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【掌編】齊藤想『三十一年目の約束』 [自作ショートショート]

第3回小説でもどうぞW選考委員版に応募した作品です。
テーマは「約束」です。

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『三十一年目の約束』 齊藤 想

 ピンク色のカーテンが、柔らかく広がった。夏の香りを凝縮した風が少女の部屋を一巡し、名残惜しそうに青空へ帰っていく。
 しばらく風に抵抗していた小さな写真立てが、力尽きてパタンと倒れる。その写真立ての前に飾られている足付きの茄子は、風に負けることもなく、悠然と立ち続けている。
 ヒロシがカーペットの上であぐらをかきながら風のいたずらを眺めていると、背中側から幼い声が響いた。
「あー、やっぱり死んだお兄が来ている。ひとの部屋に勝手に入らないでくれる」
 妹のメイだ。とはいっても、本気で怒っているわけでも、嫌がっているわけでもない。むしろ、喜んでいる。
 それでも、ヒロシは形だけは憮然とした態度で答えた。
「仕方が無いだろ。死んだらどこにでも自由に移動できるのかと思ったら、思い入れのある場所だけなんて想定外だ」
「じゃあ、お兄はメイの部屋が特に思い入れが深かったんだ。この変態」
「バカなことを言うな。ここにアレが置かれるんじゃあ、仕方が無いだろ」
 ヒロシは部屋の奥を指さした。そこには立派な仏壇が飾られている。ケバケバしい飾りの中央で、高校の制服を着たヒロシが堅苦しい笑顔を浮かべている。
 今日はお盆。1年に一度だけ、魂がこの世に帰ってこられる日。
 そんな貴重な1日を、妹との会話だけで終わるのもなんだかなあ、という気もするが。
「妹の部屋が不満なら、この仏壇をお兄が行きたい場所に運んであげる。お兄はどこに行きたいのかしら。どうせ、思春期だから、女子更衣室とか女子浴場とかでしょ」
「余計なお世話だ。それに、仏壇をメイが運べるわけないだろ」
「お母さんに頼めばいい」
「変なことを言って、親を困らすな」
「はいはい」
 メイは軽く受け流す。くるりと回ってから兄の顔を凝視する。
「それにしても、本当にお兄は変わらないよね。死んだら仏様に近づくのかと思ったら、ぜんぜん、そのまんま。生前に信仰心が足りなかったんじゃないの?」
「それはお互い様だ」
「もっと地獄で揉まれなよ。そうすれば、少しは大人になるかもしれない」
「バカ。おれは天国だ」
「お兄でも天国に行けるなんて、あの世の入学試験はゆるゆるだね」
「減らず口もいいかげんにしろよ」
 ひとしきり腐ると、ヒロシはカーペットの上に寝転んだ。
「それにしてもつまらないよなあ。死んでしまったら、できることなんて、ほんのちょっとしかない」
「例えばメイとしゃべるとか?」
「まあな」とヒロシが答える。
 メイがヒロシと並ぶようにして横になる。
「けど、うれしいな。お兄がメイとの約束を守ってくれて」
「お盆のときには帰ってきて、だったかな。まあ、他にすることもないしな。どうせメイも暇なんだろうから」
「暇で悪かったわね」
 そのとき、妹の部屋に母が入ってきた。
 少し見まわしてから窓を閉めると、母はヒロシの体をすり抜け、仏壇に前に座る。そして、倒れている写真立てを元に戻す。
 その写真に写っているのは、中学生の制服を着た笑顔のメイ。
 母親は、二人の遺影に両手を合わせる。疲れ切った白髪に、歳月が積み重なる。
 ヒロシがつぶやく。
「お母さんも年を取ったな」
「あの事故から三十年だもん。兄妹同時に交通事故で失って……かわいそうだった」
「だから、お盆は一緒に集まろうって、二人で約束して」
 メイが母親の背中に寄り添う。
「ねえ、お母さん。今年も二人で来たよ」
 一途に祈り続けていた母親が、ふと、顔を上げた。

 日はとっぷりと暮れた。もうすぐお盆が終わる。
 メイがヒロシに尋ねる。
「来年もまた集まれるかな」
「この家と仏壇が残っていればな。まあ、もうちょっと大丈夫だろ」
「じゃあ約束だよ」
 ヒロシとメイは、絡まらない小指を、二人で重ね合わせた。
 来年は、二人が約束してから、三十一年目の夏になる。

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