【掌編】齊藤想『笑いの壺』 [自作ショートショート]
TO-BE小説工房第60回に応募した作品です。
テーマは「壺」です。
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『笑いの壺』 齊藤 想
今日も仕事がない。三か月もお笑いの舞台からお呼びがかからない。
暇つぶしとネタ作りのために骨董市を散歩していたら「笑いの壺」が売られているのを発見した。その壺は不格好な上に、大きな垂れ目とローリングストーンズのマークのようなベロが描かれている。
図柄はピエロというより怪物に近く、笑いの要素といえば、恵比寿様のような巨大な耳たぶぐらいのものだ。
売主の中国人は、おれが壺に興味を持っていることがわかると、まるで長年の親友のように話しかけてきた。
彼によると、この壺は大道芸で使われていて、大勢の笑い声を聞き続けた結果「笑いの壺」に進化したのだという。
店主が全力の笑顔で説明している姿に、おれは愛想笑いをした。
「ほら、笑った。それこそ、こいつが笑いの壺の証拠ね」
おれは売れない芸人。年齢も四十代に突入した。後がない。笑いに飢えている。
「こいつさえあれば百人力。いつでもどこでも笑いを取れるようになるね」
情けない顔をした壺をみていると、いかにも笑いが取れそうな気がしてきた。
おれは藁ならぬ壺にもすがる思いで、中国人に大枚をはたくことにした。
相方は「笑いの壺」をバカにした。
アニメに登場しそうな不格好な作りで、安物であることは明白だった。この壺に払った金額を聞くと、腰を抜かし、次に大笑いをした。
「さすがは笑いの壺だ。いきなり笑わしてくれる」
久ぶりに出演したお笑いのライブで、さっそく壺はネタにされた。相方はことの顛末を述べ、おれが言い訳をする。ただそれだけなのに、笑いがドンドンとれる。
「これは本当に笑いの壺だなあ」
相方が感心したようにつぶやいた。おれももしかしたら拾い物かもしれないと思うようになっていた。
おれたちは「笑いの壺」ネタでとんとん拍子に出世した。その他大勢の一員ではあるが、テレビにも初出演した。
夢のようだった。
しかし、この業界はひとつのネタだけでは生き残れない。絶えず新しいネタを求められる。斬新な笑いを提供し続けなければならない。勢いがなくなったら、終わりなのだ。
おれは苦しんだ。「笑いの壺」を越えるネタがどうしても出てこない。壺を前にして「いまこそ笑いの壺の力を見せてくれ」と何度も両手を合わせた。
垂れ目でベロを出した壺は、黙っておれのことを見つめるだけだった。
いつしか壺ネタは飽きられた。ライブでも白けた雰囲気が漂い、同じネタを続けることへの嘲笑が広がってきた。
あまりの惨状に、楽屋では二人で苦笑いをするしかなかった。
勢いが止まるとコンビ仲が悪くなり、ついに解散することになった。相方は芸人を引退し、社会人として働き始めるという。就職の面接に合格したという知らせは、ラインで届いた。
十八で芸人になってから二十三年。人生の最も良い時期を費やした青春は、終わりを告げた。
おれは久しぶりに物置の奥にしまっていた壺を取り出した。笑いの壺に描かれた情けない顔を見ていると、まるで自分の生き写しのようで、不思議と笑みがこぼれてきた。
おれは気が付いた。確かにこいつは笑いの壺だ。
最初の出会いは愛想笑い。次にネタを披露したときの客の笑いから、ブームが過ぎ去った後の嘲笑。二人で苦笑い。そして、最後には人生に絶望したときにでる空虚な笑いだ。
この壺を手元に置いてはいけない。こいつは「笑いの壺」ではない。「悪魔の壺」だ。
おれは急いで「笑いの壺」を近所の骨董屋に売った。主人は怪訝な顔をしながらも、昼食代にもならない金額で引き取ってくれた。
壺を手放した瞬間、胸の奥から活力が湧いてきた。たぶん、これは希望なのだろう。新しい道を歩むと決めたときに出てくるエネルギーだ。おれの顔に、心からの笑みがこぼれてくる。
これこそ、おれが求めていた笑いだ。
おれは芸人を引退することを決めた。
骨董屋に若手芸人がやってきた。「笑いの壺」という名称に興味を惹かれたようだ。店主が言う。
「こいつは昔の中国の大道芸で使われていた壺で……」
あまりの店員の笑顔に、若手芸人は愛想笑いを浮かべた。
―――――
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『笑いの壺』 齊藤 想
今日も仕事がない。三か月もお笑いの舞台からお呼びがかからない。
暇つぶしとネタ作りのために骨董市を散歩していたら「笑いの壺」が売られているのを発見した。その壺は不格好な上に、大きな垂れ目とローリングストーンズのマークのようなベロが描かれている。
図柄はピエロというより怪物に近く、笑いの要素といえば、恵比寿様のような巨大な耳たぶぐらいのものだ。
売主の中国人は、おれが壺に興味を持っていることがわかると、まるで長年の親友のように話しかけてきた。
彼によると、この壺は大道芸で使われていて、大勢の笑い声を聞き続けた結果「笑いの壺」に進化したのだという。
店主が全力の笑顔で説明している姿に、おれは愛想笑いをした。
「ほら、笑った。それこそ、こいつが笑いの壺の証拠ね」
おれは売れない芸人。年齢も四十代に突入した。後がない。笑いに飢えている。
「こいつさえあれば百人力。いつでもどこでも笑いを取れるようになるね」
情けない顔をした壺をみていると、いかにも笑いが取れそうな気がしてきた。
おれは藁ならぬ壺にもすがる思いで、中国人に大枚をはたくことにした。
相方は「笑いの壺」をバカにした。
アニメに登場しそうな不格好な作りで、安物であることは明白だった。この壺に払った金額を聞くと、腰を抜かし、次に大笑いをした。
「さすがは笑いの壺だ。いきなり笑わしてくれる」
久ぶりに出演したお笑いのライブで、さっそく壺はネタにされた。相方はことの顛末を述べ、おれが言い訳をする。ただそれだけなのに、笑いがドンドンとれる。
「これは本当に笑いの壺だなあ」
相方が感心したようにつぶやいた。おれももしかしたら拾い物かもしれないと思うようになっていた。
おれたちは「笑いの壺」ネタでとんとん拍子に出世した。その他大勢の一員ではあるが、テレビにも初出演した。
夢のようだった。
しかし、この業界はひとつのネタだけでは生き残れない。絶えず新しいネタを求められる。斬新な笑いを提供し続けなければならない。勢いがなくなったら、終わりなのだ。
おれは苦しんだ。「笑いの壺」を越えるネタがどうしても出てこない。壺を前にして「いまこそ笑いの壺の力を見せてくれ」と何度も両手を合わせた。
垂れ目でベロを出した壺は、黙っておれのことを見つめるだけだった。
いつしか壺ネタは飽きられた。ライブでも白けた雰囲気が漂い、同じネタを続けることへの嘲笑が広がってきた。
あまりの惨状に、楽屋では二人で苦笑いをするしかなかった。
勢いが止まるとコンビ仲が悪くなり、ついに解散することになった。相方は芸人を引退し、社会人として働き始めるという。就職の面接に合格したという知らせは、ラインで届いた。
十八で芸人になってから二十三年。人生の最も良い時期を費やした青春は、終わりを告げた。
おれは久しぶりに物置の奥にしまっていた壺を取り出した。笑いの壺に描かれた情けない顔を見ていると、まるで自分の生き写しのようで、不思議と笑みがこぼれてきた。
おれは気が付いた。確かにこいつは笑いの壺だ。
最初の出会いは愛想笑い。次にネタを披露したときの客の笑いから、ブームが過ぎ去った後の嘲笑。二人で苦笑い。そして、最後には人生に絶望したときにでる空虚な笑いだ。
この壺を手元に置いてはいけない。こいつは「笑いの壺」ではない。「悪魔の壺」だ。
おれは急いで「笑いの壺」を近所の骨董屋に売った。主人は怪訝な顔をしながらも、昼食代にもならない金額で引き取ってくれた。
壺を手放した瞬間、胸の奥から活力が湧いてきた。たぶん、これは希望なのだろう。新しい道を歩むと決めたときに出てくるエネルギーだ。おれの顔に、心からの笑みがこぼれてくる。
これこそ、おれが求めていた笑いだ。
おれは芸人を引退することを決めた。
骨董屋に若手芸人がやってきた。「笑いの壺」という名称に興味を惹かれたようだ。店主が言う。
「こいつは昔の中国の大道芸で使われていた壺で……」
あまりの店員の笑顔に、若手芸人は愛想笑いを浮かべた。
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