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【掌編】齊藤想『第二ボタン』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第26回)に応募した作品です。
テーマは「ボタン」でした。

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 『第二ボタン』 齊藤想

 これは一種の病だったのかもしれない。けど、このボタンだけは真実だと信じたい。
 中学時代、あこがれの先輩から制服の第二ボタンをもらうことが流行していた。大人気の先輩になると、ポケットに予備のボタンを大量に入れておき、じゃらじゃら言わせながらご褒美の飴玉みたいに後輩へ渡していた。
 けど、私の先輩は違う。その瞬間はいまでも脳裏に焼き付いている。
 ある日の夕方。仲良しの美穂が先輩を呼んできてくれた。がらんどうになった放課後の校舎の四階。ひとけのない廊下の行き当たり。私の目の前、わずか十五センチ前に立つ先輩。気を利かした美穂がそっと遠ざかる。夕日が妙に赤い。
 傾いた太陽に押されるようにして、私がさらに一歩前に出る。両手を胸の前で交差させる。いつも遠くで見ていました。先輩がスリーポイントシュートを決めるときの、軽く膝を曲げてからカエルのようにしゅっと、いや違った、バッタのようにピョンと、これも違う。上手くいえないけど、とても素敵でした。
 あれだけ前日に第二ボタンをもらう練習してきたのに、先輩の前に立つと頭が真っ白になってしまう。それだけ大好きだった先輩。
 慌てふためく私の姿を見た先輩は、軽く笑いながら「これだよね」と、大きな手で第二ボタンを包み込んだ。指先がくるりと回転して、しばらくして私の手のひらに乗せられる暖かなボタン。私はボタンを握り締めて、先輩の体温を手の内に閉じ込める。
「なんかスースーするなあ」
 先輩はボタンがひとつ取れた制服を、いたずらっぽく見せた。
 その先輩とは、それっきりだった。それでも先輩かから受け取った第二ボタンは、いまも宝物として、机の奥にしまってある。

 高校卒業後、その先輩から一通の手紙が届いた。大学を中退して手品師としてデビューしたのだという。招待状も同封されていた。
 私は喜んで先輩のステージに駆け付けた。会場に入ると、中学時代の同級生がたくさん並んでいる。どうやら先輩は中高時代の名簿で招待状を発送したようで、まるで同窓会のようだった。もちろんあの先輩と引き合わせてくれた美穂の姿もあった
 先輩の初舞台は、テレビにもで出演したことのある有名手品師の前座だった。もともと器用だった先輩は、その大きな手を活かして様々なものを隠したり出したりしていた。何も無いところから巨大トランプが出てきたと思えば、次の瞬間には消えている。
 先輩の手品は本物だった。
 短い持ち時間の中で、バスケットボール部で活躍していたときのように、精一杯の演技を続けている。荒削りながらも才能を感じる手さばきに、同じ中高の仲間たちだけでなく、有名手品師を目当てに来場していた紳士淑女たちも惜しみない拍手を送っていた。
 先輩は輝いていた。自分の道を見つけた大人の笑顔だった。私は自宅から持ってきた第二ボタンを、強く握り締める。やっぱり先輩は素敵だった。
 一通りの演技を終えた先輩は、最後に客席に向ってこう語りかけた。
「私が始めて手品をしたのは中学三年生のときです」
 少し嫌な予感がする。
「そのころ第二ボタンを渡すのが流行っていまして、私は後輩にせがまれたときに断るのも悪いと思い、ボタンを取る振りをして別のボタンを彼女に渡しました。制服のボタンを外してボタンが取れた振りをしたところ見事に後輩はひっかかり……」
 あとは聞けなかった。私は単なる実験台だった。純粋な気持ちを踏みにじられた。家から持ってきたボタンを「これがそのときのボタンよ!」と叫びながらこの場で投げ付けたかった。けど、先輩の初舞台をダメにしたくない。その思いだけで踏みとどまり、耳をふさいで屈辱を耐え忍んだ。けど、涙は止まらなかった。
 休憩時間になって、私はハンカチで顔を覆いながらロビーに出た。すると、同級生だった美穂が追いかけてきた。
 興奮した様子の美穂に、私は胸が詰まった。
「ねえねえ感動的だったと思わない! だって、初ステージで告白なんて、びっくりしちゃって」
 その相手は私ではない。くらくらする私を、美穂が強く手を引く。
「手品への道に導いてくれた後輩に感謝の念をこめて告白しますなんて、粋な先輩じゃない。あのときは自分に自信が持てなくて第二ボタンを渡す勇気がなかったけど、いまなら渡せるって。さあ、楽屋まで急いで」


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