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【掌編】齊藤想『海が休む場所』 [自作ショートショート]

第19回坊ちゃん文学賞に応募した作品その1です。

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『海が休む場所』 齊藤 想

 長年漁師を続けてきた祖父には、奇妙な妄想があった。言葉が悪ければ、信念と言い換えても良い。
 祖父は小学生だった私を何度も砂浜に連れ出すと、コンビナートや工場が立ち並ぶ岸壁に顔をしかめながら、こう語り掛けてきた。
「海が疲れておる。沖合までよどんでいる。見てごらん。海のため息が漂っておる」
 祖父はそう口にするが、私には違いが分からない。目の前にはいつもと同じ藍色の海が広がっている。海は機械のように波を送り出し、砂浜に白線を浮き上がらせ、静かに沖合へと帰っていく。
 そのころの私は、祖父の言葉を信じていた。元漁師だから、海のことは何でも知っている。祖父が「海が疲れている」と言うのなら、その通りなのだろう。
 私は、祖父に媚びるようにして話す。
「海さんはとっても疲れているね。どうすれば、元気になるのかな」
 祖父の喉ぼとけが大きく動く。うれしい時の癖だ。
「海を休ませればよい。海のお宿を増やし、ゆっくりと、寝かしてやるんだ」
「ふーん。家族で旅行にいくようなものかな」
「そうだな。省吾はよく分かっている」
 祖父はゴワゴワした手で、私の頭を撫でた。その手の向こう側で、巨大なタンカーが数珠繋ぎになって、岸壁のコンビナートへと吸い込まれていった。

 食卓でも、祖父は海の話を繰り返した。海が疲れている。休ませねばならない。工場とコンビナートのせいで、海が休めなくなった。祖父の話は、いつも同じだ。
 祖父が口を開くと、父は露骨に眉をひそめた。父は祖父が毛嫌いする工場で主任を務めている。工場で重要なポジションを任せられているらしい。
父は茶碗を食卓に置いた。
「お義父さん、その話はもう止めましょう。あの工場やコンビナートのおかげで、町は発展できた。道路や電車が整備され、大学病院だって誘致できた。お義父さんのご兄弟はみんな幼くして病気で亡くったとお聞きしましたが、もうそんな時代には戻りたくはないでしょ」
 母も困惑している。
「お父さんが海を愛する気持ちは分かるし、漁師の腕一本で私を育ててくれたことは感謝している。けど、あの工場やコンビナートだって、海を大切にしているのよ。一度工場見学にくるといいわ。私だって最初は半信半疑だったけど、パート務めをするようになって考えが変わった。お父さんの誤解が解けると思うから」
 二人から正論で返されると、祖父は言い返せない。顔を背け、不機嫌そうに離れに引き上げてしまう。
 数日たつと、祖父は私のことを呼び、また砂浜へと連れていく。岸壁に立ち並ぶ工場やコンビナートに顔をしかめ、ため息をつく。
 そして、私に同じ話をするのだ。
 まるで、車輪を回すしか芸のないモルモットのように。

 工場はますます盛んになり、町は発展の度合いを増していった。祖父は工場拡張の反対運動への参加を続けていた。だが、その声はごく一部にとどまり、世間的には無視された。
 祖父は食事も別にとるようになった。父は困り切っていた。
「昔なら公害問題とかいろいろあったが、いまや工場はクリーンになり、排水で海を汚すこともない。環境基準の遵守は当たり前で、外国との競争でコストカットに迫られながらも、基準以上の環境対策を進めている。そのことをお義父さんは知らないし、知ろうともしない。昔ながらの固定観念に凝り固まっているんだ」
 祖父が反対運動に参加していることで、父は職場で微妙な立場に置かれているようだった。上司からは「自分の義父を何とかしろ」と責められているらしい。
 私は両親も祖父も好きだった。だから、両親の話を聞かずに、一方的に閉じこもる祖父に反感を覚えつつあった。
 私は父を助けるために、へそを曲げた祖父を離れまで追いかけた。祖父は、部屋の隅でいまは使わない漁具の手入れをしていた。工場建設と引き換えに、漁協が漁業権を売り渡したのだ。
ここ数年でめっきり落ちくぼんだ眼が、さらに沈み込んでいる。
 私は祖父の正面に回り込んだ。祖父は少し腰を動かして、まるで私を避けるように、半身の態勢になる。祖父の耳が目の前にきた。耳の穴から白い毛がのぞいている。
 頑強だった祖父も、確実に年齢を重ねている。
「ねえ、おじいちゃん。もう少し、お父さんやお母さんの話を聞いてあげてよ」
 祖父は答えない。まるでイヤイヤをする赤ん坊のようだ。
「海が疲れていると思うのなら、おじいちゃんが海を休ませてあげればいいじゃない。久しぶりに海と遊ぶために釣りにいくのはどう? 友達が言っていたけど、工場の近くには魚がたくさん集まるらしいよ」
 工場の近くで大きな魚が釣れたら、祖父の考えも変わるかもしれない。そう願ったのだが、祖父は「ふん」と吐き捨てただけで聞く耳を持たなかった。「ねえねえ」と繰り返しても、祖父は背中を向けるだけだった。
「しょせんは工場の息子だな。海のことなど、何もわかっとらん」
 その瞬間、私の中で何かがはじけた。
「おじいちゃんだって、何も知らないくせに」
 祖父が振り返った。その顔には、悲しみとも驚きとも言えない表情が浮かんでいた。
「海が疲れている、なんて意味が分からない。おじいちゃんは、昔を懐かしんで、工場に文句を言いたいだけだ。ただの憂さ晴らしだ」
「違う。海は本当に疲れておる。そろそろ海の宿で休ませないといけない。だが、あんな醜い建物がある海岸に、海の宿は近寄ってこん」
「文句をいくら並べても、時代は変わるんだよ。そんなに海が大切なら、いまの時代に合わせた海のお宿を呼べばいいじゃないか。それに、海のお宿ってなんだよ。あるなら見せてくれよ」
「お前もすっかり親父に似てきたな。工場の息子には教えられぬ」
「それを言うなら、ぼくは漁師の孫だ。孫に海のことを教えられないなんて、漁師として失格だ」
 祖父の喉ぼとけが、少し動いた。
「省吾はずいぶんと面白いことを言うようになったな」
 そのとき、かすかに遠吠えのような声が聞こえてきた。犬とは違う。それは、海の底をかき乱すような声だった。
「アイツがやってきたようだ」
「アイツって?」
 祖父は時計を見た。日没までまだ時間がある。
「お前に海のお宿を見せてやる。漁師の孫としてな」

 小さな漁船はポンポンという貧相な音をたてながら、沖へと向かっていった。漁師を廃業しても長年愛用してきた漁船は捨てがたく、祖父は友人に託して維持してきた。その漁船を数年ぶりに引っ張り出したのだ。
 祖父の漁船はまるで木の葉のように頼りなく、波を越えるたびに船が逆立ちをしそうになる。私は海に投げ出されないように、芋虫のように甲板に這いつくばり、目の前にあるものに所かまわずしがみ付いた。
 祖父が私の様子を見て笑う。
「おい工場の息子、もうダウンか」
「全然大丈夫。だって、漁師の孫だから」
 口では強がって見せたが、もう限界だった。胃液が噴水のように湧きあがり、喉が焼けるように痛い。そもそも、漁船に乗るのは今日が初めてなのだ。
 私は父から聞いたことを思い出した。船酔いを我慢するには、遠くを見るのがよい。港を探してみたが、海岸線は遠くなり、祖父が忌み嫌う工場やコンビナートも見えない。緑に包まれているはずの山々も、海岸線の下に没している。
 空を見上げれば、綿菓子のような白い雲が浮かんでいる。青と白の単純な美しい世界。そう感慨にふけることができるのは一瞬で、すぐに吐き気が胸元までせり上がり、舷側から胃液を海に垂れ流した。
 最後の胃液を吐ききったころ、祖父が人差し指を大海原に向けた。祖父の指先で、まるでだれかが絵を描いたかのように、白い輪ができている。
「ほら、おいでなすったぞ。めったに見られないから、よく目を凝らしておけ」
 白い輪が徐々にせり上がり、突如として爆発したかのように海面が盛り上がった。
 津波のような波が漁船を襲い、祖父のボロ船がなんとか乗り越えたとき、目の前には巨大なクジラが浮かんでいた。まるタンカーのようだ。この世の生物とは思えない。図鑑で見たシロナガスクジラより、はるかに大きい。
 祖父が漁船を回し、ゆっくりとクジラに近づける。
「あれが海の宿だ。海はアイツに吸い込まれて、疲れを取り、戻っていく」
「どういうこと?」
 巨大クジラは大きな口をあけて海水を飲み込むと、スカイツリーのような長大な潮を噴き上げた。その潮は透明で、水しぶきとともに虹がきらめき、落ちてくる水滴が海面をやさしくなでる。
 海の主は、小さな漁船など眼中にない様子で、ゆうゆうと海を泳いでいる。
「アイツに嫌われないなんて、工場もなかなかやるじゃないか。おまえのオヤジが言っていたことは本当かもな」
 巨大クジラは何度も潮を吹き上げた。そして、この海を癒し切ったと言わんばかりに、ふたたび海へと潜っていった。白い泡が漁船を包み込み、そして消えた。
 海の宿は、小さな人間たちを一度も振り返らなかった。

 あいかわらず祖父は工場の反対運動を続けていた。
 工場はいつ悪いことをするのか分からないというのが理由らしいが、それより、こうして騒いでいればいままで通り海を大切にしてくれるだろうと信じているらしい。
 父も諦めた様子で、祖父のことを冷めた目で見ている。
 海の宿を見てから、十年ほどで祖父は死んだ。大学を卒業した私は地元に戻り、ホエールウォッチングの会社を立ち上げた。観光客は無邪気にクジラとの出会いを楽しんでいる。両親が定年まで勤めあげた工場は海外に移転し、後釜の企業もなく、いまや岸壁はぺんぺん草に覆われている。
 時代も人も海も、どんどん移り変わっていく。
 私は今日も観光客を乗せて、海に船を繰り出す。しかし、いまだに海の宿とは再会できないままだ。子供のころに体験したあの一瞬は、海の気まぐれだったのかもしれない。
 次に会えるのは、孫の時代かもしれない。
 藍色の海は、眠っているかのように静かだった。

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【映画】ザ・スーパーマリオブラザース・ムービー [映画評]

世界中で大ヒットして、任天堂コンテンツの強さを示した映画です。

https://www.nintendo.co.jp/smbmovie/index.html

主人公はマリオとルイージ。
たぶん、みんな忘れていると思いますが、二人はイタリア人の配管工という設定です。
ただ、舞台はアメリカのブリックリンです。
映画はダメダメ兄弟の配管修理から始まり、市街地の大きな水漏れを自主的に修理に向かったところ、地下の土管に吸い込まれてスーパーマリオブラザースの世界に飛ばされます。
マリオはキノコ王国に、ルイージはクッパ城へとバラバラになってしまいます。ルイージは囚われの身となります。
マリオはキノコ王国でキノピオやピーチ姫と合い、ピーチ姫はキノコ王国を守るため、マリオはルイージを助けるため、キノピオは勇敢さを示すために、クッパに立ち向かいます。
というのが、ざっくりとしたストーリーです。
映画は全編ユーモアテイストで、任天堂ネタがどんどんつぎ込まれています。
土管に入ったり、キノコやフラワーで変身するのは、スーパーマリオブラザース。ノコノコやクリボー、カロンなどおなじみキャラのが勢ぞろいです。
カートに乗り込み、レインボーロードを爆走するのはマリオカート。もちろんアイテムも登場です。
ドンキーコングとの対決(デイジーコングも登場)は、スマッシュブラザースでしょうか。
元ネタがわからないと、意味不明の映画になりそうですが、子供たちはおおむね分かっているのОKでしょう。
クッパは敵役ながら愛嬌があり、残虐表現がないのもファミリー向けとしてグットです。
映画の構成ですが、基本的に任天堂ネタを注ぎ込むことに注力されている感じです。
評論家の評価は低い一方で、興行成績が絶好調というのもわかる作品です。いまの勢いなら、歴代興行収入映画ランキングにランクインも間違いありません。

スーパーマリオブラザースシリーズで遊んだ子供たちのために!
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ABEMAトーナメント2023【予選Aブロック】 [将棋]

優勝候補がいきなりの登場です。

〔番組HP〕
https://abema.tv/video/title/288-37

個人的優勝候補はチーム永瀬です。リーダーの永瀬拓矢王座と増田康宏七段のフィッシャー適性の高い2枚看板は強力で、さらに本田奎五段と隙のないメンバーです。
ただチーム稲葉も協力で、稲葉陽八段は前回優勝者ですし、服部慎一郎五段、出口若武六段とメンバーを揃えています。
チーム豊島は木村一基九段のフィッシャー適性は抜群なのですが、リーダー豊島将之九段のフィッシャー戦績がいまいちなのが不安です。池永天使五段はフィッシャー経験豊富です。
それぞれの結果ですが

[チーム永瀬 ― チーム豊島]
 チーム豊島は木村一基九段が増田康宏七段を破るなどして2-1と奮闘しましたが、二転三転したリーダー対決を永瀬王座が制したのが大きく、永瀬王座は3連勝。
 5-2でチーム永瀬が勝利しました。

[チーム永瀬 ― チーム稲葉]   
 稲葉リーダーが第4局からの3連投でチーム永瀬の3人を全員吹きとばす3連勝。出口若武六段が駒を落として時間切れを悟って投了という珍事があったものの、初戦で増田康宏七段を破った星も大きく、2-5でチーム稲葉が勝利しました。

[チーム稲葉 ― チーム豊島]
  話題になったのは木村九段です。劣勢の将棋を持将棋に持ち込んで指し直し局での逆転勝利に続いて、鬼の連投指令にも笑顔で出撃、これも逆転に次ぐ逆転で稲葉リーダーに勝利という大奮闘です。
フィッシャーが苦手な豊島九段も2-1と結果を残しましたが、池永五段が痛恨の3連敗。
 5-4でチーム稲葉が勝利しました。

これで1位通過がチーム稲葉、2位通過がチーム永瀬となり、チーム豊島の予選敗退が決まりました。
来週からは予選Bリーグが始まります!
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