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【掌編】齊藤想『旅立ちの日は夕立』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房第64回に応募して、佳作に選ばれた作品です。
テーマは「夕立」です。

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『旅立ちの日は夕立』 齊藤想

 旅立ちは、夕立の翌日と決めている。全てを洗い流すような激しい雨。夕立によって浄化された世界を背に、おれは旅立つ。それがおれに残された唯一の希望だ。
 もう生きるのに疲れた。現世は飽きた。楽しいことは何ひとつもない。食って、糞して、寝るだけの日々。
 隣の部屋の住人から「おれもお前はウンコ製造機だ」と言われた。「お前も同じじゃないか」と言い返したが、まさにその通りだ。
 小さな部屋で引きこもる日々は、まるで永遠に蛹になれない蛆虫のようだ。蝶どころか蛾にすらなれない。
 罪深き役立たずは、この世からおさらばするしかない。だが、立場的に自分では決断ができない。だから”夕立の翌日に旅立ちたい”と願うことにしたのだ。
 今日も気持ちい朝だった。カレンダーを見ると木曜日だった。
 小さな窓から外を見ると、夏の陽気負けない元気さで、スズメが飛び回っている。
 雨の気配は1%も感じない。
「今日も旅立てそうにないな」
 そう思っていたら、午後を過ぎたあたりから雲が集まり始めた。間もなくして、大粒の雨が地面を激しく叩く。
「驟雨だな」
 おれはつぶやいた。突然の大雨を表す言葉だ。驟雨はさらに激しくなり、隣接する運動場を白色に染める。
「これは白雨だ」
 白雨は驟雨の別名だが、おれは靄がかかるような雨を”白雨”と呼んで使い分けている。いわばマイルールだ。
 雲がさらに黒くなり、大地を押しつぶそうとするように地面に迫る。
 空が光った。
 続けて落ちてくる雷鳴が、殺風景な鉄筋コンクリートの壁を震わせたる。
「神立だ」
 神立は雷雨の別名だが、おそらく雷光が神が降臨しているように見えたから名付けられのだろう。
 今日の雷は特に力強い。まさに神様の鉄槌が下ろされたかのようだ。
 激しい雨はまたたくまに通り過ぎていく。
「今回も通り雨だったな」
 これでは夕立とは言えない。そう落胆していたら、雨雲が去った後も雨が降り続いている。
「狐の嫁入りだ」
 さらに晴天が広がっても、雨粒が数滴落ちてきた。
「天涙だ」
 空が泣き笑いをしている。そう表現するのがぴったりとする空模様だ。
 外はすっかりと晴れ上がった。
 これほどの見事な快晴を前にすると、なぜか、先週話したクソ坊主の姿が脳裏に浮かんできた。
 そのクソ坊主は、いつ死んでもおかしくないような老人で、棺桶から這い出てきたのように痩せている。
 そいつは頼んでもいないのに、この部屋に週一回のペースでやってきて、一方的に説法をして帰っていく。
 その老人は「所業無常」だとか「輪廻転生」だとか「常住不滅」だとか、そんな無意味な言葉をのたまわる。
 安全地帯いるからこそ、好きなことを言える。おれはそういう人間が大嫌いだ。
 空は羨ましい。
 ほんの少しの空気のいたずらで、ほんのわずかな風の流れで、多少の温度の気まぐれで、いくらでも姿を変えることができる。
 天気は毎日生まれ変わっている赤ん坊のようなものだ。これこそ輪廻転生。坊主の言葉など、空を見ていれば全て分かる。
 毎日変わる天気の中で、太く短く生きる夕立こそ、最高だと信じている。
 次の日の朝、扉の前で足音が止まった。扉が開かれ、制服を着た役人が、優しい口調でこう告げた。
「残念だけど、お迎えだよ」
 おれは歓喜した。諦めていたが、どうやら昨日の雨は夕立と判断されたようだ。ようやく旅立つことができる。
 役人はおれの表情を見て、不思議そうな顔をした。
「嬉しいのか?」
「ああ」
 とおれは答えた。
「夕立の次の日に死にたいという、自分の願いが叶ったのだからな」
「そう思ってくれるなら、なによりだ」
 もちろん偶然だと知っている。だが、こんなクソだらけの人生に、ひとけからの希望が残されていたと信じるのも悪くはない。
 それがただ嬉しかった。
 絞首刑に処されるまで、あと数時間。

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