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【SS】齊藤想『一枚のマスク』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房第72回に応募した作品です。
テーマは「マスク」です。

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『一枚のマスク』  齊藤 想

 この物語は、いまから十五年ほど前の12月31日、東京の下町にあるそば屋「東京停」での出来事から始まります。
 そば屋にとって、一番のかきいれどきは大みそかです。しかし、新型コロナの影響もあり客足はさっぱりでした。
 閉店間際になって、入口の扉がガラガラと力なく開いて、2人の子供を連れた中年女性が入ってきました。6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、女性は季節外れの竈門炭次郎のようなチェックのハーフコートを着ていました。
「いらっしゃいませ」
 迎える女将に、女性はおずおずと言いました。
「あのー……マスクが1枚しかないのですが、よろしいでしょうか?」
 後ろでは、二人の息子が心配そうに母親のことを見上げています。
 店舗に入るのにマスク着用は常識です。店員は全員がマスクやフェイスシールドを着用しています。困った女将が大将を振り返ると、
「あの隅のテーブルに案内しろ。衝立で仕切っておけ」と言いました。
 新型コロナによるダメージは大きく、少しでも売り上げが欲しい状況です。
 女将はいそいそと準備して、端っこのテーブルに3人を案内しました。注文は一杯のかけそばでした。3人はそのかけそばを分け合って食べると、母親だけマスクをして代金を支払って帰りました。
 親子が使用したテーブルは、いつもより入念にアルコール消毒をしたことは言うまでもありません。

 新型コロナによる不況が長期化するなか、翌年の大みそかがやってきました。もちろん売り上げは低空飛行の赤字続きです。
 また竈門炭次郎のようなハーフコートを着た中年女性がやってきました。
「あのー……マスクが1枚しかないのですが、よろしいでしょうか?」
 女将は一年前のことを思い出しました。
「まだ1枚なんですか? だって、もうマスクはどこにでも売っているでしょう」
「その恥ずかしながら……」
「お店のマスクを上げますから。これを付けてくださいな」
「いまは貧乏生活をしていますが、私たちはほどこしを受けるほど、落ちぶれてはいないつもりです」
 なにをマスクごときで、と思ったが、女将は大将のことを振り返った。
「去年と同じテーブルに案内しろ。もちろん衝立もつけておけ」
 めんどくさい、と思いながらも、女将は大将の言う通りにしました。また親子3人は衝立の向こう側で、一杯のかけそばを食べて帰りました。

 こんなことが続くと、女将も警戒するようになります。
 大晦日になると、衝立を用意し、隔離席を作るようになりました。また、例の親子がやってきました。
「あの……」
「はいはい、またマスクが1枚と言うんでしょ。もう用意してありますから」
 そういって、女将は隔離席を案内しました。例年と違うところは、1杯のかけそばが2杯になったことだけでした。

 それからしばらく、親子はやってきませんでした。いまはSNSにより、ちょっとしたことがすぐに拡散してしまいます。マスクなしのお客を受け入れていることが知られたら、何といって叩かれるのか不安で仕方がありません。
 売上は上りも下がりもせず、なんとか店を続けられるレベルで安定していました。変な客はこないに限る。そう女将は思っていました。
 女将も安心しきったころ、例の3人がやってきました。小さかった二人の息子は立派に成人していました。
「またマスク1枚なのかい?」
 女将があきれ顔でいうと、3人は全員マスクをしました。
「あのときはお世話になりました。実はバズりそうな動画を撮影するために”マスク1枚でお店に入ってみた”シリーズを続けていました。女将さんの投げやりな態度と言い、あの廃墟から盗んできたようなボロボロの衝立といい、このお店のインパクトのおかげで動画がバズり、それなりの収益を上げることができました。今日はそのお礼のために、天ぷらそば3杯を注文しようと……」
「もういいから帰って」
 ああ、また動画にされるんだろうなあと思いながら、女将は3人を追い返しました。

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