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【SS】齊藤想『向上地帯』 [自作ショートショート]

ちくま800字文庫に応募した作品です。
テーマは特にありません。

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『向上地帯』 齊藤 想

 新しく就任した市長は、市民たちが下向いて歩いていることに心を痛めていた。長引く不況に環境問題。収まらない感染症に近づく戦争の不安。だれもが心配を胸に抱いている。
 そこで、市長は海岸沿いに向上地帯を設置することにした。ここに行けば、だれもが前向きになり、胸を張って歩ける人間に生まれかわることができるのだ。
 完成すると、市民たちは続々と向上地帯に向かった。そこで徹底的にマイナス思考がそぎ落とされ、だれもが元気になって戻っていく。街が明るくなり、市民たちに活気が戻ってきた。
 この向上地帯には思わぬ副産物があった。
 それは、そぎ落とされたマイナス思考の再利用だ。マイナス思考は黒糖でコーティングされ、「負菓子」としてて売り出された。適度な甘みとふわふわとした食感があいまって、「負菓子」は思わぬヒット商品となった。
 市長は負菓子の生産増のため、マイナス思考をかき集めた。少しでも下を向いている市民は強制的に向上地帯へと放り込んだ。
 マイナス思考を減らすために始めたことが、いつしか無理にマイナス思考の人間を集める事業に変わっていく。
 「負菓子」の生産が増えるとともに、街はハッピーな人間で満たされた。
 市民たちの心から不安が消え去ったことで、未来に備える人間がいなくなった。全員がその日暮らしを続けるようになり、享楽的で怠惰な生活が溢れかえる。労働にいそしむ市民は消え去り、はびこるのはアルコールとドラックばかり。市中にネズミと伝染病が蔓延したが、もはやだれも気に留めない。
 だれもがハッピーになった結果、死の街となりつつある。
 市長は向上地帯を激しく後悔したが、もはや手のつけようがなかった。この辛い現実を忘れるために、市長と幹部たちは向上地帯へと足を向けた。


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