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【掌編】齊藤想『戻ってきた場所』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房第67回に応募した作品です。
テーマは「忘れ物」です。

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 『戻ってきた場所』 齊藤想

 夏の甲子園の決勝戦には、幾重もの物語が詰まっている。
 高校二年生の門脇啓太は、その舞台に自分がいることが信じられなかった。
 門脇が通う緑光学園は平凡な公立高校で、甲子園など夢のまた夢だった。それが啓太のひとつ上の世代にDDコンビと呼ばれる中村大輔、山田大地という名門校が羨むエースとスラッガーが同時入学したことで、一気に甲子園までの階段を駆け上がったのだ。
 啓太も、DDコンビにあこがれて入部したひとりだった。
 DDコンビは、あらゆる面において卓越していた。
 野球の技術だけでなく練習法、心構え、さらにはリーダーシップもずば抜けていた。
 緑光学園野球部は、DDコンビに引っ張られる形で、部員たちの猛練習が始まった。
 高校も、野球部を全面的にバックアップしてくれた。練習場や選手集め、さらには実績のあるコーチ陣まで招聘された。
 県内の注目を浴び続けた緑光高校だが、DDコンビが高校三年の夏を迎えるとき、ついに甲子園の優勝候補の一角と言われるまで成長していた。
 そして、ついにたどり着いた大舞台。夏の甲子園の決勝戦。
 一点リードで迎えた九回裏。相手チームの最後の攻撃。ツーアウトランナーなし。深紅の優勝旗は目前だった。
 最後の打者が平凡なライトフライを打ち上げた。これで試合は終わるはずだった。
 ところが太陽の光が目に入り、啓太は打球をグローブに収めながらも落球した。
 マウンドに立つDDコンビの中村大輔が笑いなが手を振る。同じくコンビでキャッチャーをする山田大地がホームベース上から全員に声をかける。
 まだ余裕がある。相手チームは下位打線。あと1人で勝利という状況は変わらない。
 次の打者に、エースの大輔が渾身の直球を投げ込む。ところが、力が入りすぎたのか、吸い込まれるようにど真ん中に入る。それを相手打者はこれ以上ないドンピシャのタイミングで打ち返す。
 打った相手が一番びっくりの当たりだった。
 逆転のツーランホームラン。
 啓太は頭の中が真っ白になった。自分がエラーしなければ優勝していた。みんなの努力を一瞬で無にしてしまった。
 試合後、啓太は球場からどうやって宿舎に戻ったのか思い出せなかった。とにかく泣いて、詫びて、あとは言葉にならなかった。
 こうして、啓太は甲子園に取り返しのつかない忘れ物をしてしまった。

 DDコンビが卒業したと同時に、野球部は弱小高校に戻った。
 啓太はどうしても甲子園に戻りたかった。忘れ物を取りに行きたかった。自分のエラーが原因で優勝を逃したという痛恨の記憶を乗り越えたかった。
 幸いなことに、コーチ陣は全員残留してくれた。甲子園出場で入学希望者が増えたこともあり、高校からの支援が継続されることが決まったのだ。
 啓太は必死になって練習した。自ら嫌われ役となり、後輩に叱咤激励を繰り返した。
 県大会は、一回戦から苦戦の連続だった。
 相手にリードを許すたびに、啓太は甲子園の忘れ物を思い出した。忘れ物を取り戻したいという思いが、チームを苦境から引っ張り上げた。
 そうして、奇跡といえるような快進撃で、緑光学園は二期連続の甲子園出場を決めたのだ。
 あこがれに舞台に戻ってきたものの、さすがに甲子園は甘くはなかった。一回戦で優勝候補の強豪校と当たり、県大会ならコールド負けになるような惨敗を喫した。
 だが、啓太は野球をやりきったというすがすがしい気持ちに包まれた。涙は一滴も流れなかった。
 甲子園ともお別れだ。そして青春をつぎ込んできた野球とも。啓太が感謝の気持ちで深々とグラウンドに頭を下げたとき、後輩に声をかけらた。
「今度は忘れ物をしないでくださいね」
 啓太は笑いながら答える。
「ここに戻ってくれたのも、去年の忘れ物のおかげかな。いままで辛い思いをさせて悪かったな」
「そんなことないです。いままでありがとうございます。今度はぼくたちが忘れ物をして、後輩たちを甲子園に連れていきます」
 啓太は後輩とがっちりと抱き合った。
 今度は忘れ物をしない。
 啓太は白い袋を取り出すと、球場に漂う埃とともに、球児の宝物である甲子園の土を詰め込んだ。

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