【映画】アメリカン・サイコ [映画評]
社会的地位が高いにのも関わらず殺人が止められない男を描くサスペンスです。
主役を演じるのはクリスチャン・ベールです。
彼は父が経営する投資会社で、27歳にも関わらず秘書付きの個室を与えられています。
仕事はする様子はなく、同僚たちとスーツ、名刺、レストラン、女性等のどうでもいい話をして、表面的なことで張り合っています。
主人公は極端に自意識が高く、自分よりセンスのよい名刺を持っているだけで劣等感に苛まれ、その劣等感を浮浪者を殺害することで憂さを晴らします。
そうした中で、ポールアレンという男が現れます。
彼は主人公よりセンスの良い名刺を持っており、主人公が予約を取れない高級レストランの予約を取れ、さらに主人公よりよい部屋に住んでいます。
劣等感に苛まれた主人公は、ポールアレンを殺害します。
すると、主人公の元にウィレム・デフォー演じる探偵がやってきます。
彼はアレンの家族からポールの捜索依頼をされていたのです。
主人公は探偵に追い詰められていると思い込み、殺人への欲求が止まらなくなり、ラストには娼婦たちを次々と血にそめ、警察も、たまたま近くにした清掃人まで殺害します。
そして顧問弁護士に罪を告白しますが、顧問弁護士は主人公を別人と思い込んでおり、冗談だと思って聞き流します。
という感じの映画です。
とにかくクリスチャン・ベールが偏執狂の主人公を熱演しています。
登場人物がことごとく薄っぺらく、さらに90年代の音楽について熱く語りますが、人生は行き当たりばったりで何も考えていません。
探偵と話しているだけで、主人公は手元が震え、会話も支離滅裂になるという貧弱さです。
これらは当時の社会現象であるヤッピーを揶揄しているのですが、いまでもブランド品などの所持品や居住地ににこだわる人間、他人と比べたがる人間がたくさんいますので、いま見ても考えさせられる映画だと思います。
ラストに備えて冒頭で伏線が引かれていますが、ちょっと分かりにくいかもしれません。探偵がロンドンであったアレンはだれ? とか思ってしまいます。
製作費7百万ドルで興行収入34百万ドルですから成功作です。
若きクリスチャンベールの熱演を見たいひとのために!
アメリカン・サイコ ―デジタル・レストア・バージョン― [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2011/06/24
- メディア: Blu-ray
主役を演じるのはクリスチャン・ベールです。
彼は父が経営する投資会社で、27歳にも関わらず秘書付きの個室を与えられています。
仕事はする様子はなく、同僚たちとスーツ、名刺、レストラン、女性等のどうでもいい話をして、表面的なことで張り合っています。
主人公は極端に自意識が高く、自分よりセンスのよい名刺を持っているだけで劣等感に苛まれ、その劣等感を浮浪者を殺害することで憂さを晴らします。
そうした中で、ポールアレンという男が現れます。
彼は主人公よりセンスの良い名刺を持っており、主人公が予約を取れない高級レストランの予約を取れ、さらに主人公よりよい部屋に住んでいます。
劣等感に苛まれた主人公は、ポールアレンを殺害します。
すると、主人公の元にウィレム・デフォー演じる探偵がやってきます。
彼はアレンの家族からポールの捜索依頼をされていたのです。
主人公は探偵に追い詰められていると思い込み、殺人への欲求が止まらなくなり、ラストには娼婦たちを次々と血にそめ、警察も、たまたま近くにした清掃人まで殺害します。
そして顧問弁護士に罪を告白しますが、顧問弁護士は主人公を別人と思い込んでおり、冗談だと思って聞き流します。
という感じの映画です。
とにかくクリスチャン・ベールが偏執狂の主人公を熱演しています。
登場人物がことごとく薄っぺらく、さらに90年代の音楽について熱く語りますが、人生は行き当たりばったりで何も考えていません。
探偵と話しているだけで、主人公は手元が震え、会話も支離滅裂になるという貧弱さです。
これらは当時の社会現象であるヤッピーを揶揄しているのですが、いまでもブランド品などの所持品や居住地ににこだわる人間、他人と比べたがる人間がたくさんいますので、いま見ても考えさせられる映画だと思います。
ラストに備えて冒頭で伏線が引かれていますが、ちょっと分かりにくいかもしれません。探偵がロンドンであったアレンはだれ? とか思ってしまいます。
製作費7百万ドルで興行収入34百万ドルですから成功作です。
若きクリスチャンベールの熱演を見たいひとのために!
【書評】石川九楊『書とはどういう芸術か』 [書評]
著者は京都大学法学部卒の書道家です。
本書は「序文 書はどのようなものと考えられてきたか」から始まり「第一章 書は筆蝕の芸術である」「第二章 書は筆・墨・紙の芸術である」「第三章 書は言葉の芸術である」「第四章 書は現代の芸術でありうるだろうか」と続いていきます。
内容は難解で、正直、よく分かりません。
おそらく「書は筆蝕の芸術である」がメインで、筆蝕が伴わない書を批判しているのかなと思います。
著者の書はかなり前衛的で、素人には理解が難しい部分があります。ある意味現代クラシックにも繋がりそうな気がします。
終盤にワープロを批判している箇所があります。
「それは肉筆で書く時のように、もはや文をつむぎ出す、相似的な全身体的思考ではない」とか言われてもねえ、と思いますが。
書について深く考察したいひとのために!
本書は「序文 書はどのようなものと考えられてきたか」から始まり「第一章 書は筆蝕の芸術である」「第二章 書は筆・墨・紙の芸術である」「第三章 書は言葉の芸術である」「第四章 書は現代の芸術でありうるだろうか」と続いていきます。
内容は難解で、正直、よく分かりません。
おそらく「書は筆蝕の芸術である」がメインで、筆蝕が伴わない書を批判しているのかなと思います。
著者の書はかなり前衛的で、素人には理解が難しい部分があります。ある意味現代クラシックにも繋がりそうな気がします。
終盤にワープロを批判している箇所があります。
「それは肉筆で書く時のように、もはや文をつむぎ出す、相似的な全身体的思考ではない」とか言われてもねえ、と思いますが。
書について深く考察したいひとのために!