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【掌編】齊藤想『名前の由来』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第35回)に応募した作品です。
テーマは「風花」でした。

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『名前の由来』 齊藤想

 風花とは、降り積もった雪が風によって舞い上がる様子を表現する言葉だ。それなのに、母は四月生まれの私に『風花』と名付けた。母は『風花』という漢字のイメージから、調べもせずに桜の花びらが春一番で舞う姿を表す言葉だと勘違いしているのだろう。
 母は私を産んですぐに離婚した。
 母に履歴書に書けるような学はなく、水商売を転々としながら、女手ひとつで私を高校まで出してくれた。そのことは感謝している。けど、もう、この生活を抜け出したい。
「そんなこといっても、あんたを大学にやるお金はないよ」
 母は安物のタバコに火をつけた。我が家にしたらタバコ代だって馬鹿にならない。それでも、母はタバコをやめられない。
「奨学金をもらうから」
「あんたねえ」と母は煙を大きく吸い込んだ。「奨学金だって借金だよ。借りた金は返さないといけない。それに大学に行ったって、女はいい男と結婚して、楽して過ごすのが一番だ。変な男と結婚したら、ほら、私のようになっちまう」
 母はそういって、煙草を咥えたままトドのように布団に倒れ込んだ。よくこれでいままで火事にならないのかが不思議だ。母には悪運が付いているのかもしれない。
 母は学問に対する認識がない。高校進学だって、母と大喧嘩したものだ。母は「勉強は人生の無駄使い」を公言してはばからない。
 四月生まれの私に『風花』という名前をつけて、なんの違和感も覚えない。それが母の限界なのだ。風花は自分の惨めさにため息をついた。普通の生活を送りたいだけなのに、みんなと一緒に進学したいだけなのに、なぜ、こんなに苦労しなければならないのか。なぜ、こんなに貧乏をしなければならないのか。
 学童品まで友達に借りてきたいままの生活を思い返すと、涙が滲んできた。
「なんで、私を産んだのさ」
「そりゃ、欲しかったからだ。まあ、そんな気持ちにさせられたというか」
「誰にそんな気持ちにさせられたというのよ。離婚したというお父さんなの? おまけにこんな変な名前までつけて」
 母は目玉をギョロリと動かした。まるで倒れていた西郷隆盛の銅像が動き出したかのようだ。母がなぜ水商売を続けられるのかが不思議でならなない。
「あんたは誤解している。あんたの名前はねえ、おばあちゃんがつけたんだよ」
 母はまたタバコを飲んだ。煙を吐き出し、その煙はタールで汚れた天井に向かって立ち上っていく。
「あんたのおばあちゃんは東北の山奥出身でねえ、ゴールデンウィークになっても雪が残っているほどの豪雪地帯だった。そんな村だから、四月の春一番が吹くと、雪が舞い上がる。そう、風花がちょうど生まれた季節だ」
 母の話は続く。
「おばあちゃんが暮らしていた集落では、風花が見えると、もう辛かった冬も終わりだと喜んだものさ。冬の神様は、辛い季節を乗り越えた村人たちに、風花という季節の贈り物をしてくれるんだ。だから、離婚を目前にして、あんたを生むかどうか迷っていた私に、おばあちゃんは”風花”という名前を送ってくれたんだ。神様からの贈り物と同じ。そんなことされると、堕ろします、なんていえないだろ」
「けど、産んだからにはちゃんと育ててよ」
「そりゃ無理よ。うちは働き手がひとりしかいないし、学問はないし、収入面でどうにもならない。ひとなみはムリさ。けど、あんたが本気でやるなら応援する。高校だって散々反対したけど、余裕がなかったけど、それでもあんたは折れなかったから行かしてやった。それが親というものよ。ただ、大学はムリ。もうびた一文も残っていない」
「お金なら自分でなんとかする」
 母は指先でタバコをもみけした。そして小さな声で呟いた。
「情けない親でゴメンな」
 そんなことない、と私は首を横にふった。祖母は、私が母にとっての”風花”になって欲しかったんだ。私を産んだあと、母は苦労するのが見えている。冬の時代が長く続く。
 そうした母の人生において、一足先に春を迎える天使になって欲しかったのだ。
「私、頑張るからね」
 そういうと、母は反対側を向いたまま、小さく頷いた。

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