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【SS】齊藤想『白絵』 [自作ショートショート]

Yomebaの第17回ショートショートコンテストに応募した作品です。
テーマは「絵」です。

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『古絵』 齊藤想

 不思議な画廊だった。看板もなければ絵も飾っていない。ホームページもなければ電話帳にも載っていない。繁華街の裏路地に位置しており、まるで世間に知られるのを拒否しているかのような店だった。
 長年、美術評論家を続けてきた行平美佐子も、初めて知る店だった。
 美佐子が画廊の入口を開けると、奥の絵をみていたらしい店主らしい老人が慌てた様子で出てきた。油絵の具のにおいが店中に漂っている。
 その店主は、来店した美佐子に、いきなりこう言った。
「ここに売り物はないんで」
 美佐子は驚いた。
「けど、画廊でしょ? カバーがかけられた絵が重ねて立てかけてあるのが見えるもの。申し遅れましたが、私はこういうものです」
 美佐子は美術評論家と有名美術雑誌の編集長の肩書が書かれた名刺を差し出した。この業界にいればだれもが知っているはずだが、店主は首を傾げた。
 どこまでも浮世離れした店らしい。
「私は評論家です。絵を拝見するぐらいはよいでしょう」
 美佐子は直感した。こういう店には逸品が眠っていることが多い。隠すということは、表に出したくない絵があるのだ。
「ちょっと、困ります」
「困る理由が分かりません。もしかして、盗品を隠しているのですか。盗品と知って取引をすると、あなたも厳罰に処せられますよ。疑われるだけ損ではありませんか」
 美佐子の脅し文句に、店主が一瞬とまどった。専門家といはいえ、すべての盗品を把握しているわけではない。中には見落としもある。盗品と知っていても、絵の魅力に負けて手を出してしまうこともある。
「安心してください。私は警察ではありませんので、素直に見せてくれれば告げ口はしません」
 美佐子には予感があった。先ほどまで店主が眺めていた一番奥の絵。そこにお宝が眠っている。だれにも奪われたくない。だから、ひた隠しにしているのだ。この店は道楽か何かなのだろう。そういう店を、美佐子は何軒か知っている。
 いずれの店も、世には出ていない、素晴らしい絵画を抱えている。税金対策のために、画廊という形をとっているだけなのだ。
「お客さん、お客さん」
 美佐子は突入すると、店主が追いつく前に絵にかけられていたカバーをはぎ取った。そこには、見たこともない絵がおかれていた。
 一言でいえば、純白に包まれた絵だった。思わず、美佐子は感嘆の声を上げた。
 その絵には、妙な魅力があった。
 構図は単純だ。雪が積もる海岸線に、巨大な積乱雲が描かれている。しかも作者の工夫なのか、雲と雪が立体的に描かれており、キラキラと輝く白い絵の具がまるで石膏像のように盛り上げられている。
 この光と造形による立体感が、無名作家の絵に力を与えている。
 重層的な絵を保護するためか、額縁も大型で、表面はアクリル板で厳重に保護されている。それだけ、この絵に高い価値がつけられている証拠だった。
「この絵は誰の筆になるのですか」
 店主は困ったような表情をした。
「よく分かりません。仲間から買い取っただけですから」
「あなたのお仲間は絵を見る力があるわ。この絵を見ていると、実に気持ちよくなります。まるで春の草原を駆け抜けているような爽快さというか」
 美佐子はこの絵が醸し出す空気を力いっぱい吸い込んだ。美佐子は次から次へとカバーをはぎ取った。周辺にある絵は同一作家のシリーズ物なのか、同じように雪と雲をテーマにした作品が重ねられていた。いずれも、絵の具を盛ったような極端な重ね塗りが特徴だった。
「実はその絵には先約がいまして……」
「これだけ素晴らしい絵なら買い手がいて当然だわ。けど、これだけあるのだから、1枚ぐらい残っているでしょう」
「それが全部……売約済みの札を付けておくべきでした。作者が目立つのを極端に嫌がるので、あまり札をつけるのもなんだかと思いまして」
 美佐子は絵の署名を見た。殴り書きのようで、何語か判断付かない。少なくとも英語圏ではなさそうだ。
「この絵を見ているだけで、創作意欲が湧いてきます。いろいろなアイデアが生まれてきます。こんな不思議な力の持った絵は初めてです」
「もうよろしいですかね。見ての通り盗品ではありませんから」
 店主は、黙々と美佐子がはぎ取ったカバーを戻し続けた。特注品なのか、ずいぶんと分厚いカバーだった。扱いも丁寧だ。店主の絵に対する思いに、美佐子は胸が熱くなった。
「私はあなたの素晴らしい眼力に感嘆しました。一緒に仕事をしませんか。この絵の作者を大々的に売り出しましょう。作者が目立つのがお嫌いな方なら、バンクシーのような覆面画家でもよいではありませんか」
 美佐子はこの業界では名が知られている。その美佐子からの提案が断られるわけがないと思ったが、店主からの返事はつれなかった。
「私は一人で仕事をするのが性にあっています。ひっそりと商売を続けたいのです。この絵は特定の人にしかお譲りいたしません。気が済んだのなら、もうお帰りください」
 店主は最後までかたくなだった。

 美佐子を追い出した後、店主は密かにアクリル板を少しずらした。この上なくいい匂いが漂ってくる。
 この白色のために人生をかけてきた。この上なく素晴らしい商品だ。だが、そろそろ店じまいの時期かもしれない。新しい取引方法を考えなくてはならない。
 店主は匂いを十分に堪能し、うっとりしてから、商売相手に連絡した。
「おい、早くヘロインを引き取りに来い。お前が五分遅れたせいで、変な客が舞い込んできたじゃないか」

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