【SS】齊藤想『離婚式』 [自作ショートショート]
小説でもどうぞ第11回に応募した作品です。
テーマは「別れ」です。
―――――
『離婚式(採用ver)』 齊藤 想
慎吾の目の前のテーブルには、すでに緑色の離婚届と、二つのワイングラスが並べられていた。
向かい側に座る妻の翔子は、ワイングラスを指先でつまむようにして持ち上げると、慎吾にウインクを投げかけた。
「辛気臭い話はなしよ。今日は二人の門出の日なのだから」
「そうだな」と慎吾も翔子に合わせるようにワイングラスを持ち上げると、軽く重ね合わせた。
カチンという乾いた音が、不思議な余韻を持って室内に響く。深紅の液体がグラスの中で踊る。
慎吾は実感した。今日をもって、自分は翔子の夫ではなくなる。明日から、二人は新たなる道を歩み始める。
最初から、この結婚に無理のあることは承知していた。慎吾はゲイで、翔子はレズだ。性的志向は真逆だが、ただ二人でいるだけで楽しく、学生時代から社会人を通じて、一度も離れたことが無かった。
それで思い切って結婚に踏み切ったのだが、友人関係と夫婦関係というのは異なるものであることを痛感させられた。
成長と変化の無い単調な生活が続き、このままで一生が終わるのかという焦り似た感情が二人を包み込むのに、それほど時間はかからなかった。
慎吾は半分に減ったワインを、グラスの中で軽く転がす。
「いま思うと、自分は夫としては失格だったかもしれない。世間の夫がするような、汗水たらす力仕事は苦手だし、大きな決断も避けてきた」
翔子が首を横に振る。
「私だって、苦手な家事は真吾に押し付けてきたし、貴方が欲しがっていた子供にも興味がなかったし」
「平日は二人で働き、夕飯は一緒に食事を作り、週末は二人で外出する。はた目には幸せそうに見えたが、二人の関係を変えるのが怖かった。ぼくは臆病だった」
「それを言うなら、私だって同じよ。いつまでも次のステップに踏み出せずに、まるで赤ん坊のように、うじうじといまいる場所に座り続けて」
翔子のワイングラスが空になったのを見て、慎吾はワインボトルを傾けた。翔子のグラスが艶やかに輝いた。
「慎吾には悪いことをしたわ。あげくのはてに将来のことでケンカして、大人なのに殴り合ったりして」
「あのときの翔子のパンチは痛かったぞ」
「そりゃそうよ。慎吾なんかに、負けていられないから。それで、売り言葉に買い言葉になって、そのまま二人で病院に駆け込んで」
「あのときの医者の顔は傑作だったな。そうして、こうなったと」
慎吾は目の前の離婚届を、軽く指先でつついた。すでに二人の名前は書かれている。あとは署名して捺印するだけだ。
「どうしても、翔子と離婚しないといけないんだな」
「もう後には戻れないの。そのために、今日まで準備してきたのだから」
離婚届の下には、家庭裁判所への申立書が用意されている。
「医者の診断や手術だけではダメなの。性別変更を申し立てるには、独身でなければいけないから」
「そのために一旦離婚して、お互いの性別変更が認められたら再婚すると」
「そういうこと。最初から踏み出していれば良かったのよ。手続きが大変そうとか、手術が怖いとか、二人してしり込みして、やってみれば大したことなかったじゃない」
「本当の自分に生まれ変わった気分だ。これで、思いっきり愛し合えるな」
「まあ、慎吾ったらはしたない。それに、性別と名前だけじゃなくて、言葉遣いも変えないとね」
「こんな感じかしら。これから、二人で愛し合いましょう、みたいな」
「そうそう、その調子で」
翔子はほほを染めたが、ワインのせいかどうかは分からない。二年前から続くホルモン治療の成果で妻は筋骨隆々になり、声も低い。慎吾も胸が膨らみかけている。もちろんお互いに性器の手術も完了している。
慎吾はスカートの裾を抑えながら、タンクトップ姿の翔子にしなだれかかった。翔子が慎吾の肩をしっかりと抱きしめる。
慎吾は、自分らしく生きられる時代になったことを心から喜んだ。
二人の門出とこの新しき世界に、最大限の祝福を。
ーー
次はボツバージョンです。
ーー
『離婚式(ボツver)』 齊藤 想
紅白のスーツを着た司会者が、手にしたマイクを口元まで運んだ。参列者に向かって、朗々とした声で開式を宣言する。
「これから慎吾君と翔子さんとの離婚式を執り行います。結婚生活約5年。友人にも言えない悩みがいろいろありました。二人は毎晩のように真摯な協議を重ねた結果、新たな道を歩むことを決断されました。では離婚される夫婦のご入場です」
スポットライトが二人に当てられる。白いスーツで決めた慎吾と、バラのようなパーティードレスに身を包んだ翔子だ。
離婚式に出席した友人たちは、だれもがこの日が来ることを予感していた。
そもそも新郎はゲイで、新婦はレズだ。二人が交際を始めたときも驚いたし、結婚すると聞かされてだれもが腰を抜かした。夜の生活はどうするのだろうと、だれもが囁いていたが、やはりこの日が来てしまった。
逆によく五年間も続いたと思う。結婚するぐらいだから、性格が合ったのだろう。
ただ、それは友人としてであって、夫婦とは異なるものだった。そう気が付いてしまったのかもしれない。
二人の気持ちは立派だが、結婚は両性の結合という本能には敵わなかったのだ。
元夫婦は司会に促されるようにして頭を下げた。スポットライトが少し下がる。二人の女の子が映し出される。
私は驚いた。夫婦には子供もいた。いったいどういうことだろうかと混乱したが、他の出席者は二人の秘密を知らないだけに、自然なことと受け止めている。
子供は二歳と四歳ぐらいだろうか。小さなドレスに身を包み、困惑気味に両親を見ている。二人に性的接触があったとは思えないので、特別養子縁組かもしれない。
この子たちはの養育は、これからどうするのだろうか。
私の疑問をよそに、式は披露宴のように進んでい。二人の思い出ともいえる夫婦生活のビデオ。お互いに送る感謝の手紙。なぜか豪勢な料理。ウエディングケーキならぬ離婚ケーキへの入刀。司会からの「最後の共同作業です」の声がむなしく響く。
イベントがひと段落した段階で、元夫婦は控室に戻った。お色直しだろうか。
司会にスポットライトが浴びせられた。
「それではお互いに新しいパートナーを紹介します」
おいおい、本当かよ、と私は思った。子供たちは大人しく席に座っている。二人にとってトラウマにならないのか。親権はどうするのか。
そうした心配に思いを馳せる間もなく、入場口から新しいパートナーが登場した。そこに立っているのは、白いスーツに身を包んだ元妻と、純白のドレスを着た元夫だった。
何が起こっているのか、私の理解の範疇を越えている。
「新郎は夏美さん改め夏夫さん。新婦は智之さんあらため、智子さんです。二人はすでに性転換手術を受け、こうしてかわいらしい子供も授かっています。様々な準備が整ったのだ、大安吉日の本日をもって離婚し、新たなる夫婦として結婚することとなりました。戸籍上はいろいろあって、変更ができないのですが、せめて新しい門出をみんなと祝いたいということで、離婚式を執り行わせていただきました。二人に盛大な拍手を」
会場はわっと盛り上がった。
科学技術の発展で、本能を超越できる時代がきたのかもしれない。それと、ほんの少しの優しさと。
晴れやかな新郎新婦を見て、私はそんなことを思った。
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テーマは「別れ」です。
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『離婚式(採用ver)』 齊藤 想
慎吾の目の前のテーブルには、すでに緑色の離婚届と、二つのワイングラスが並べられていた。
向かい側に座る妻の翔子は、ワイングラスを指先でつまむようにして持ち上げると、慎吾にウインクを投げかけた。
「辛気臭い話はなしよ。今日は二人の門出の日なのだから」
「そうだな」と慎吾も翔子に合わせるようにワイングラスを持ち上げると、軽く重ね合わせた。
カチンという乾いた音が、不思議な余韻を持って室内に響く。深紅の液体がグラスの中で踊る。
慎吾は実感した。今日をもって、自分は翔子の夫ではなくなる。明日から、二人は新たなる道を歩み始める。
最初から、この結婚に無理のあることは承知していた。慎吾はゲイで、翔子はレズだ。性的志向は真逆だが、ただ二人でいるだけで楽しく、学生時代から社会人を通じて、一度も離れたことが無かった。
それで思い切って結婚に踏み切ったのだが、友人関係と夫婦関係というのは異なるものであることを痛感させられた。
成長と変化の無い単調な生活が続き、このままで一生が終わるのかという焦り似た感情が二人を包み込むのに、それほど時間はかからなかった。
慎吾は半分に減ったワインを、グラスの中で軽く転がす。
「いま思うと、自分は夫としては失格だったかもしれない。世間の夫がするような、汗水たらす力仕事は苦手だし、大きな決断も避けてきた」
翔子が首を横に振る。
「私だって、苦手な家事は真吾に押し付けてきたし、貴方が欲しがっていた子供にも興味がなかったし」
「平日は二人で働き、夕飯は一緒に食事を作り、週末は二人で外出する。はた目には幸せそうに見えたが、二人の関係を変えるのが怖かった。ぼくは臆病だった」
「それを言うなら、私だって同じよ。いつまでも次のステップに踏み出せずに、まるで赤ん坊のように、うじうじといまいる場所に座り続けて」
翔子のワイングラスが空になったのを見て、慎吾はワインボトルを傾けた。翔子のグラスが艶やかに輝いた。
「慎吾には悪いことをしたわ。あげくのはてに将来のことでケンカして、大人なのに殴り合ったりして」
「あのときの翔子のパンチは痛かったぞ」
「そりゃそうよ。慎吾なんかに、負けていられないから。それで、売り言葉に買い言葉になって、そのまま二人で病院に駆け込んで」
「あのときの医者の顔は傑作だったな。そうして、こうなったと」
慎吾は目の前の離婚届を、軽く指先でつついた。すでに二人の名前は書かれている。あとは署名して捺印するだけだ。
「どうしても、翔子と離婚しないといけないんだな」
「もう後には戻れないの。そのために、今日まで準備してきたのだから」
離婚届の下には、家庭裁判所への申立書が用意されている。
「医者の診断や手術だけではダメなの。性別変更を申し立てるには、独身でなければいけないから」
「そのために一旦離婚して、お互いの性別変更が認められたら再婚すると」
「そういうこと。最初から踏み出していれば良かったのよ。手続きが大変そうとか、手術が怖いとか、二人してしり込みして、やってみれば大したことなかったじゃない」
「本当の自分に生まれ変わった気分だ。これで、思いっきり愛し合えるな」
「まあ、慎吾ったらはしたない。それに、性別と名前だけじゃなくて、言葉遣いも変えないとね」
「こんな感じかしら。これから、二人で愛し合いましょう、みたいな」
「そうそう、その調子で」
翔子はほほを染めたが、ワインのせいかどうかは分からない。二年前から続くホルモン治療の成果で妻は筋骨隆々になり、声も低い。慎吾も胸が膨らみかけている。もちろんお互いに性器の手術も完了している。
慎吾はスカートの裾を抑えながら、タンクトップ姿の翔子にしなだれかかった。翔子が慎吾の肩をしっかりと抱きしめる。
慎吾は、自分らしく生きられる時代になったことを心から喜んだ。
二人の門出とこの新しき世界に、最大限の祝福を。
ーー
次はボツバージョンです。
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『離婚式(ボツver)』 齊藤 想
紅白のスーツを着た司会者が、手にしたマイクを口元まで運んだ。参列者に向かって、朗々とした声で開式を宣言する。
「これから慎吾君と翔子さんとの離婚式を執り行います。結婚生活約5年。友人にも言えない悩みがいろいろありました。二人は毎晩のように真摯な協議を重ねた結果、新たな道を歩むことを決断されました。では離婚される夫婦のご入場です」
スポットライトが二人に当てられる。白いスーツで決めた慎吾と、バラのようなパーティードレスに身を包んだ翔子だ。
離婚式に出席した友人たちは、だれもがこの日が来ることを予感していた。
そもそも新郎はゲイで、新婦はレズだ。二人が交際を始めたときも驚いたし、結婚すると聞かされてだれもが腰を抜かした。夜の生活はどうするのだろうと、だれもが囁いていたが、やはりこの日が来てしまった。
逆によく五年間も続いたと思う。結婚するぐらいだから、性格が合ったのだろう。
ただ、それは友人としてであって、夫婦とは異なるものだった。そう気が付いてしまったのかもしれない。
二人の気持ちは立派だが、結婚は両性の結合という本能には敵わなかったのだ。
元夫婦は司会に促されるようにして頭を下げた。スポットライトが少し下がる。二人の女の子が映し出される。
私は驚いた。夫婦には子供もいた。いったいどういうことだろうかと混乱したが、他の出席者は二人の秘密を知らないだけに、自然なことと受け止めている。
子供は二歳と四歳ぐらいだろうか。小さなドレスに身を包み、困惑気味に両親を見ている。二人に性的接触があったとは思えないので、特別養子縁組かもしれない。
この子たちはの養育は、これからどうするのだろうか。
私の疑問をよそに、式は披露宴のように進んでい。二人の思い出ともいえる夫婦生活のビデオ。お互いに送る感謝の手紙。なぜか豪勢な料理。ウエディングケーキならぬ離婚ケーキへの入刀。司会からの「最後の共同作業です」の声がむなしく響く。
イベントがひと段落した段階で、元夫婦は控室に戻った。お色直しだろうか。
司会にスポットライトが浴びせられた。
「それではお互いに新しいパートナーを紹介します」
おいおい、本当かよ、と私は思った。子供たちは大人しく席に座っている。二人にとってトラウマにならないのか。親権はどうするのか。
そうした心配に思いを馳せる間もなく、入場口から新しいパートナーが登場した。そこに立っているのは、白いスーツに身を包んだ元妻と、純白のドレスを着た元夫だった。
何が起こっているのか、私の理解の範疇を越えている。
「新郎は夏美さん改め夏夫さん。新婦は智之さんあらため、智子さんです。二人はすでに性転換手術を受け、こうしてかわいらしい子供も授かっています。様々な準備が整ったのだ、大安吉日の本日をもって離婚し、新たなる夫婦として結婚することとなりました。戸籍上はいろいろあって、変更ができないのですが、せめて新しい門出をみんなと祝いたいということで、離婚式を執り行わせていただきました。二人に盛大な拍手を」
会場はわっと盛り上がった。
科学技術の発展で、本能を超越できる時代がきたのかもしれない。それと、ほんの少しの優しさと。
晴れやかな新郎新婦を見て、私はそんなことを思った。
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