公募状況【3月下旬】と最近の状況やら [ぼくの公募状況]
【メルマガ原稿】
今月のテーマはちょっと風変わりに”新社会人の皆様へ”にしたいと思います。
たまには季節物もいいかなと思いまして。
自分が新社会人だったころの思い出を、ツラツラと書かせていただいています。
メルマガの詳細については、こちらを参照
→ http://takeaction.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301523176-1
【SFマガジン・リーダーズストーリー】
月末に投稿しました。もの悲しいロボットネタですが、タイトルで失敗したかも。
【小説現代・ショートショートコーナー】
電撃マガジン落選作を改稿して応募してみました。
〔最近の状況やら〕
3月は鬼のように多忙で、ブログ更新以外はほとんど手が回りませんでした。
いただいた作品への感想もなかなか返せずに、申し訳なく思っています。けど、4月第2週辺りからペースを戻せそうですので、いましばらくお待ちいただけるると幸いです。
最近でもないですが(すみません)、ある方から歴史小説をいただきました。
播磨藩第3代藩主の池田光政が主人公で、明君と誉れ高い人物……と、この小説を通じで知りました。
感想を書くに当たり、池田光政と藩政に大きな影響を与えた儒学者、熊沢蕃山のことを知らねばと思い、図書館で何冊か借りて読んでいます。いま2冊目の途中。お詫びもかねて、つらつらと池田光政について書きます。
池田光政の母親は二代将軍の徳川秀忠の養女です。幼少のころ、徳川家康に拝謁したこともあり、将軍家の身内的な感情を持っており、公儀の一翼を担っているという自覚があったようです。
本人の学問好きと、当時「幕府直轄地は他藩の見本となるべし」という考えがあったのですが、それに影響されたのか、民を中心に据えた仁政をひこうと努力します。
そこで登場するのが熊沢蕃山です。どこで培ったのか、彼の行政実務能力はすばらしく、また蕃山の唱える「心学」に影響されて話を聞くひとが集まってきます。
ところが、いいことばかりではありません。
民を救うということは、武士にとって収入減になるわけですから家臣は窮乏生活を余儀なくされます。武士には様々な勤めがあり、武士であるための費用はものすごく高いのです(『武士の家計簿』に詳しいです)。倹約にも限度があり、家老クラスですら勤めを果たせないとして家老職を辞退する状況に陥ります。
殿様の仁政を領国に広める過程で、いままで家臣の手にあった所領の行政権を殿様に奪われたことも、家臣にとってはプライドを傷付けられたことだと思います。
また、由井正雪の乱もあり、政府が新しい学問に神経を尖らせていたこともマイナスでした。
熊沢蕃山の学問の内容ともかく、「人が集まるのはケシカラン」と何度も注意をうけます。熊沢蕃山の実務能力を高く買っていた池田光政はのらりくらりと交わしますが、家内からの圧力もあり、蕃山はついに病気を理由に隠居せざるを得なくなります。
とまあ、半分ぐらいを簡単にまとめてみました。
こう読むと、池田光政に興味を持ちませんか?(笑)
ぼくは思うのですが、知識欲というのは何かの縁だと思うのです。何かを知りたい、調べたい、という感情はきっかけがないと沸き起こらないものなので、こうした縁を大切にして、これからも知識欲を持ち続けたいと思っています。
という理由で感想が遅れている言い訳でした。
順番なのですみません(汗)
今月のテーマはちょっと風変わりに”新社会人の皆様へ”にしたいと思います。
たまには季節物もいいかなと思いまして。
自分が新社会人だったころの思い出を、ツラツラと書かせていただいています。
メルマガの詳細については、こちらを参照
→ http://takeaction.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301523176-1
【SFマガジン・リーダーズストーリー】
月末に投稿しました。もの悲しいロボットネタですが、タイトルで失敗したかも。
【小説現代・ショートショートコーナー】
電撃マガジン落選作を改稿して応募してみました。
〔最近の状況やら〕
3月は鬼のように多忙で、ブログ更新以外はほとんど手が回りませんでした。
いただいた作品への感想もなかなか返せずに、申し訳なく思っています。けど、4月第2週辺りからペースを戻せそうですので、いましばらくお待ちいただけるると幸いです。
最近でもないですが(すみません)、ある方から歴史小説をいただきました。
播磨藩第3代藩主の池田光政が主人公で、明君と誉れ高い人物……と、この小説を通じで知りました。
感想を書くに当たり、池田光政と藩政に大きな影響を与えた儒学者、熊沢蕃山のことを知らねばと思い、図書館で何冊か借りて読んでいます。いま2冊目の途中。お詫びもかねて、つらつらと池田光政について書きます。
池田光政の母親は二代将軍の徳川秀忠の養女です。幼少のころ、徳川家康に拝謁したこともあり、将軍家の身内的な感情を持っており、公儀の一翼を担っているという自覚があったようです。
本人の学問好きと、当時「幕府直轄地は他藩の見本となるべし」という考えがあったのですが、それに影響されたのか、民を中心に据えた仁政をひこうと努力します。
そこで登場するのが熊沢蕃山です。どこで培ったのか、彼の行政実務能力はすばらしく、また蕃山の唱える「心学」に影響されて話を聞くひとが集まってきます。
ところが、いいことばかりではありません。
民を救うということは、武士にとって収入減になるわけですから家臣は窮乏生活を余儀なくされます。武士には様々な勤めがあり、武士であるための費用はものすごく高いのです(『武士の家計簿』に詳しいです)。倹約にも限度があり、家老クラスですら勤めを果たせないとして家老職を辞退する状況に陥ります。
殿様の仁政を領国に広める過程で、いままで家臣の手にあった所領の行政権を殿様に奪われたことも、家臣にとってはプライドを傷付けられたことだと思います。
また、由井正雪の乱もあり、政府が新しい学問に神経を尖らせていたこともマイナスでした。
熊沢蕃山の学問の内容ともかく、「人が集まるのはケシカラン」と何度も注意をうけます。熊沢蕃山の実務能力を高く買っていた池田光政はのらりくらりと交わしますが、家内からの圧力もあり、蕃山はついに病気を理由に隠居せざるを得なくなります。
とまあ、半分ぐらいを簡単にまとめてみました。
こう読むと、池田光政に興味を持ちませんか?(笑)
ぼくは思うのですが、知識欲というのは何かの縁だと思うのです。何かを知りたい、調べたい、という感情はきっかけがないと沸き起こらないものなので、こうした縁を大切にして、これからも知識欲を持ち続けたいと思っています。
という理由で感想が遅れている言い訳でした。
順番なのですみません(汗)
知識欲は何かの縁っていうのは、たしかに!と思いました。
知りたいと思ったその時に、ちゃんと調べておくっていう姿勢が、そのご縁に対する誠意になりますね。
自分はよく、あとで調べようって放置しちゃうクセがついてしまってて、今までなんと不義理を重ねていたことか。。。
ご縁に見放されないように、これからは自分も大切にしようと思います。
by 藤川S (2013-04-02 23:41)
いま地道にいろいろ調べていますが、やはり過去の蓄積というか積み重ねがあると、同じ本を読んでいても分かりやすくなり=調べやすくなる、という効用があるように思います。
新書系にはいろいろとご厄介になっています(笑)
by サイトー (2013-04-04 06:28)