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【ミステリ】齊藤想『衆人環視の中の殺人』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房第78回に応募した作品です。
テーマは「幕」です。

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『衆人環視の中の殺人』  齊藤 想


 舞台はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。照明は絞られ、舞台の中央だけが明るく浮かび上がる。
 百人ほどの観客の視線が、主演である山中恵里佳の一挙手一投足に向けられている。
 恵里佳は、緊張で口の中がカラカラに乾くのを感じていた。この緊張は、観客がいつもより多いからでも、高名な舞台評論家が観劇に訪れているからでもない。
 いまから衆人環視の中で殺人を行う。その緊張のためだった。
 トリックは単純だ。
 この劇には、主演である恵里佳が自らの恋人であり、父の敵でもある紳士を刺殺するシーンがある。
 刺殺シーンで使用されるのは、もちろん模造刀だ。刺せば刃が柄に引っ込む仕組みだが、これを本番直前に本物とすり替える。
 刺した後で、恵里佳は本物だと気が付かなかった演技をする。
 恵里佳がナイフをすり替えた証拠さえ見つからなければ、原因不明の事故として処理されるだろう。小道具係が警察から詰問されるかもしれないが、罪滅ぼしとして後で精一杯のフォローをするつもりだ。
 ナイフを隠す場所は緞帳だ。
 刺殺シーンの前に、セットを切り替えるため短時間だけ幕が降りる。
 幕のひだのひとつに、小さなポケットを仕組んでおき、そこにナイフを隠し、幕が上がる直前に模造刀と入れ替える。
 事件がひと段落したら、緞帳のトリックを回収する。
 これで、完全犯罪が成就する。
 殺人を決意したのは、一週間前のことだ。
 殺害する俳優の名前は戸部明。六十代を迎えたベテラン俳優で、若いころは端正なルックスでもてはやされたそうだが、いまでは見る影もない。むしろ全身から下品さを滲みだした醜い初老の男性に過ぎない。
 あとはお決まりのパターンだ。売れない田舎モデルだった恵里佳を「映画やTV業界を紹介してあげる」との甘言でたぶらかし、貞操を奪うと、あとは自らが主宰する舞台俳優に起用することでお茶を濁した。
 しかも恵里佳のことを愛人気取りで扱い、ここ何年は無給に近い。
 少し名前が売れてきて、一週間前に大手芸能プロダクションからスカウトが来た。戸部に移籍を相談すると、応援するどころか気が付ないうちに撮影された秘事の写真をばらまくと脅迫してくる。
 戸部がいる限り、恵里佳は女優として花開くことができない。このままでは一生奴隷にされてしまう。
 戸部は最低な人間だ。彼を殺すしか未来は開けない。
 最期の照明が落ち、シーンの切り替えが始まった。いよいよ殺人の時間だ。
 緞帳が下りると、スタッフ総出で慌ただしくセットを切り替える。次のシーンは迎賓館での口論だ。大きなテーブルの上には、すでに模造ナイフが用意されている。
 手順は何度も練習してきた。
 恵里佳は緞帳に背中を向けて立ち、右から二番目の下から三番目のひだを目掛けて、後ろ向きに手を指しこんだ。
 この場所を選んだのは、脚本を十分に吟味した結果だ。殺害シーンが始まるとき、恵里佳はこの位置に立つ。自然に手を差し込める隠し場所はここしかない。
 実際に舞台稽古のときに同じ仕草をしてみたが、だれからも気づかれなかった。
 自信はあったが、あくまで目線は舞台。緊張のためか、指がスムーズにナイフを掴めない。指先に汗がにじむ。
 恵里佳は頭の中で秒を数え続けた。この後、セットを確かめるふりをしながらナイフを本物と入れ替え、模造ナイフを緞帳に隠さないといけない。もう時間がない。
 恵里佳はやむなく殺人を断念した。
 殺害は明日の舞台で実施しよう。ミスは許されない。いままでの我慢を思えば、一日ぐらいなんだというのだ。
 恵里佳は定位置に戻ると、心を落ち着かせるために大きな息を吐いた。
 ナイフとともに緞帳が上がり始める。
 恵里佳は観客に向かって、両手を広げた。
「ああ、愛しのミルコ様。なぜ、私の愛は貴方に届かないのですか。邪魔をするのは身分でしょうか、それとも溢れすぎる情熱でしょうか。もし、ミルコ様が私を裏切ったのなら、貴方に与えられる褒美は死こそ相応しい」
 最初のセリフが終わったときだ。後ろから貴族の衣装を着た戸部の「あっ」という短い叫び声が聞こえてきた。
 その声に導かれるように見上げると、巻き上げられた緞帳の隙間から、鋭利なナイフが恵里佳の頭を目掛けて、真っ逆さまに落ちてきて……。


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