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【掌編】齊藤想『てふてふ婦人』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房第61回に応募した作品です。
テーマは「名前」です。

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 町制百周年記念誌の編集作業中のことだ。編集委員に任命された町役場庶務課の本間美恵が、不思議な名前に気がついた。
「この”てふてふ婦人”って何のことかしら?」
 資料は明治時代の来町録だ。辺鄙な山村に訪れた有名人を、町役場がこまめに記録している。”てふてふ婦人”はかなりの大物らしく、来町録に訪問日だけでなくもてなしの数々も記載されている。
 町の歓迎ぶりは半端ではない。林業で財を成した町長が、当時珍しい自家用車で完成したばかりの駅まで迎えにいき、地元の珍味だけでなく、キャビアやフォアグラなど海外からも食材を取り寄せている。
 ちょうど缶詰が実用化された時代だったから可能だったのだろう。
 よほど嬉しかったのか、駅の脇には”てふてふ婦人来町記念碑”まで建立されている。
 来町するだけで自慢となる超大物なのに”てふてふ婦人”の正体が分からない。
 ネットで検索してもヒットしないし、古老や町役場ОBにも聞いても首を捻るばかり。 
 しかたなく原稿には”てふてふ婦人来町”と書いたが、すっきりしないモヤモヤ感だけが美恵の胸に残った。

 本間美恵が町役場に入庁したのは、希望ではない。むしろ不本意だった。
 明治時代には林業で栄えたこの町も、昭和五十年代からの木材自由化の波に洗われ、いまや人口でいえば村と替わらない。
 美恵はさびれた町が嫌で、高校卒業とともに東京に出てアニメの声優を目指した。業界に入れたものの、生活するだけの収入を得ることができず、アルバイトとの二重生活に疲れ、夢破れて故郷に戻ってきた。
 人口減に悩む町としては、若者が都会から戻ってきただけで大歓迎だ。永住させるために町役場職員の仕事を用意した。
 だが、恵美としては、町役場職員の座は足掛けの気持ちしかない。少し休憩し、お金がたまったら再び東京に出るつもりだ。そんなときに割り振られたのが、町制百周年記念誌の編集作業だった。
 資料は少なく、編纂は快調に進んだ。人口が少ないため、古老からの聞き取りも一週間で完了させた。
 残る謎は”てふてふ婦人”だけだった。
 寂れた町役場にいてもそうそう仕事があるわけではない。暇つぶしに、美恵は資料を丹念に読み解いた。
 てふてふ婦人は、新設舞台のこけら落としに招かれたようだ。
 林業が盛んなころ、町にはお金も元気もある若者が溢れていた。そこで町役場は、若い男性向けの娯楽として、豪華絢爛な舞台を建設したようだ。
 恵美は”てふてふ婦人”の正体を想像した。
 婦人というからには女性だろう。舞台に映えるのは女優だ。しかし、一人では舞台を務めることができない。記録だと少人数のようなので、どうも違うようだ。
 歌手なら可能性がるが、有名人ならネットに名前がでてくるはず。
 すると名前の残らない芸人だろうか。いくら高名の芸人といえ、明治時代に芸人をたたえる碑ができるとは思えない。
 美恵の調査は完全に行き詰った。想像するだけで資料がない。記念碑も来町した日時が刻まれているだけだし、来町記録にも舞台で何を披露したのか残されていない。
 お正月の挨拶に行政書士を開業している叔父がやってきた。恵美が町役場に入ったと聞き、町の仕事がないかと探している目だ。
 恵美は、”てふてふ婦人”の話を叔父に伝えた。資料のコピーを見せる。
 叔父は簡単に答えた。
「これはねえ”てふ”と書いて”ちょう”と読むんだよ」
「え、なにそれ?」
「まあ、これは人名だけに使われる特殊な読み方で、かなりのレアケースなのでほとんど知られていないと思う。だから彼女の正体は蝶々夫人だね」
 美恵は急いで調べた。来町したのは、明治時代に蝶々夫人を演じて大人気となった三浦環だろう。かなりの大物だ。
 仕事があったら声をかけてね、と言い残して叔父は去った。
 恵美は想像した。町役場の隣にある新築の舞台。そこに蝶々夫人に扮した三浦環の美声が響く。興奮する男たち。町に溢れる活気。
 窓を見ると、雪がちらつき始めた。町長は町に活気を取り戻そうと、スキーリゾートの計画を推進しているが、手を上げる事業者はいないらしい。
 この町はこの町らしくあれば良いではないか。町の歴史を胸に抱きながら、恵美はそんなことを思った。


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