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小1の勉強が分からない [日常]

最近の小学校にはオープンスクールというものがある。
1日学校を開放していて、保護者だけでなく地域の人々も学校を見学できるのだ。
それで息子(小1)の様子を見るために道徳の後半と算数だけ見に行く。
ぼくが小学校のとき、低学年は45分授業に15分休憩、高学年は50分授業に10分休憩だった記憶があるのだが、いまの小1は
45分授業 5分休憩 45分授業 20分休憩(サンタイム) 45分授業……という時間割になっている。確かに細切れの休み時間より、まとめたほうがいいのかもしれない。
時間も時代とともに変わるのね。
それはともあれ、算数の授業の話。
繰り下がり引き算を解くのに、今の子供は“さくらんぼ計算”で計算するようです。
どんな計算をするのかというと、言葉で説明するのが面倒なので計算式だけ書くと

13-9 = (10+3)-9 = (10-9)+3 =1+3 =4

となるが、実際に手を動かすと、とてもめんどくさい。
先生は丁寧に教えるので、45分で6問しか進まない。
うちの息子はさくらんぼ計算をする気がなくて、ノートに書く振りだけしてぼーっとしていた(答えは分かっていますが)。
ぼくもさくらんぼ計算の意味が分からなくて面食らってしまい、途中式に何を埋めるのかまったくわからなかった。
もし先生に指されていたら、間違いなく間違えていました(汗)
ちなみに、ぼくの頭はいつもこんな計算をしています。

13-9 = (9+4)-9 = 4

うーん。
どっちがいいのやら。
限られた時間、限られた人員のなかで、下位グループを底上げする教育を目指すのか、上位グループを伸ばす教育をするのかという選択だと思うのだが、学校では底上げする教育を目指し、さらに上位を目指すひとは家庭教育でというくくりなんだろうね。
どこかの新聞が“教育格差”とか騒ぎそうな話だけども、目指す人は自己負担で目指すというのが限られた資源を有効に使うという意味では正しいのかもしれない。
ちなみに負担というと金を出して塾に行かせると短絡的に繋げてしまうかもしれませんが、もちろんそういう手法もあるし、金をかけずに親が教えるというのも自己の時間を割くという意味で立派な負担です。
ぼくはもっぱら後者の手法かな。といっても、ここ2週間はまったく勉強を教えていませんが(いまの息子のマイブームはマイナスの計算です(笑))


それと、オープンスクールとは別の話だが、国語のテストも分からなかった。
物語の内容を読み取る問題なのだが、冒頭から独白のような長い会話文(全体の3/4がこれ)が続く。
これだけでも分かりにくいのに、さらに困ったことに、その会話文がどう読んでも会話には見えない。
普通に地の文になっている。おまけに会話のなかに会話があるという複雑な構造だ。さらに、冒頭のこの独白はだれが喋ったのか、最後まで主語が出てこない。つまり、文章の3/4が主語不明。
これはきつい。
問題うんぬんの前に、情景がまったく浮かばなくて、言葉が頭にはいっていかない。
息子はよくこれで70点も取ったなあと、感心してしまった。
まあ、問題だけ見て文章から回答を探すという方法なら、解けなくもないんだけども。
さすがにこれは、なんだかなあ。

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