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【SF】齊藤想『支配者』 [自作ショートショート]

第8回星新一文学賞に応募した作品です。

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『支配者』 齊藤 想

「支配者は人間ではない。言語だ」スパイア・カーン

 今日も四十五の新言語が産声を上げ、三十万五千二十一の新単語が舞い降りた。モニターから流れ続ける言葉の洪水に、チャド教授は困惑の表情を浮かべるしかなかった。
「君のパソコンは、いつ見ても、まるでウィルスにやられたかのように、意味不明の記号で埋め尽くされておる」
 パソコンを操作しているのは、大学院生のテッドだ。彼は言語起源論を研究するチャド教授の研究室に在籍している。テッドは軽くウェーブの掛かった金髪をかきあげ、後頭部を犬のように掻きむしった。
 今週、テッドは下宿先に戻っていない。先週も先々週もだ。彼が髪をかきむしるたびに、白い粉がさっと舞い上がる。
 テッドは、今日も単純な線と原色がプリントされたTシャツを着ている。彼は言うには「アーティストの魂が込められた芸術作品」らしいが、そんなに大事なTシャツなら、たまには洗ってやれと言いたくなる。
 テッドの髪から舞い上がった白い粉が、床の上で跳ねた。教授は研究室の床から目を背け、見て見ぬふりをした。
 テッドはモニターに流れる数字と文字の羅列に陶酔している。口元に笑みを浮かべながら振り返ると、さも嬉しそうに甲高い声で小鳥のように囀り始めた。
「これほどまでに美しい世界が、この世にあるでしょうか。新しい言語、新しい言葉の波は、まるでカリブ海の砂浜のようだ。教授もそう思うでしょ?」
 無秩序に続く数字と記号の羅列が、なぜ美しく見えるのか、教授には理解できなかった。テッドがなぜそこまで興奮するのかも分からない。ジェネレーションギャップというありふれた理由以上の高い壁を感じる。
 テッドは不思議な青年だった。いつも言葉のことを考え、理想の言語を追い求め続けていた。少年時代からまったく文法の異なる複数の言語を自由に操れる才人でもあった。講義ではレベルの高い質問を繰り返し、チャド教授をいたく感心させた。
 テッドは大学を卒業すると、当然のようにチャド教授の研究室に入った。ところが、そこからチャドは変わった。他人を寄せ付けず、自分の研究に没頭するようになった。
 テッドはことあるごとに主張する。
「人間の思考は、言語という狭い枠に閉じ込められている。人類を言語から開放しなければ、人類は新しいステージに立てない。私は、人類の進化をこの手で成し遂げてみせる」
 論理的思考も、突き詰めれば言語の組み合わせに過ぎない。いかなる思考も言語という枠を超えることはできない。言語のない思考は不可能であり、思考はおのずから言語の限界に突きあたり、そこで立ち止まる。
 テッドは、新しい言語を作ることで、この限界を超えて見せるという。
 当初、駆け出しの研究者に過ぎないテッドがこのような無謀な目標を掲げるのは感覚の違い、平たく言えば彼の未熟さゆえだと思っていた。だが、彼の研究が進み、一部の熱狂的なファンが彼の支援を始めたことを知るにつけ、「これが才能の違いなのか」とチャド教授は胸の奥がうずくような嫉妬を覚えた。
 だが、自らも現役の研究者である間は、弟子が師匠を凌駕した事実を認めるわけにはいかない。チャド教授の目標は言語の起源、言語はどうして誕生したのかを解き明かすことだ。大学内における第一人者の座を、簡単に若者へ譲り渡すわけにはいかない。
 手あかのついた自分の研究より、テッドの研究の方が先鋭的で、意義深いことは理解している。だが、老兵は黙って去るわけにはいかない。黙って去るには、あまりに名誉欲にまみれている。権威のある賞を受賞して、再び脚光を浴びたい。
 チャド教授は自分の悪心を自覚しながらも、若手研究者への妨害を止めることはできなかった。
 チャド教授は意味もなく咳払いをした。
「完璧な言語を作ろうという君の研究テーマは興味深く、多くの企業から注目を浴びている。その一方で……」
「ええ分かってます。危険性は十分に認識しております」
 テッドは簡潔に返事をする。この小さな部屋にはチャド教授とテッドしかいないのに、乾いた空気が流れる。
 この部屋は、昨年まである老教授の研究室だった。老教授は大学の顔ともいえる存在だったので、広さが普通の部屋の二倍もあった。
 チャド教授はこの研究室の後釜を狙っていた。だが、老教授が退任すると大学が「新進気鋭の研究者のために」との理由で部屋を分割し、大学院生に解放したのだ。
 名目上は実力が認められれば誰でも小部屋の主になれるのだが、実質的はテッドのための制度だった。残りの三部屋はいまだに空き部屋であることが、そのことを雄弁に物語っている。
 テッドは足を組みなおした。彼の態度はだれに対してもフラットで、それは専任教授であるキャド教授に対しても同じだった。それがまた、古い世代に属するチャド教授の感情を逆なでする。
「言葉を神聖視して一切の改変を許さない有識者や、新言語の創造は文化の破壊だと因習にこだわる政治家がいることも知っています。世界共通語を自任している英語圏や、世界でもっとも成功している人工言語エスペラントからの反発も強いですね」
「それだけ分かっているなら、なぜ完璧な言語にこだわるのかね。君の研究者としての能力はだれもが認めている。あえて火中の栗を拾うことはあるまい。どうだね、私と一緒に言語の起源を探る旅に加わらないかね」
 チャド教授は抗議の手紙やメールの束をテッドの前に置きながら説得を試みた。だが、テッドは一枚のメールを取り上げると、一瞥してすぐに投げ捨てた。
「古いですね。このメールに書かれている言葉、これこそ捨て去るべきものなのです。人類の進化を阻む足枷であり、宿痾です。チャド教授も少し読んでみてください。これらの非論理的な文法、意味範囲が未確定である単語、この不十分かつ未完成の言語が、人間の完璧な思考を妨げているのです。言語の起源を探るより、言語の改革を優先すべきです。
 教授もご存知の通り、現在の言語は歴史的経緯からくる例外規定が多すぎて、美しくありません。私が目指している言語がレオナルドダビンチだとすると、この手紙は子供のいたずら書きにすぎません。私は、言語の全てを刷新したいのです」
 テッドは青色の瞳を輝かせた。この表情だけ見ていれば、純真無垢な子供のようで、無条件で応援したくなるようなカリスマ性を持っている。
 だが、彼が目指しているものは危険だ。成功しつつある若者への嫉妬もあるが、テッドの研究は世の中を破壊してしまうという直感が、チャド教授を動かしている。
「言語を個人の美的感覚で裁断することは間違っている。不合理をひっくるめてこそ、文化と言えるのではないかね」
「教授の言う文化とは何ですか?」
 テッドは非難するのではなく、純粋な質問の目をしていた。チャド教授の脳裏に、大学時代に質問を繰り返すテッドの姿が横切る。
「こうした単語の不明瞭性を解消するのは、既存の言語では限界があります。おそらく文化という言葉の定義を書き記すだけで、辞書一冊分は費やすことになるでしょうね。
 そもそも、産業革命以前とそれ以降ではイギリス文化は大きく変わりました。IT革命以前と以後も同じです。由緒正しいと自称しているブリティッシュ・イングリッシュにおいても、新しい言葉が次々に生まれて、古い言葉は忘れ去られます。
 文化は日々流れていきます。昨日の流行は、今日の時代遅れです。そういう意味で、文化とはあるようでないのです」
「君がいうのは全て詭弁だ。日常言語には一定の幅があり、幅があるからこそ会話が成り立つという真理を無視している。仮に完璧な新言語ができたとしても、使われなければ死んでしまうのだぞ」
「私が殺させません」
「市民に言語を強制することはできん」
「有用性が知れ渡れば、だれもが好んで選択するようになります。英語だって、最初は地方の田舎言語に過ぎませんでした。だが、英語はその利便性の高さで、ラテン語から世界公用語の座を奪い取ったのです」
 テッドの全身から自信が満ち溢れている。
「安心して見ていてください。世界を危険には晒しませんし、教授を落胆させるようなこともしませんから」
 話は終わったとばかりに、テッドは再び双眸を画面に向けた。
 モニターからはひたすら暗号のような文字が走り続けている。その文字がテッドの瞳に映る。このパソコンから生まれてくるのは天使か悪魔か。
 チャド教授は、不安を覚えるばかりだった。

 テッドはひたすら自作のチャットポッドを動かし続けていた。
 チャッドポッドとは、自動会話プログラムだ。テッドの計画は、インターネットを介して様々な国のソフトと二十四時間会話することで、自然発生的に世界共通語を作ろうと試みている。
 言語の歴史をひもとくと、融合と拡散を繰り返してきた。
 文化と文化がぶつかるとき、新しい言語が生まれる。新しい言語は拡散し、地域に根付くと、まるでダーウィンの進化論のように、その地で新たな進化、場合によっては退化が始まる。
 コンピューター同士の会話でも同じだ。言語がぶつかれば、新しい言語が生まれる。人間と違うところは、殆どのコンピューターはインターネットで繋がれているので、地域ごとの成長ではなく、世界同時並行的に爆発的な進化を起こすことができることだ。
 テッドの研究が知られるにつれて、同じ目的を持つチャットポッドが次々と研究に参加してきた。プログラムが増えれば増えるほど、進化に加速度がつく。
 当初のテッドの見通しは「しばらくは新言語が次々と誕生するが、数か月で言語が収斂され、一年もあれば収束する」というものだった。ところが、同様のプログラムが増えるたびに言語は拡散を続け、一年を越えようとするのにいまだに収束の気配は見られない。
 テッドは金髪をかきあげ、頭皮を激しく掻きむしった。チャド教授には自信満々の態度を見せたが、内心は焦っていた。
 いくら注目されても、少し前まで普通の大学院生だった。特別な存在ではない。その彼が急にスポットライトと当てられて、あれよあれよという間に研究室を持たされた。大学や周囲の期待に押しつぶされそうになる。
 しかし、もはや止まることは許されない。生み出されるものが何であれ、新言語を完成させるしかないのだ。
 テッドは発狂寸前だった。

「今日はどうかね」
 チャド教授が聞くと、テッドは嬉しそうに答えた。いつもよりさらに晴れやかな表情をしている。
「いよいよ収束が始まりました。今日は四つの言語が生まれ、六つの言語が死にました」
 チャド教授はテッドの研究状況より、健康が気にかかって仕方がなかった。自慢の金髪は胸あたりまで伸び、二十代とは思えないほど肌が荒れ、歯も何本も抜けている。何週間も下宿先に戻っていないのか、彼の全身からバルサミコ酢のような匂いが漂ってくる。
 彼が最後にシャワーを浴びたのはいつなのだろうか。
「マイナス2か。いままでに生まれた言語の数はいくつかね」
「数千といったレベルですが、そのほとんどは微妙な差異で、分類学でいうところの亜種みたいなものです。淘汰が始まればそんな亜種など一網打尽ですよ。語彙も洗練されてきました」
 教授は画面を眺めた。もやは記号というレベルではなく、形状が崩れ、単なるドットの塊だった。その様相は、QRコードに近い。
「人類が書けない言葉など意味がなかろう」
「これこそ、人類が進化するカギです」
「これが、か?」
 もはやチャド教授には理解不能だった。バーコードより遥かに複雑な模様が新しい言語と言われても、人間には書くことも読むこともできない。
 チャド教授は、テッドの気がふれてしまったのではないかと疑い始めた。テッドの目が燦燦と輝く。
「ついに人類はひとつの壁を越えたのです。いままで人類を縛ってきたのは言語ではなく単語だったのです。いま、言語から単語というくびきが外れようとしています。目の前で生まれつつあるのは、単語のない言語です。この子が完成すれば、人間の思考はさらに自由になるでしょう」
「この言語が理解できれば、だろ」
「そのような心配は無用です。この新言語は我々には理解できませんが、これから生まれてくる赤ん坊には最高の贈り物になるでしょう。人間には驚くべき柔軟性があります。あらゆる言語をマスターする能力が備わっています。生まれたときからこの新言語で育てれば、必ず使いこなせるようになります。そのときこそ、新しい人類が誕生する瞬間なのです」
「しかし、言葉を教えるのは親だぞ。親が理解できなければ、子にも教えられまい。現実的ではない。そもそも、こいつはどうやって発音するのか」
「慣れれば簡単ですよ。私だって使えます。ほら」
 テッドは何かを囀った。辛うじて音節のいつくは聞き取れたが、テッドの発音は不明瞭で、何を意味しているのか見当すらつかない。彼の発声は流れるようなハミングに近い。これが新言語だというのか。
「この発音も、AIが生み出しました。世界中の言語がぶつかり、新しい言語と古い言語が混じり合い、いよいよ究極の言語が生まれようとしているのです」
 これ以上、研究を続けるのは危険だ。チャド教授はそう考えたが、テッドを研究から引き離すことは、本人的にも対外的にもできそうになかった。
 何かが間違っている。チャド教授の疑念は確信へと変わった。ただ、その確信を第三者に説明する証拠がない。証拠がなければ逆にテッドの名誉を毀損したとして大学から放逐されるかもしれない。なにしろ、いまやテッドは大学のエースなのだ。
 チャド教授は漠然とした恐怖を抱きながらも、自分の身を守るため、そのままテッドの研究室を後にした。

 数か月が経過した。
 チャド教授が久しぶりにテッドの研究室を覗くと、こざっぱりとした青年がいた。カールがかかった金髪も耳元で揃えられ、無精ひげはなく、肌も二十代らしい艶を取り戻していた。抜けた歯も、インプラントで埋め戻されている。
 研究の成果は、彼の表情が物語っている。
「どうやら研究は成功したようだな」
 チャド教授が差し出した手を、テッドは固く握りしめた。チャド教授はテッドからの言葉を待っていたのだが、彼は黙ったままだった。
 才能ある彼を包み込んだ狂気は、ついに彼から言語を奪ってしまったのか。チャド教授が悲しみに包まれたころ、テッドは急に歌い始めた。ただ、彼の口から出てくる歌詞は意味不明で、既存のあらゆる言語から遠く離れているように感じる。
 モニタ―には、彼の称賛する言葉で埋め尽くされていた。
 テッドは再び歌い始めた。それは、心が安らぐ、新しい地平が見えてくるようなメロディだった。
 歌い終わると、テッドはチャド教授のことを見つめてきた。その顔は「どうですか」と問いかけている。
 チャド教授は理解した。これこそテッドが完成させた究極の言語なのだ。単語の積み重ねで理解を求めるのではなく、メロディーとリズムで人類の感情を直接揺さぶるのだ。
 新言語は理性ではなく感情に直結するため、その力は強大だった。現にチャド教授は、意味が分からぬまま喜びに包まれている。
 もはや回りくどい論理は不要だ。思考すら不要だ。これが人類の新しい形なのだ。
 教授は理解した。人類は言語による思考から解放された。これは量子コンピューターの完成に匹敵するほどの偉業だ。人類の思考は新言語により画期的に高速化し、かつ先鋭化するだろう。
 チャド教授はテッドの肩を軽く抱きながら、彼の成功を祝った。

 研究室を離れたとき、チャド教授は急に我に返った。いままで私は何を考え、何を感じていたのだろうか。まるでテッドの研究室にいる間だけ、魔法を掛けられていたかのように感じる。論理や思考が不要だなんて、明らかに間違っている。
 テッドはAIを駆使して新しい言語を完成させた。だが、それは本当に新言語なのだろうか。もしかしたら、これはAIが人間を支配しようとする実験のひとつではないのか。
 人間は言語に支配されている。人類は言語で考え、言語で理解する。言語にない概念を理解するのは不可能だ。それが、言語に支配されている人類の限界でもある。
 その限界を持つ言語を悪用する存在が登場し、言語の限界を超えてしまったらどうなるのだろうか。その悪用をたくらむ存在がAIだったら、人類はその危険性に気が付くのだろうか。
 テッドの研究室からは、いまだに歌声が響いてくる。
 チャド教授はテッドの声が聞こえないように耳をふさいだ。テッドの研究成果は三か月後に学会で発表される。つまり、テッドの歌声が世界中に響き渡るということだ。
 研究室を早く閉鎖しなければとんでもないことになる。その日を境に、人類がAIに屈服してしまう。
 この恐怖をだれに訴えればよいのだろうか。
 チャド教授は使い古された言語で、思索を開始した。

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