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【掌編】齊藤想『侏儒の言葉』 [自作ショートショート]

小説でもどうぞ第1回に応募した作品です。
テーマは「はじまり」です。

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『侏儒の言葉』 齊藤 想

 うちの祖父の口癖は「終わりがあるから、始まりがある」だった。
 この言葉に深い意味はない。芥川龍之介の最晩年の作品『侏儒の言葉』にある「あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである」と同じように、気が利いているかもしれないが、ただそれだけの言葉だ。
 祖父は哲学者でも文学者でもない。小さな町工場の経営者だ。
 祖父は奈良県の農村で生まれた。当時はのどかな風景が広がる寒村だったが、高度成長期時代に田地はつぶされ、いまや大阪のベッドタウンになっている。
 祖父は一旗揚げるために大阪に出て、環状線の内側で小さな町工場を始めた。主要事業は木材加工で、機械に取り付ける小さな把手を作っていた。
 戦後復興の好景気に乗り、工場は増産に次ぐ増産。住み込みの職人まで雇っていた。
 ところが徐々にプラスチック製の把手が出回るようになり、不器用だった祖父は事業転換することもできず、規模を縮小しながら、いつまでも昔ながらの木製の把手を作り続けていた。
 私が幼いころ、祖父の工場に遊びに行ったことがある。巨大な旋盤で材料を回し、ノミをあてがって器用に目的とする形状に削りだしていく。
 私の目には、その動きが魔法のように思えた。
 孫の視線が嬉しかったのか、こういうときに、祖父の大好きな警句が次から次へとでてきた。
 ただ、子どもながらにも、祖父の町工場の経営が傾いていることは感じていた。
 年1回の父の里帰りの時、夜中になって、大人たちがひそひそと町工場をたたむ相談をしているのを盗み聞いたことがある。
 その深刻そうな声に、怖くて布団の中にもぐり続けていた。
 父の声はよく聞こえなかったが、祖父がこう言ったことはよく覚えている。
「終わりがあるから、始まりがある。これでいいのだ」
 意味はよく分からなかったが、祖父の工場の終わりが近づいていることだけは、理解することができた。
 祖父の町工場は思わぬかたちで終焉を迎えた。祖父が脳溢血で倒れたのだ。
すでに従業員は祖父一人になっていたし、もはや趣味で続けているとしか思えなかった状態なので、すぐに町工場は休止となった。
 廃業しなかったのは、町工場が祖父の生き甲斐であり、潰したら悲しむと父が思ったからだ。父なりの祖父に対する愛情だった。
 祖父は手術で一命はとりとめたものの、術後の経過は思わしくなかった。徐々に脳細胞が死滅していき、三年後には話すことも書くこともおぼつかなくなった。
 それでも、父親は町工場を清算せずに残し続けた。
定年を迎えた父が祖父の看病を続けていたが、その甲斐もなく、五年にも渡る闘病の末に亡くなった。
 後には古びた機械だらけの町工場が残された。長らく無人だったはずなのに、いまだに機械油の匂いが充満している。
 父は工場の内部を歩き回ると、研ぎ澄まされたノミを何個か手にした。
 父はブレーカーを上げると、旋盤を回し始めた。まるで祖父が働いていたころのように、機械の動きは滑らかだった。まるで、誰かが整備を続けていたかのように。
 小さな木製の椅子に、父が座った。祖父の背中が重なる。
「中学生のころは、こうしてオヤジから手ほどきをうけたものだ。オヤジが男なら何かひとつ技術を身につけろと」
 父がゆっくりと木材にノミをあてがう。削りかすが一本の糸のように宙を舞った。
「オヤジには口を酸っぱくして言っていたが、どんな産業でも、時代に合わせたやり方があると思うんだよな。まったくオヤジは頑固というか、不器用と言うか」
 父はそうつぶやくと、昔懐かしい木製の把手を作り始めた。私から見ても、見事な出来栄えだった。
「意外と覚えているものだな」
 父は、空気に向かって話しかけた。
「終わったからこそ、始められることもあるんだよな」
 父がそうつぶやくと、二個目の把手に取り掛かった。
 終わりが先なのか、それとも始まりが先なのか。卵か鶏か。まるで侏儒の言葉だな、と私は芥川龍之介の横顔を思い浮かべた。
 旋盤に向かう父の体は、小刻みに揺れ続けていた。まるで若いころの祖父のように。


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