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【SS】齊藤想『金星の雲』 [自作ショートショート]

第4回星新一賞に応募した作品です。
理系小説をイメージしてみました。

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『金星の雲』 齊藤想

 金星の雲が晴れようとしていた。
 研究が始まって何万年たつのかすら分からないほど長い実験が、いまやフィナーレを迎えようとしている。
 惑星気象学研究所の所長は、金星に向けていた望遠鏡から目を離すと、太陽系第二惑星の開発がここまで進んだことに満足の表情を浮かべた。
 金星へのテラフォーミングに向けての実験が始まったのは、もう記録を紐解くのも難しいほど古い時代のことだった。
 金星は地球と極めて類似している。岩石組成もほぼ同一で、大きさもシルエットを並べるとどちらが地球かわからないほどだ。公転軌道もすでにテラフォーミングされている火星と比べれば遥かに地球と近い。重力だって1割程度しか変わらない。
 それでは、なぜ、金星へのテラフォーミングが進まなかったのか。火星より遥かに出遅れてしまったのか。
 それは気温にある。
 金星大気は地球の九〇倍もの圧力がある上に、組成の九割以上が二酸化酸素という、まるで透明な毛布で何重もくるまれたまま灼熱の砂漠に置き去りにされたかのような惑星だ。その二酸化炭素による強力な温暖化作用によって金星の地表面は四六〇度を超え、さらに上空では高温をエネルギー源にしたスーパーローテーションと呼ばれる時速一八〇キロから三六〇キロにも達する強烈な風が吹き続けている。地球の台風など、金星のスーパーローテーションと比べればおままごとのようなものだ。
 逆に言えば、温度の問題さえ解決すれば、金星は火星より遥かに住みやすくなる。
 豊富な大気に、ありあまる炭素。火星のようにわざわざ地球から資材を運ばなくても金星内で自活できる。気温さえ安定すれば、風も静まり、小春日和が続くことだろう。
 唯一の難点は水だが、これも大気中に僅かに含まれており、金星の大気からかき集めれば人間が生活する分は確保できる見込みがある。
 意外に思われるかもしれないが、温暖化作用がなければ金星は地球より寒い。
 温暖化作用が無いものと仮定して計算される理論上の気温のことを有効放射温度と言うが、地球の有効放射温度が約零下二〇度に対し、金星は約零下五〇度まで下がる。
 地球より三〇度も低くなる原因は分厚い大気だ。金星の雲は太陽光線をことごとく反射してしまう。理論的には地球の一.九倍もの太陽エネルギーを受けているにも関わらず、大地まで届く熱はほんのわずかだ。
 つまり、金星大気中の二酸化炭素量を減少させ、気温十五度前後で均衡するように温暖化作用をコントロールすることができれば、金星を地球とほぼ同じ環境にすることが可能になるのだ。
 人間が生活する基盤さえできれば、先ほど唯一の問題と論じた水分はなんとかなる。分厚い大気から水をかき集めても良いし、足りなければ地殻内に含まれている成分から水素と酸素を分離して合成させても良い。彗星から獲得する方法もある。また、金星には硫酸の雨が降っており、硫酸の化学式はH2SO4、つまり硫酸から硫黄と酸素原子2個を引き剥がせば水が得られる。
 住み着いてしまえば、アイデアはいくらでも湧き出てくるものだ。
 なにはともあれ、問題は二酸化炭素である。
 どうやってコントロールすべきか、昔の地球人はいろいろ考えた。
 最初は二酸化炭素とカルシウムを反応させて、石灰岩として固定することを試みた。
 地球誕生当時の大気は、金星とほぼ同じ組成であると推定されている。それがなぜ地球では二酸化炭素量がわずか0.04%まで減少し、金星は96.5%のままなのか。
 兄弟のような惑星の運命を分けたのは、”海”だった。
 地球上の二酸化酸素は海に溶け込み、カルシウム成分と反応して石灰岩となって固定された。穏やかな気候は植物の繁栄を促し、膨大な植物自体が炭素の貯蔵庫であるのと同時に、寿命の尽きた植物も石炭や石油として地下深くに封印されることで、炭素の固定化が促進された。
 金星には海もなければ植物もない。
 惑星が誕生した当初は海があったと思われるが、金星は地球よりわずかに太陽に近かったため温暖化が早く進んだ。その結果、海が二酸化炭素を取り込むより前に蒸発してしまい、二酸化酸素を固定するチャンスを失ったのだ。
 水蒸気となった水分は大気上層部で紫外線の作用により酸素と水素に分離した。水素は軽いため宇宙へと逃げ出し、酸素は地表の酸化に使われた。蒸発した水が雨として再び大地に戻るには、金星は暑すぎたのだ。
 こうして、金星は生まれたままの大気をいまも保ち続けている。
 金星移住には幾重もの困難が待ち構えている。だからといって、弱音を吐いてばかりもいられない。人類が地球だけで生活するのはいずれ限界が来る。まずは火星、次に金星へ進出するのは歴史的必然ともいえる。
 火星移住計画は金星より早く進んだ。火星は水が豊富な惑星で、少し掘れば氷がでてくる。だが重力が弱く大気を保持できないため、巨大なドーム建設が必要になる。もちろん原材料は火星にある鉱脈から掘り出すのだが、精製するのにも莫大な燃料と設備が必要で、結局のところ地球を頼りにせざる得ない。また、地球と比べて水の循環や造山活動が弱かったため鉱脈が細い。実験的に移住するならともかく、大々的にテラフォーミングできる環境ではないことが判明している。
 こうして、人類の眼は金星に注がれた。
 二酸化炭素の処理については種々の議論があり、最終的に二案が残った。A案は二酸化炭素を酸素と炭素に分離する特殊な触媒を開発することだった。太陽による紫外線をエネルギー源として、二酸化炭素から炭素を取り除き、炭素を地表に蓄積させようというのだ。
 理論的には可能だが、問題は実現性である。計算の結果、A案は天文学的数字の触媒をばら撒く必要があることが判明し、結局のところ「現在より格段に効率の良い触媒が開発されるのを待つ」という名目で棚上げをせざるを得なかった。
 もうひとつは植物案である。
 わずかな水分でも繁殖可能な植物を開発し、それらを金星の大気に漂わせることで、炭素の固定化を促進しようというのだ。
 そして、採用されたのは植物案だった。
 研究対象としてシアノバクテリアに注目が集まった。シアノバクテリアは地球の運命を変えた細菌と呼ばれており、地球上で始めて光合成を始めた由緒ある生命体だ。
 シアノバクテリアの反応は水を大量に使う。産み出す酸素も水を分解して得られるものだ。そのため、このままでは金星で繁殖することができない。金星は水が乏しく、節水型の反応が求められる。
 そこで、シアノバクテリアに強化したカルビン・ベンソン回路を導入することが試みられた。強化したカルビン・ベンソン回路は無限ともいえるほど、ひたすら炭素を繋げる。二酸化炭素を炭素として固定するためだけに生まれた細菌だ。
 研究はうまくいった。新しいシアノバクテリアは水をほとんど消費することなく光合成を行うが、その変わりにエネルギー多消費型の生物となってしまった。主として赤色を吸収する従来型の植物ではエネルギー不足であるため、黒色を帯びさせてあらゆる太陽光を効率よく吸収させることにした。
 こうして新しい細菌が誕生した。彼らは太陽光を貪欲に取り込み、微かな水分を触媒として再利用しながら、光合成によってひたすら炭素鎖を連ねていく。
 一般的に、植物は光合成をフル回転で行うことはない。自らを守るために休息を挟みながら反応する。しかし、新しいバクテリアからその制限を取っ払った。その代償として極端に寿命が短くなったが、死ぬ以上に繁殖力が旺盛なので問題はなさそうだった。
 この人工的に誕生した新種の細菌は、ブラックバクテリアと名付けられた。黒い植物の誕生だ。
 少し育ててみたところ、世代交代が早いだけに次々と突然変異を起こし、いまやありとあらゆる環境に適応しそうな勢いだった。毎日のように進化を続け、いまや二酸化炭素さえあれば、水星や冥王星でも生きられそうだった。
 どうやら人工的に遺伝子を改変することを繰り返したため、遺伝子の結合が弱い……いわば突然変異を起こしやすい性質になったようだ。
 この特質は、偶然とはいえ、新たなる環境に送り込むのに最適な要素だった。
 実際に実験室において、金星で考えられるあらゆる環境で繁殖させたところ、次々と耐性を獲得し、中には濃硫酸にも耐えられる個体も誕生した。
 もはや金星では敵なしだった。それどころか、太陽系のどこでも生きていけるかもしれない。想定外の環境に遭遇したとしても、彼らなら乗り越えていけるだろう。
 このバクテリアが研究所から漏れたら大変なことになる。研究者ですら立ち入り禁止の地下深くに密閉された厳重に管理された施設で増殖させることになった。全ての作業は遠隔作業で行われ、ロケットに積み込む際も収納容器の外側を特殊カーボン繊維が溶けるほどの炎で炙り、厳重に消毒させた。
 こうして誕生したブラックバクテリアを、繰り返し金星にばら撒いた。
 金星が生まれ変わるのに時間がかかると見込まれたので、研究所は閉鎖させられた。不慮の事故による拡散が恐れられたブラックバクテリアは徹底的に焼却させられた。そうして、いつしか研究は忘れ去れらた。
 ブラックバクテリアは金星で大繁殖をした。一時期は金星が黒く染まるほど増殖し、そのころには研究は遠い昔の話だったので、真実が発掘されるまで黒い雲の原因は何だと天文学者を悩ませ続けた。
 金星の改造は順調に進んだ。
 二酸化炭素が減少し、気温が下がり始めた。大地はブラックバクテリアが生産する多種多様な高分子有機物に覆われた。
 ブラックバクテリアが二酸化炭素を食べ続けているといっても、まだまだ金星の気温と気圧は高い。低地に溜まった有機物は金星特有の高気温と高圧力によって組成変化が起こるとともに液化し、原油の元となるケロジェンの海が誕生した。
 いまの技術があれば、ケロジェンを原油にするのは容易だ。
 はるか昔に原油を掘りつくしていた地球からは大喝采があがったが、輸送の困難さと将来の金星開発のために保存すべきだとの意見が大勢となり、そのまま様子を見ることとなった。
 金星の変化は止まらない。
 酸素が増えてオゾン層が形成され、その巨大なオゾン層が有害な宇宙由来の放射能をシャットアウトした。組成が変化した大気がほどよく太陽光を反射し、かつ温暖化作用が抑えられたことで、金星に穏やかな気候が訪れた。スーパーローテーションも消滅した。
 二酸化酸素が炭素として固定化されたことで大気の厚みが減少し、希薄だった水分が地表部に濃縮されたことで雲まで浮かぶようになった。振り続けていた濃硫酸の雨も、進化したブラックバクテリアによって、水と酸素と硫黄に分解された。
 ブラックバクテリアの繁殖は止まり、新たなる環境に適合した生命体が続々と産まれた。世代交代が早いおかげで、進化のスピードも桁違いだった。
 いまや金星は生命が満ち溢れる惑星へと変化した。
 ここまで金星が変わるのに、何世代かかったのだろうか。

 時は満ちた。いまや金星は人類を待ち構える桃源郷となったのだ。

 惑星気象学研究所の所長はいままでの経緯を振り返ると、緊急警報を鳴らし続けているテレビ画面を見つめながらひとりごちた。
 ここまで研究が上手くいくとは、当時の人類はだれも思っていなかっただろう。ここまで完璧に金星が生命のゆりかごになるとは想像すらしなかったに違ない。人類の英知は、期待以上の成果を上げたのだ。後世に誇れる大事業といえる。
 ただ、たったひとつの誤算といえば、ブラックバクテリアが急激な勢いで進化して知的生命体となり、いまや大挙して地球を攻めてこようと進軍中であることだけなのだが。

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