」
「なんでよ」
「あんなものは、二束三文で書店に並べられて読み捨てられるものだ。マリサがゴミ箱に捨てられるのを、わしは見たくない」
大げさに嘆く父を、私は叱りつける。
「パパの趣味を押しつけないで。私は私でいたいの。それに、この地球上に人類は何人いると思っているの? 70億人よ。70億分の1が生きようが死のうが本になろうが、世の中には何の影響もないの。働きアリが踏みつぶされた程度のものなの」
「けど、仲間のアリは悲しむ」
父は、ポツリと呟いた。
「ならワシも本になろうかな。妻には愛想をつかされ、一人娘も本になるというのなら、この世にいても仕方あるまい。流行りの異世界転生ものにでもなって……」
「ダメよ」
私は言った。
「パパが本になったら、私の本をだれが読んでくれるのよ。読者のいない本ほど悲しいものはないわ」
「別れた彼氏にでも送ってやれ」
「絶対に嫌」
「物語の力で、彼氏はマリサを振ったことを涙を流して後悔するかもしれないぞ」
「そんな本じゃないから。それに、この本はパパが読まないと意味がないの」
父の動きが止まった。
「そうか」と父は寂しそうに息を吐いた。本の内容を悟ったようだ。
「それで、結末はどうなするのか? ハッピーエンドかそれともバットエンドか」
「私はハッピー」
「じゃあ、わしはバットエンドにしてくれ。そうでなければ、あの世で神様に顔向けができぬからなあ」
「了解」
私は敬礼のまねごとをした。「邪魔したな」と父は静かに部屋から出ていった。
いよいよ最終段階だ。水を口に含み、つまさきからゆっくりと繭の中に入る。
順調に進めば、私は一か月後には本になって生まれ変わる。
内容はミステリ小説だ。完璧なトリックに完璧なアリバイ。もちろん被害者は彼氏で、犯人は父だ。
だから、父が私の本を読んでくれないと困るのだ。
父からはバッドエンドにしろと言われたが、まだ迷っていた。犯人が逃げおおせるのも良いし、警察に捕まるのも良い。
結末を付けない話もあったかな。
その小説の名前を思い出そうとしたが、すでに私の体は、私の本になるために溶け始めていた。
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『私の本』 齊藤想
今後の構想を練り、表紙も描き、いよいよ私が本になる準備が整った。新しい自分になるために精神統一をしていると、父が血相を変えて部屋に飛び込んできた。
父は壁にへばりついている出来たての繭を見て、うろたえる。
「マリサが本になるって、本当か」
清浄な心を乱された私は、不機嫌になりながら答えた。
「本当よ。もう、こんな人生に飽き飽きしたの。子供のころはひたすら勉強、大人になったら仕事。いつも何かに追い立てられて、本当の自分はどこにあるのかなって考えていたら、本になるのが一番だと思ったの」
「ようするに、失恋したからか」
父は、乙女を傷つけるようなことを平気で言う。
「あんな男、こちらから願い下げよ。振られたんじゃなくて、私から振ったの」
「強がるのはよせって。傷ついたのなら、また新しい恋をすれば良いじゃないか。一生ものの恋なんて、小説だけの話だ。現にお父さんは離婚しているわけだし」
私は無言で立派に作り上げた繭を指した。この繭を作るのに一か月はかかっている。半端な気持ちではここまで作れない。
父が深いため息をついた。
「マリサの決心はよく分かった。それなら、せめて立派でずっと手元に置きたくなる本になって欲しい。それが親心というものだ。例えば辞書とか」
「いまどき辞書を持つひとなんている?」
「なら宗教関係はどうか。経典なら捨てられることはない」
「パパも知っての通り、無宗教だから」
「なら、冠婚葬祭ハンドブックや手紙例文集はどうだ。一生ものだぞ」
「乙女がそんな本になりたいと思う? もういい加減にして。私は私の好きな本になりたいの」
父が心配そうな表情になる。
「もしかして、恋愛小説になるつもりか。それだけは絶対にいかん」
「なんでよ」
「あんなものは、二束三文で書店に並べられて読み捨てられるものだ。マリサがゴミ箱に捨てられるのを、わしは見たくない」
大げさに嘆く父を、私は叱りつける。
「パパの趣味を押しつけないで。私は私でいたいの。それに、この地球上に人類は何人いると思っているの? 70億人よ。70億分の1が生きようが死のうが本になろうが、世の中には何の影響もないの。働きアリが踏みつぶされた程度のものなの」
「けど、仲間のアリは悲しむ」
父は、ポツリと呟いた。
「ならワシも本になろうかな。妻には愛想をつかされ、一人娘も本になるというのなら、この世にいても仕方あるまい。流行りの異世界転生ものにでもなって……」
「ダメよ」
私は言った。
「パパが本になったら、私の本をだれが読んでくれるのよ。読者のいない本ほど悲しいものはないわ」
「別れた彼氏にでも送ってやれ」
「絶対に嫌」
「物語の力で、彼氏はマリサを振ったことを涙を流して後悔するかもしれないぞ」
「そんな本じゃないから。それに、この本はパパが読まないと意味がないの」
父の動きが止まった。
「そうか」と父は寂しそうに息を吐いた。本の内容を悟ったようだ。
「それで、結末はどうなするのか? ハッピーエンドかそれともバットエンドか」
「私はハッピー」
「じゃあ、わしはバットエンドにしてくれ。そうでなければ、あの世で神様に顔向けができぬからなあ」
「了解」
私は敬礼のまねごとをした。「邪魔したな」と父は静かに部屋から出ていった。
いよいよ最終段階だ。水を口に含み、つまさきからゆっくりと繭の中に入る。
順調に進めば、私は一か月後には本になって生まれ変わる。
内容はミステリ小説だ。完璧なトリックに完璧なアリバイ。もちろん被害者は彼氏で、犯人は父だ。
だから、父が私の本を読んでくれないと困るのだ。
父からはバッドエンドにしろと言われたが、まだ迷っていた。犯人が逃げおおせるのも良いし、警察に捕まるのも良い。
結末を付けない話もあったかな。
その小説の名前を思い出そうとしたが、すでに私の体は、私の本になるために溶け始めていた。
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