SSブログ

第8期女流王座戦挑戦者決定戦(清水市代女流六段VS伊藤沙恵女流二段) [将棋]

清水女流六段が最年長挑戦に挑みます。

【中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/joryu_ouza/

清水市代女流六段は、年齢的には羽生世代ですが、存在感は女流棋界の大山康晴十五世名人だと思います。
女流棋士番号7が示すように女流棋界創成期から活躍し、積み重ねたタイトル数は43期。
さらには運営面でも、女流王将戦復活に深くかかわっています。
まさにレジェンドである清水女流六段ですが、ここ3年は若手の壁を破れず、タイトル戦に登場していません。
今期の女流王座戦は、里見香女流四冠以外の女流3強がすべて清水女流六段とは逆側のブロックに入るというめぐり合わせもあり、挑戦者決定戦まで勝ち上がってきました。
決勝の相手は、女流3強のひとり、伊藤沙恵女流二段です。
2-5と分の悪い相手ですが、清水女流六段はこのチャンスをものにすることができるでしょか!

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/joryu_ouza/kifu/8/joryu_ouza201809100101.html

作戦は先手伊藤女流二段得意の矢倉ですが、この手順を清水女流六段は狙っていました。
早くも32手目に仕掛けると、その後も強気の姿勢で駒組段階で一本取ります。
しかし、各女流棋戦で活躍している伊藤女流二段も崩れません。
堪え難きを堪えながら徐々に陣形をほぐしていき、中盤から終盤にかけて追い上げていきます。
先に時間がなくなったのは清水女流六段。
後手が微差で残していますが、お互いの玉に詰みが見える混とんとした局面になってきました。
清水女流六段厳しいかと思われましたが、最後まで間違えませんでした。
最後の最後で再び抜け出すと、あとは若手を寄せ付けず142手まで勝利をもぎ取りました。

女流王座戦第1局 は、10月23日(火) 岐阜県岐阜市「十八楼」で行われます!
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【公募情報】樋口一葉記念第27回やまなし文学賞 [公募情報]

地方文学賞の中でも、屈指の賞金を誇ります。

【主催者HP】
http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/prize/

テーマは特段設定されていませんが、過去受賞作のタイトルを見ると、純文学系なのかな、と思います。
過去受賞作を確認するのが一番ですが、山梨県内ならともく、県外はなかなか大変かもしれません。
それでも昨年度の選評がUPされているので、ひとおり目を通すと、イメージが付くと思います。
最終選考はかなりジャンルがばらけているようです。
制限枚数は80枚~120枚、応募締切は平成30年11月30日です!

<募集要項抜粋>
募集内容:短編~中編小説
テーマ :特になし
最優秀賞:賞金100万円
制限枚数:400字詰原稿用紙80~120枚以内
応募締切:平成30年11月30日
応募方法:郵送
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

第40期女流王将戦挑戦者決定戦(伊藤沙恵女流二段VS加藤桃子奨励会初段) [将棋]

昨年度と同じ組み合わせになりました。

【女流王将戦サイト】
http://www.igoshogi.net/shogi/Loushou/index.html

女流棋界は里見香奈女流四冠、西山朋佳女王、伊藤沙恵女流二段、加藤桃子奨励会初段4人の力が抜きでています。
挑戦者決定戦が昨年度と同じ組み合わせになってもおかしくないのですが、おかしくない組み合わせが実現するところに、両者の安定性が見られると思います。
昨年度は伊藤沙女流二段の得意戦法である矢倉に対し、加藤奨励会初段が雁木で対抗。結果は伊藤沙女流二段が勝ちました。
さあ、今年はどのような戦いになるでしょうか!

【棋譜】
http://www.igoshogi.net/shogi/Loushou/kifu.html?kifu=L40k0401

ということで、将棋です。
いまプロ間で激減している矢倉戦になりました。
序盤は加藤奨励会初段のペースです。
中央の折衝から角銀交換の駒損ながら飛車を成り込み、暴れながら駒損を回復します。
そこから後手伊藤沙女流二段の粘りがよかったです。
蓄えた駒をベタベタ敵陣に打ち込み実戦的に駒を剥がすと、自陣金で加藤桃の竜と馬を追い返します。
しかし、そこまででした。
序盤のリードは大きく、先手は後手玉を包むように寄せてきます。

117手まで加藤奨励会初段が完勝して昨年度のリベンジを果たすのと同時に、里見香女流王将への挑戦権を獲得しました。
三番勝負が楽しみです!
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【書評】石山昱夫『科学鑑定~ひき逃げ車種からDNAまで』 [書評]

科学鑑定の歴史からDNA分析まで幅広く。


科学鑑定―ひき逃げ車種からDNAまで (文春新書)

科学鑑定―ひき逃げ車種からDNAまで (文春新書)

  • 作者: 石山 いく夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1998/11
  • メディア: 新書



本書で科学鑑定の基礎知識をひととおり揃えることができます。
指紋や声紋、スーパーインポーズ法など様々な鑑定の紹介から始まり、それが実際の事件でどのように使わたのかを具体的に説明してくれます。
さらにプロファイリングからDNAと本当に広いです。
個人的に印象に残ったのは、ラックストン事件です。
1935年に発生した事件ですが、徹底的な調査の末、犯罪が暴かれていきます。
実話がふんだんにでてくるので、とても興味深いです。
実録犯罪史としても読めると思います。

科学鑑定の基礎を知りたいひとのために!

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:

第31期竜王戦挑戦者決定戦3番勝負第3局(深浦康市九段VS広瀬章人八段) [将棋]

1勝1敗で迎えた決着局です。

【中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/ryuou/

竜王戦挑戦者決定戦は3番勝負です。
棋界最高峰の棋戦だけに、白熱した勝負が多く、ここ何年は2勝1敗決着が続いています。
しかも挑戦者から見て〇●〇が目立ちます。
白黒が反転しながら対局が進むということは、それだけ実力伯仲の相手との対戦になることが多いということかもしれません。
竜王戦は変則的なトーナメントとなっています。
新鋭にもチャンスがある一方で、実力者にも配慮があるバランスのとれた棋戦なのかもしれません。
どちらが勝っても竜王戦初挑戦です。さあ、最後の白星をつかんだのは、どちらの棋士でしょうか!

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/ryuou/kifu/31/ryuou201809060101.html

ということで、将棋です。
後手となった深浦九段は、後手番で愛用している雁木を採用します。
対する広瀬八段は、玉の囲いを2手で済ますと、19手目にはもう仕掛けます。
後手の駒組みが発展する前に速攻です。
3筋に拠点を作られた後手は反撃して角桂交換の駒得に成功しますが、その桂馬を急所に打ち込まれて右側の受けがなくなります。
深浦九段は、確実に攻める広瀬八段より早く先手玉に迫れるかです。
先手玉に嫌味を付けて頑張りますが、広瀬八段は冷静でした。
最後の深浦九段の突撃も冷静にかわし、2勝1敗で羽生竜王への挑戦権を獲得しました。
七番勝負第1局は、10月11日(木)・12日(金)に渋谷区「セルリアンタワー能楽堂」で行われます!
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【公募情報】セキュリティ 川柳・吹き出し・あるある!コンテスト [公募情報]

3部門の応募です。

【主催者HP】
https://www.mcafee.com/enterprise/ja-jp/microsites/mcafee-contest.html

主催者はセキュリティーソフト大手のMcAfeeです。
募集内容は、
・セキュリティをテーマに、日常のワンシーンを切り取った「川柳」
・マカフィーのセキュリティアイコンに自由にキャプションを付ける「吹き出し」
・情報システムやセキュリティで日々遭遇する出来事や気づいた「あるある!」
の3種類です。
どれも最優秀賞賞金10万円が嬉しいところです。
応募締切は平成30年10月29日です!

<募集要項抜粋>
募集内容:川柳、吹き出し、あるある
テーマ :セキュリティー
最優秀賞:10万円
応募締切:平成30年10月29日
応募方法:インターネット
nice!(5)  コメント(1) 
共通テーマ:

第66期王座戦第1局(中村太地王座VS斎藤慎太郎七段) [将棋]

中村王座が初防衛戦に挑みます。

【中継サイト】
http://live.shogi.or.jp/ouza/

中村太王座が広く知られるきっかけになったのは、第1回電王戦ではないかと思います。
2012年に(亡)米長永世棋聖がコンピューターと対戦して敗れたのですが、そのときにコンピューターの差し手を再現する代打ちとして、米長永世棋聖の弟子である中村太五段(当時)が抜擢されました。
それだけ米長永世棋聖は中村太王座を信頼し、実力を高く買っていました。
愛弟子の王座獲得を、泉下で喜んでいるはずです。
さあ、中村太王座は、初防衛に向けて先勝を上げることができるでしょうか!

【棋譜】
http://live.shogi.or.jp/ouza/kifu/66/ouza201809040101.html

先手は斎藤七段で、角換りとなりました。
お互いに一段飛車の形から、先攻したのは先手です。
3筋の歩を突き捨てから桂馬をはねるという基本通りの開戦から、露骨に角を打ち込んでゴリゴリいきます。
アマチュアなら先手が勝ちやすいですが、プロだと粘り腰が違います。
銀の割り打ちから嫌味を作り、先手に離されないようにがんばります。
我慢に我慢を重ね、後手にチャンスが来たのは129手目でした。
中村王座が攻めに専念できるターンが回ってきました。
が、もう時間がなく、妙手を発見できませんでした。
斎藤七段は辛くも逃げ切り、初タイトルに向けて幸先のよい1勝を挙げました。

第2局は9月20日(木)、ウェスティン都ホテル京都で行われます!

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【書評】F・W・クロフツ『クロイドン発12時30分』 [書評]

倒叙推理の先駆けとなる名作です。


クロイドン発12時30分 (創元推理文庫 (106-11))

クロイドン発12時30分 (創元推理文庫 (106-11))

  • 作者: F・W・クロフツ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1959/06/05
  • メディア: 文庫



倒叙推理小説とは、犯人側から書くミステリーです。
読者は犯人も犯行も分かっています。その上で、刑事たちの推理を楽しみます。

本書の主人公(=犯人)は、中小企業のオーナーです。
不況により経営難に陥り、財産家である叔父が殺害し、遺産を手に入れようとします。
叔父は遺言を書いており、主人公は財産の半分を受け取ることを知っていました。
主人公は身元を隠して犯行準備を進め、アリバイ工作もします。
完璧と思ったのですが、やはり穴がいろいろあり、徐々に追い詰められています。

ついに逮捕、裁判となり、弁護士の奮闘に一瞬希望を抱きますが、有罪の判決を受けます。
平凡な事件ですが、犯人の心理を丁寧に書くことで、実に上質の作品に仕上がっていると思います。
時代を感じさせない名作だと思います。
倒叙推理小説に興味のあるひとに!


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

【SF】齊藤想『祖母の神様』 [自作ショートショート]

第5回星新一賞に応募した作品です。
思いのほか進んでいる江戸時代の天文学を題材にしています。
知ればしるほどびっくりです。

―――――

『祖母の神様』 齊藤想

 このようなことを県立天文台の館長を務められている貴職に質問するのは筋違いもしれません。
 しかし、同じ高校でともに白球を追い続けた古い知己に頼り、また館長が日本における天文観測の歴史の第一人者と聞き及ぶにつれ、ぜひともご意見を伺いたくお手紙を差し上げました。
 ご相談したいのは、曽々祖父が発見したという神様についてです。分かりやすく書くと四代前の先祖になります。
 彼は激動の時代であった幕末から明治を生きた商人でした。商人が神様を発見したとは奇妙な話かもしれませんが、祖母からそう聞いたのです。国を堅く閉ざし、技術も未熟だった江戸時代に何を発見したのかと奇異に思われるのが普通です。
 ですが、調べ始めると面白いのもので、江戸時代は現代人が想像しているより科学技術が発達していることが分かりました。お茶を運ぶからくり人形などは、日本工芸史上に残る傑作だと思います。
 しかし、素人の調査には限界があります。
 四代前が発見した神様の正体とは何か。本当に神様を発見したのか、それとも何かの見間違いなのか。
 調査が暗礁に乗り上げたときに頭に浮かんだのが、貴職のことでした。
 職務を離れた個人的なことで大変恐縮ではありますが、話だけでも聞いていただけると幸いです。

 説明のために、祖母から聞いた話を書きます。当時、私は高校生三年生でした。
 野球部を引退し、時間を持て余していた私が久しぶりに祖母の家に顔を出したところ、祖母が真面目な顔をしてこう切り出しました。
「神様は江戸時代に発見されたんだよ」
 しかも、神様の発見者は私の先祖だと言うのです。タカシは高校で一生懸命勉強しているから、実際に頑張ったのは野球なのですが、きっと先祖の大発見を証明してくれるだろうと期待しているようでした。
 祖母の名前は彩矢といいます。いつも彩矢ばぁと呼んでいます。
 彩矢ばぁによると、先祖は貧しい農家の三男として生まれたそうです。誕生は天保年間ですから江戸時代の後半から末期に当たります。
 当時の農民は、貴職もご存じの通り、貧しいというわけではありませんが、かといって裕福ではありません。余裕のある家庭は限られています。
 先祖の家の田畑は狭く、現金収入につながる換金作物もありません。曽々祖父の家は、残念ながら貧しい農家のひとつでした。
 両親に三男を育てる力はありません。先祖は幼くして大阪に出て、ある質屋に丁稚奉公をすることになりました。
 その商家の主人は学問好きで、見込みのある若者には勉強を奨励していたそうです。先祖は主人に見込まれ、独自に学問の手ほどきを受けるようになりました。その商家は代々天文観測を趣味としており、独自の観測機器を開発し、民間人でありながら日本の天文学を引っ張るような存在だったようです。
 店主は多くの業績を残したそうですが、彼はそれだけの天文学と数学の知識を有していました。残念ながら、わが家にその商家の名前は伝わっていません。
 その後、江戸幕府が崩壊し、様々な混乱の中で先祖は暇を出されました。現在の言葉に直すと失職です。武士の一部は新政府に雇われて民間人が羨むような高給を手にしましたが、新政府の恩恵は下々にまで行き渡りません。
 特に先祖は厳しい立場に追い込まれました。なにしろ商家の仕事にはほとんど手をつけず、天文観測と学問に明け暮れた人間です。これといった技術もつてもなく、失職後は大変な苦労をしたようです。
 他の奉公人からの評判も良くありません。
 同僚からすれば、先祖は本業の手伝いをせず、主人の寵愛をよそに遊びほうけていたようなものですから、時代が変わると同時に路頭に放り出されるのは当然だったかもしれません。だれも助けてくれません。雇主だった質屋の主人も、代が替わり、その頃には先祖を助ける余裕がありませんでした。
 先祖が経済的にひとごこち付いたのは、明治も中頃になってからです。
 商家の主人に見込まれただけあって先祖は優秀な人間だったらしく、自ら商売を起こし、それなりの成功を収めたそうです。
 苦労を重ねているうちに、先祖は老人になっていました。
 商売は長男に託して隠居し、悠々自適の日々を過ごしていたそうですが、突如として若い頃の情熱が蘇り、天文観測を自費で再開したそうです。
 じっとしていられない性分だったのでしょう。盆栽いじりに飽きたのかもしれません。
 時間も金も余裕がある中で、自ら天文観測をするのと同時に、質屋の主人が残した観測記録や、江戸幕府に秘蔵されていた各種書面の写しを入手して研究しました。その結果、先祖は驚くことべきことを発見したのです。
「この世には神様が存在する」
 しかも、江戸時代には既にその痕跡が記録されていたというのです。いままで誰も気が付かなかっただけで、見えるひとには明瞭に読み取れるほどの足跡だったそうです。
 先祖はその”発見”に夢中となりました。蔵に蓄えられた莫大な金銀を食いつぶしながら望遠鏡を自作し、観測し、神様の存在を”証明”することに熱中しました。
 しかし、その頃には、江戸時代にともに研鑽してきた天文観測仲間はこの世になく、先祖の研究を理解してくれるひともいませんでした。
 しかも内容が内容です。おまけに、当時の日本には、江戸時代は全て悪だという空気が充満していました。
 あまりに時期が悪すぎる。
 先祖は発表の機会を待つべく、研究結果を自宅にしまい込みました。しかし、発表する機会はついに訪れませんでした。時代の歩みは先祖の寿命を待ってくれませんでした。
 息子からすれば、財産を食いつぶす父親の趣味を快く思うわけがありません。先祖が研究を抱いたまま死亡すると、後取りは天文学など疫病神とばかりに、先祖が丹精込めて作り上げた観測器具と観測記録は、土蔵の倉庫に捨てておかれました。
 そして、太平洋戦争の空襲で、全て灰燼に帰しました。
 いま残っているのは、祖母が教えてくれた語り聞きのみです。先祖は、神様の正体について、祖母にこう伝えたそうです。
「見ることも、触ることも、音を聞くこともできないが、確実に存在する。それは、天球運行表を見れば読み解ける。神様は大いなる力で、宇宙を支配している」
 私個人の感想を問われれば、もちろん神様の存在を信じることはできません。その一方で、先祖が何らかの発見をしたことを確認したい気持ちもあります。
 先祖は何を見て、何を発見したのでしょうか。
 結論を求めるものではありません。強いて回答を求めるものでもありません。もちろん職務とは何ら関係がありません。
 それでも、自分の好奇心を抑えることができません。
 勝手なお願いで大変恐縮ですが、貴職のご意見をお聞かせ願えれば幸いです。よろしくお願いいたします。


 お手紙ありがとうございます。興味深く拝見させていただきました。
 高田君のことならよく覚えています。確か二学年下で、練習試合でファールフライを追いかけることに夢中になり、相手チームの監督にダイブして一撃でノックアウトしたのは野球部の伝説になったと聞いております。
 その高田君がいまでは県幹部職員となり、部署は違えとともに仕事をするのですから人生とは面白いものです。
 さて本題に移りますが、実は高田君のご先祖様が発見したものの正体がおぼろげに見えてきました。
 種明かしをする前に、まずはご先祖様の奉公先について説明しましょう。
 天文観測好きの質屋は存在します。それは十一屋という大阪の豪商です。
 特に有名なのが、寛政から文化にかけて活躍した七代目の間重富です。通称は十一屋五郎兵衛とよばれていました。倉が十一個もあったことから十一屋と呼ばれたのですが、重富の代には十五個まで増えました。
 彼は後取りのボンボンではありません。若くして父を失い、家業を継いだのは彼がまだ十代のころでした。かなり優秀な人物だったようで、火災であらかた失った家財を一代で立て直すなど、順風満帆だけでなく苦労を知る有能な経営者でもありました。
 間重富は単なる天文好きの豪商といったレベルではありません。
 江戸幕府で天文方をしていた高橋至時とともに寛政改暦を完成させ、さらに高橋至時の亡きあとは商人でありながら幕府天文方の指導者となり、実質的に幕府の天文研究を取り仕切っていました。晩年には日本で一番の天文学者となったのです。
 とくに観測器具の制作に優れた指導力を発揮し、天文観測専用の振り子時計「垂揺球儀」や、天体の地平から高度を測る「象限儀」などを完成させました。
 ご先祖様が仕えたのは、おそらくは重富の息子、重新の晩年でしょう。重新は若い頃から父の補佐をしながら天文学を学び、オランダ製の屈折式望遠鏡や、イギリス製の反射式望遠鏡を所有して数々の業績を残しました。白昼の水星南中観測を成功させ、未完に終わったものの、清濛気差と呼ばれていた空気の揺らぎによる光線の屈折を研究しました。
 鎖国時代というと海外の文物は入ってこないと勘違いされがちですが、厳しかったのはキリスト教だけで、宗教と無関係な文物については比較的寛容でした。特に科学技術関係は積極的に輸入され、江戸幕府の翻訳センターともいうべき蕃書調所は三千冊以上もの洋書を所有していました。
 もっともこれは昭和二十九年に上野図書館で発見された洋書だけであり、大政奉還の混乱時に散逸した可能性を考えると、倍以上あってもおかしくありません。また、幕府が入手していなくても、諸藩や民間人が所有していた本もあります。当時の日本には一万冊以上の洋書が出回っていたものと推測されます。
 天文観測は江戸幕府にとっても重要な仕事です。星空を観測し、日誌を付け、その記録を基礎資料として新たな暦を作っていました。
 当時の日本人の大多数である農民は、暦をもとにして種をまき、作物を育てます。暦には春分の日や秋分の日だけでなく、月食や日食の予測まで書かれています。しかも食の範囲と時刻もです。予測が的中してこそ、農民たちは暦を信じ、安心して作物を育てることができます。
 当時の日本にとって、暦とは政治そのものでした。
 暦の権威を守るためには、予測が正確でなければなりません。
 江戸幕府はさらに精度を上げるため、専用の天文台を建設しました。しかも周囲の環境が変わり、観測に不向きとなると移転するほど力を入れていました。
 天明二年に完成させ、後に司天台と呼ばれた浅草の天文台は、二百町四方の敷地に三丈一尺の露台を築いていました。そうした専門施設で、江戸幕府は星空を日々観察していたのです。
 重新の次代からは幼い当主が続き極端に衰えましたが、それでも間家は幕府から天文観測の命令を受けて星空の記録を取り続けていました。ご先祖は重新に才能を認められて天文観測に従事するようになったのですから、幕末まで続けた可能性が高いです。
 高田君は伊能忠敬が作成した伊能図をご存知でしょうか。
 現代地図と見間違えそうな精巧な図面ですが、この地図が作成されたのは間重富の時代です。それもそのはずで、伊能忠敬は間重富の弟子なのです。
 あれだけの図面を作れたのは、間重富が仕込んだ天文観測技術があってこそです。
 伊能忠敬は地上の測量と平行して天文観測を実施し、随時、緯度経度を補正することで誤差を修正しました。もちろん、伊能忠敬は地球の大きさを知っていました。ただ知るだけでなく、実地測量で確かめることもしました。
 江戸末期は、欧米から次々と新しい知識が入り込む時代でもありました。
 間重富の晩年にはすでにニュートン力学が日本に伝わっていました。ケプラーの第三法則にいたっては、日本に伝わってくる前から発見されていました。地球の軌道が真円ではなく楕円であることは間富重の時代から遡ること一〇〇年前の五代将軍徳川綱吉の時代には観測されていました。さらにその楕円軌道の軸が毎年変動していることも、公転が等速運動ではないことも知られていました。もちろん彗星の軌道も計算できました。
 ご先祖様が仕えていたと思われる重新のころには天王星の観測も始められており、理論値と実測値が異なる原因について議論されるレベルに到達しています。
 高田君も言われているように、一般に流布されているような江戸時代が無知蒙昧の時代という認識は誤っています。長年の平和のおかげで、新進気鋭に富んだ科学者が多数輩出された時代でした。
 ですから、ご先祖様がどのような発見をしていたとしても、驚くにはあたりません。
 観測技術はいまより劣りますが、彼らには時間があります。同じ星を百年単位で追い続けるという気の長い観測は、現代人にはまねできません。
 確かに現在は観測精度が恐ろしいほど向上しています。しかし、時間軸の長い観測という意味では江戸時代に完敗です。歴史が違いすぎます。
 そういえば、ご先祖様が発見したものの正体をまだ述べていませんでしたね。手紙を書いているうちに楽しくなってしまい、ついつい長くなってしまいました。
 いまからご先祖様が発見したものを書きます。
 これはあくまで私の推測と、ある種の願望から述べるのですが、ご先祖様は「暗黒物質」を発見したのではないかと考えております。
 暗黒物質とは現在の天文観測技術をもってしても観測不可能ですが、質量を持ち、その重力でもって宇宙を動かしている物質です。天体観測を続け、星々の動き計算した結果、存在していると推定されている物質です。暗黒物質の特徴を並べていくと、ご先祖様が発見した神様と驚くほど一致します。
 古来より、人類は宇宙と神を結び付けてきました。ご先祖様が発見した「暗黒物質」を神様と呼んだのもある意味では当然だといえます。
「そんなことありえない」
 そう思われるのが普通です。しかし、科学の歴史とは、ありえないことが起こり続けてきた歴史でもあります。
 高田君はフェルマーの最終定理をご存じでしょうか。フェルマーは一六四〇年頃に数学上の問題についてある証明をなしえましたが、証明方法を残しませんでした。その問題がとてつもない難問で、後世の数学家が一斉に証明に取り組んだがまったく解けず、最終的に証明されたのが三百六十年後です。
 定説ではフェルマーの勘違いとされていますが、私は同意できません。
 小学校の図形問題である辺の長さを求めるとき、大学レベルの知識を用いれば計算で答えを導くことが可能です。しかし、この手の問題は、補助線を一本引いたり、図形の見方を変えたりすれば、瞬く間に解けるものなのです。
 フェルマーの最終定理にしても、我々は補助線をどこに引けばいいのか分からないだけで、フェルマーには一本の筋が見えていたような気がするのです。そうでなければ、真実であると証明されるわけがありません。仮定のほとんどは否定され、消え去る運命にあります。真実と証明されたこと自体が、フェルマーの発見が真である証拠だと私は思っています。
 暗黒物質についても同じです。
 常識的に考えれば、江戸、明治の観測技術で発見できるとは思えません。しかし、何らかの証明をしたことを否定することもできません。
 幕府最後の天文方であった山路家は、幕府瓦解とともに百年に渡って書き継がれてきた観測記録を廃棄してしまいました。間家も明治三十六年に直系が絶え、明治四十三年に裁判所の許可があり絶家となり資料が散逸してしまいました。いまとなっては、惜しい記録です。
 おそらくご先祖様は、間家のつてを頼って山路家の記録を独自に入手したか書き写したかをしたのでしょう。それに間家で続けられた観測記録を加えれば、数百年にも渡るデータが揃います。京都で暦の計算をしていた陰陽頭の土御門家の資料も手にしていたかもしれません。そうすれば千年単位のデータが得られます。
 すでにニュートン力学は知られていました。膨大なデータから様々な計算をして、見えないけど宇宙を動かす何かを見出したのかもしれません。
 それを、ご先祖様は「神様」と呼んだのでしょう。
 確かに暗黒物質の振る舞いは神様に似ています。何も言わず、何も聞こえないのですが、この世に存在して私たちを見守り続けています。そして、多いなる力で、宇宙の全てを動かしています。
 惜しむらくは、全ての記録が灰になってしまったことです。
 ご先祖の発見については、今後も謎のまま残ることでしょう。私も高田君のご先祖の発見に思いを馳せながら、研究に励みたいと思います。
 久ぶりに知的に興奮いたしました。またお手紙をいただければと思います。今度は日本酒を酌み交わしながら、ゆっくりと宇宙の話をしましょう。
 それでは、また。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:

【ショートミステリ】齊藤想『困った隣人』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第41回)に応募した作品です。
テーマは「隣人」でした。

―――――

『困った隣人』 齊藤 想

 広田孝之と千佳子の幸せな新婚生活は、新居となるマンションに引越した当日に破壊された。
 問題は隣人だ。推定年齢八十歳。一人暮らしの老婆。まだ荷ほどきも終わっていない時間帯に、彼女はやってきた。彼女は呼び鈴を鳴らすこともなく、玄関のドアを開けてきた。
「あんたねえ」
 無礼をわびるどころか、いきなりの仁王立ちだ。毛玉だらけでダボダボのウォーキングパンツ。このいでたちで平気に外に出られるところに、世代を感じる。
「挨拶もなしに引越しとはいい度胸じゃない。最近の若者は最低限の礼儀すらしらないんだねぇ」
 礼儀がないのはそっちだろう、と言いたいのを孝之はぐっとこらえる。
「今朝越してきたばかりですが」
 そう言いながら、孝之は用意してきた蕎麦を差し出した。
「ふん」と鼻であしらいながら、老婆は商品名を目線で探している。それなりの品だと確認すると、無造作に孝之の手から物をふんだくった。
「こっちは年寄だから昼寝をしないと体が壊れちまう。最近の若者は夜中にテレビをつけるわ、スマホ片手にゲラゲラ笑い転げるわでうるさくてかなわない。騒音のせいで調子が悪くなったらアンタらのせいだ。病院代をタクシー代込みで請求するからな」
「あまりに無茶ですよ」
「ムチャもヤムチャも何もない。いいか、わかったな」
 老婆はひととおり喚き散らすと、大きな音を立てて隣の部屋に戻っていった。この隣人とこの先何年付き合えば良いのだろうか。千佳子が心配そうに、孝之を見つめていた。

 老婆の来襲は毎日のようだった。宅配ピザが来たといえば怒鳴り散らし、宅配業者が来たといえば足音で不眠症になったと小金をせびりに来た。
 家にいることの多い千佳子はさらに大変だった。洗濯物をチェックしては「ハレンチ」だと千佳子を娼婦のように面罵し、ポストの中身を見ては「カタログショッピングなんて安物買いの銭失い」とつばを飛ばす。
 最悪なのは、夫婦に預金がないことだった。結婚式と新婚旅行で使い果たし、引越そうにも資金がない。頼れる親戚もいない。
 それに、近隣相場と比べてこの部屋は格安なのだ。立地も設備もよく通勤にも便利。その好条件が落とし穴だった。激安で販売された理由をもっと探るべきだった。いまさら売りに出しても買手はつかないだろう。孝之が購入したときだって、前所有者から三年のブランクがあったのだ。
 新生活が始まって二か月がたった。
 老婆の攻撃は悪化した。最近は壁に聴診器を当てて部屋の様子を伺っているらしく、孝之に対しても「若いからお盛んなのねえ」とか「くだらないバラエティばかり見ているんじゃない」とか口にする。顔を見せれば文句か嫌味だ。
 千佳子は精神的におかしくなり、ノイローゼの気配が出ている。
 もう限界だった。老婆を殺すしかない。幸いなことに、老婆には親しい友人も親戚もいないようだ。死んでもだれも気が付かないだろう。あの性格からすれば当然だ。
 季節は冬。老婆は小柄で、しわは深く、まるで固く絞って乾かしたぞうきんのような顔している。窓を開けて風通しをよくしておけば、死体は腐敗せずに死蝋化するかもしれない。いわゆる天然のミイラだ。そうなれば腐乱臭も発生しないので、何年も発見されなくてもおかしくない。
 昼間の老婆は寝ていることが多い。
 千佳子に心配をかけないよう、孝之は出勤をするふりして玄関を出た。漫画喫茶で適当に時間をつぶし、マンションに戻る。
 このマンションは、昼間はほとんど無人になる。千佳子もアルバイトに出かけている。殺人を犯すにはぴったりだ。
 孝之は指紋をつけないように手袋を二重にはめ、老婆の部屋に侵入した。老婆はカギをかけないので侵入するのは容易だ。
 案の定、老婆はコタツの中で寝ていた。どうやら書き物をしていたようで、書きかけの便せんが置いてある。そのタイトルに孝之は興味を覚えた。遺言書とある。その内容は、なんと遺産の全てを隣りの夫婦に譲るとある。
 遺書は続く。「親しい友人も親戚もなく、文句を言うだけが生甲斐のこの私の口撃に我慢してくれて感謝する。千佳子さんには悪いことをした。相続人がいないばかりに財産を国に没収されるのは悔しいので、広田家にくれてやる。いつまでも隣にいてくれ」
 孝之はなにもせず老婆の部屋を出た。
 あの老婆だから、何度も殺されかけたことあるだろう。これが老婆の作戦かもしれない。それでも、もう少しだけ、我慢してみようという気持ちになった。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ: