SSブログ

【掌編】齊藤想『雪の顔』 [自作ショートショート]

平成27年ゆきのまち幻想文学賞に応募して、予備予選を通過した作品です。

―――――

 『雪の顔』 齊藤想

 モンタナの冬は早い。十一月に入ると町全体が冬化粧を始める。大地にはうっすらと霜が降り、町全体が白い靄に包まれる。大陸性の乾いた空気が大地をなぎ、辛うじてしがみついている草花を凍らせていく。
 住民たちは慣れたもので、秋風が吹き始めると早々に冬ごもりの準備を進めていく。これから長い冬眠生活が始まるのだ。
 わが家もすっかりとモンタナの冷気に包まれた。防寒用に特別に配置した二重ガラス窓もしんと凍りつき、夏には青々としていた芝生もとうに枯れ果てた。
 厳しい環境が続く外に比べて、冬支度の完了した室内は穏やかなものだ。
 暖炉にくべられたまきが火の粉を飛ばしながら弾け、安楽椅子に揺られている私の下半身を暖めてくれる。暖炉の上に置いてあるラジオは、雪雲などものとせず電波を受け続けている。
 燃料はいくらでもある。いざというときの保存食も蓄えてある。毎年繰り返される、何も変わることの無い光景。
「今年ももう冬ね」
 妻の感想に「ああそうだな」と私は自動人形のようにうなずく。
 ラジオは季節を置き去りにしたかのように、ビートルズの最新曲を披露している。わが家に届いたばかりのカラーテレビは、わが軍がラオスに侵攻し、ベトナム戦争がさらに泥沼化していく様子を不安そうに報道していた。
 変わっていくのは、日常から離れた遠くの世界だけ。ラジオとテレビを通じて、少しだけ世間とつながっている気分になる。
 私は不愉快な映像から逃げるように、暗くなった庭を眺めた。太陽が少し傾いたと思ったらまもなく夜のとばりが降り始める。
 日が蔭ると気温は一直線に下降する。出番を待ちかねていた雪雲は、準備万端とばかりに綿毛のような雪を吐き出す。
 ひとつひとつの雪が、ゆっくりと地上に降りてくる。様々な結晶が窓に映る。
 私は、白い珠をじっと見つめた。
 雪の結晶には顔がある。笑っている顔もあれば、泣いている顔もある。未来に希望を抱えた若い夫婦もいれば、日々の生活にいそしむ子だくさん三世代の大家族もいる。
 みんな別々の顔になって、私の目に飛び込んでくる。

 雪の結晶が人間の顔に見えるようになったのは、いつのころからだろうか。
 きっかけといえるようなものはある。大学の講演で聞いたある教授の言葉だ。
「空から降る雪には、ひとつとして同じ結晶はないのです。それは、人間ひとりひとり全て顔が異なるのと同じです」
 そのときはそうなのか、としか思えなかった。講演の後で自宅に帰ると、庭は一面の雪景色だった。その雪を踏みつけながら、庭を横切るとき、どこからか声が聞こえてきた。雪の結晶たちが、靴跡の下から「痛い、痛い」とささやいてくるのだ。
 最初はただの空耳だと思っていた。久しぶりの外出で疲れたのだろう。
 しかし、空耳は日を追って強くなり、いつしか、雪の結晶が人間の顔に見えるようになった。
 最初は踏まれて「痛い」と言っているのかと思った。しかし、後にそれは違うということに気づかされる。それは、私の心の底に潜む、重苦しい十字架。長らく封じ込めてきた地獄の門のさらにその奥に向って、言葉を投げつけてくるのだ。
「あなた電話よ」
 妻が私のことを呼ぶ。内容は聞かなくても分かっている。またあの話だ。
「もう話すことはありません」相手にそれだけを告げると、受話器を静かに置く。電話越しに愚痴のような声が漏れてきた。私は無視した。
 妻が私のことをたしなめる。
「少しぐらい話してあげてもいいじゃありませんか。あなたはいまでも英雄なのだから」
「元英雄だよ」
 私は唇の端を曲げながら答える。
「いまはベトナムで苦戦中なのだから、あなたのような英雄が国民を元気づけなくてどうするのですか」
「いや、その……」と私は声を濁した。戦争の英雄になるということは、敵国の人間をたくさん殺すことだ。そういう意味では、確かに英雄なのかもしれない。しかし、それは血塗られた英雄だ。恥ずべき勲章だ。
 そこまで思い浮かべると、私の心は遠くに飛んでいった。
 
 モンタナに移住したのは、第二次世界大戦終結後の間もない頃だった。
 この地を選んだ理由は特にない。戦争で十分に財を蓄えたので、第二の人生では牛や馬を放牧してのんびりと暮らそうと思った。
 人生設計は完璧だった。綻びはなにひとつ見つからなかった。モンタナの無垢な雪たちが、ひそひそ声で囁き始めるまでは。
 かつての戦地で、オリンピックが開催された。
 当時の私は長年英雄として祭り上げられていたこともあり、意気揚々として、占領軍が乗り込むような気持でオリンピックと日本観光を楽しんだ。まるで親のような気持で、日本人選手を無邪気に応援をした。日本人は総じて親切だった。
 もちろん、私を英雄にしてくれた現場にも向かった。一時は廃墟となっていたこの街もすでに戦争の面影はなく、復興した姿で旅行者を迎えてくれた。現地の資料館に飾られていた焼け野原になった降伏直後の写真を見ても、何の感慨も湧かなかった。ゴミ溜めのような町をゴモラの火で浄化した神様のような気持だった。感謝されても良いとまで感じていた。
 そのような私の気持ちを揺さぶったのは、ある本に掲載されていた一枚の写真だった。
 その白黒写真には顔かたちの判別がつかないほど黒こげになった遺体が写されていたが、なぜか背中に一部だけ白い肌が残っている。不思議だなあと思っていると、写真の隅に小さな黒こげの遺体があることに気が付いてしまった。
 この遺体は親子だった。赤ん坊をおぶっているときにやられたのだ。
 その瞬間、私が殺した三十万人という人間が、数字ではなくひとつひとつの顔となって迫ってきた。数字の数だけ人生がある。三十万の人生を、私は上司からの命令とはいえ、すべて消し去ってしまった。
 しかも、彼女たちは武器一つもっていない無抵抗の民だ。
 英雄だと祭り上げられていた自分が恥ずかしくなった。いや、本当は痛みに気が付いていた。それなのに、自分は英雄だと祭り上げられることを積極的に受け入ることで、込み上げる罪悪感に蓋をしていたのだ。
 私にとって誇れるものはなにもない。
 人生の全てが、嫌悪感という雪雲に包まれていった。
 
 モンタナにいると罰を受けているような気持になる。
 積もった雪は、いつかは溶ける。春になれば、ゆきたちは形を変え、まるで何もなかったかのように消えてしまう。
 冬の間、私にいろいろな話を聞かせてくれた雪たちは、太陽に焼かれ、悲鳴を上げながら顔かたちを崩していく。あの日、私は上空一万メートルにいて、見ることも気が付くこともできなかった。真夏の太陽の下で、気持ちよく飛行機を飛ばしていた。巨大なきのこ雲を見て喜んでいた。
 彼女たちは怒っているだろうか、それとも悲しんでいるだろうか。もしまだ生きていたら、どのような人生を歩んでいるのだろうか。どのような喜びを積み重ねているだろうか。
 妻が少し外に出ると、小さな雪だるまを持ってきた。
「近所の子供がたくさん作っていたから、ひとつもらってきたの」
 そうか、と私は答える。
「雪だるまは、何か話しているかしら?」
 私は息を飲んだ。妻はとっくの昔に気がついているわよ、という表情をした。
「雪たちだって、ジョーを苦しめるために降っているわけじゃないの。高いところで偉そうに座っている雪雲に命じられて、地上に向っただけ。そのあげくに踏みつけられ、春になれば太陽に溶かされ、ときには雪だるまにされる」
 妻はひと呼吸おいた。
「それが人生というものよ。だれも助けてくれない。人生の価値は自分で決めるしかない。たとえそれが苦痛に背骨が歪むような悲しい出来事だったとしても」
 テーブルの上に妻が淹れたコーヒーが置かれた。台所からリビングまで湯気が線のように繋がり、空気に染み込むように香気が広がっていく。
 雪はいつしか消えていく。
 私もいつか、雪のように、人生から消えていく。それまで、良心にさいなまされ、苦しめらながら、妻と手を取り合いこの地で生きていく。神の助けは決して来ない。
 それで良いのかもしれない。ふと、そんなことを思った。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ: