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齊藤想『ネコとメガネ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第16回)に応募した作品です。
テーマは「眼鏡」でした。

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『ネコとメガネ』 齊藤想


 良く肥えた子豚のような猫が、ジャンプに失敗して、床に落ちた。猫とは思えない「モフ」という音がして、カーペットに丸いくぼみができた。
「ほら、見たでしょう。ミャーにはメガネが必要なのよ。貴之はメガネ屋の息子でしょ? だからお父さんにお願いしてミャー専用のメガネを作って欲しいのよ」
「シャー専用?」
「それはガンダム。話をそらさないで。真面目にお願いしているの!」
「メガネかぁ」とぼくは気乗りのしない返事をした。
 ミャーを見る限りでは、ジャンプに失敗する原因は別のところにあるような気がする。というより、絶対に違う。ナメクジのようにお腹を引きずりながら動く姿を見ると、跳躍を試みたこと自体が驚異的なできごとのように思える。
「こんなミャーだって、目が良くなれば、綺麗なジャンプができるようになるはずよ」
 彼女はミャーをどっこいしょとかけ声を掛けながら、持ち上げた。巨大なモフモフを抱える姿は、まるで綿花を取り終えた労働者のようだが、彼女の胸の内にあるのは猫だ。
「ミャーのことをかわいそうだと思わない?」
 もちろんそう思う。だが、その理由は彼女とぼくとではかなりかけ離れている。
 彼女は呪文のように、メガネ、メガネと言い続ける。いくらぼくがメガネ屋の息子だからといって、何でもできると勘違いされると困る。とはいえ、そこまで彼女が必死になるならかわいそうな気がした。
「そこまで言うなら試作してみるけど……」
「本当! 嬉しい!」
 彼女が猫ごと飛び込んできた。不思議な柔らかな感触が、ぼくの胸に広がる。もちろんミャーの肉のことだ。
「けど、視力と軸角度を計らないと」
「ミャーに視力検査なんてできるわけがないじゃない。メガネ屋の息子なら、見ればだいたいわかるでしょ」
 彼女が愛猫を突き出した。毛玉のお化けのようなミャーは、ぼくの目の前で「ふしゅぅー」という奇怪な鼻息を浴びせてきた。こんなので分かるわけがないのに、彼女はこれで大丈夫よねえと、ミャーに顔を埋める。
 ミャーの鼻から飛び出してきた空気には味が付いていた。もちろん、猫缶の味だ。
 ぼくはため息をつくしかなかった。

 その日から、猫用メガネの試作を続ける日々が続いた。もちろんこんな仕事をオヤジには頼めない。それに、ぼくだってメガネ屋の息子として最低限の技術はある。それを彼女に見せてあげるチャンスだと思った。
 第一号は散々だった。幼児用と同じ感覚で制作したら、この力作をミャーは瞬時に頭から振り落とした。
「もう、ちゃんと作ってよ」
 そんなこと言われても、猫用メガネなんて世界初の試みだから仕方があるまい。応急措置としてバンドを取り付けたがもちろんダメで、最終手段としてガムテープを持ち出したところで彼女に止められた。
「ふざけないでよ」
 ふざけているのはそっちだろう、という言葉をなんとか飲み込んだ。ミャーが飛べないのは視力の問題ではないことは明らかなので、メガネに度数を入れる必要は無い。だからいくらでも薄くできる。軽くすれば、ミャーも気にならないだろう。
 メガネを掛けさせることができれば、彼女は納得するのだから。
 プラスチックから始まり、透明フィルム、調理用ラップフィルムと手を替え品を変え実験は続いた。メガネを猫の毛皮でくるむようなこともした。
 彼女の気まぐれから始まったこととはいえ、世界初の商品を開発する楽しさに、ぼくは目覚め始めていた。

 そうした苦しいながらも楽しい日々は、突如として終わりを告げた。
「ミャーが上手く飛べない理由が分かったの。問題は眼じゃなくて太りすぎにあったのよ」
 ぼくはあきれかえった。なにをいまさら。
「明日からミャーと一緒に猫用のダイエットスクールに通うことにしたから。それじゃあね、バイバイ」
 なんのことはない。猫用ダイエットスクールの指導官がぼくよりちょっとイケメンで、ちょっとだけ金持ちに見えただけのことだ。
 変わりやすいものの例えとして「女の心は猫の眼」とはよく言ったものだ。ミャーの眼と同時に彼女の心も変わったらしい。
 そんなことを思いながら、ぼくはミャーと彼女のために作り続けた試作品を、ゴミ箱の中に放り込んだ。

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nice!(1)  コメント(4) 
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コメント 4

春日 淳樹

ご訪問ありがとうございました!
by 春日 淳樹 (2016-10-04 09:15) 

サイトー

>春日淳樹 様
こちらこそありがとうございます!
by サイトー (2016-10-05 05:47) 

三輪です

面白かったけど、奥さんではなくて彼女だったのですね?導入部分では、なんとなく一緒に生活しているような気がしました。
それがあっけなくイケメントレーナーに入ってしまうその軽さには笑えてしまいます。変に重い話より私は彼女の思い違い、軽さに大笑いです!
by 三輪です (2016-10-05 10:50) 

サイトー

>三輪さん
コメントありがとうございます。
確かに冒頭は紛らわしいかもしれませんね。
いま読み返すと、もっと文章に遊びを入れたほう良かったですね。とはいえ、5枚に押し込めるために仕方の無い部分もあるのですが(汗)
by サイトー (2016-10-08 03:41) 

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