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【SS】齊藤想『隣の芝生は青い』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第46回)に応募した作品です。
テーマは「鏡」でした。

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『隣の芝生は青い』 齊藤想

「よう、元気か?」
 鏡の中の俺が声をかけてきた。ほほの肉は削げ落ち、目の周りには隈が這う表情は自分そのものだ。左手を上げれば鏡の中の自分も左手を上げるし、笑顔を作れば笑う。見た目は普通の鏡なのに、声だけが聞こえてくる。
「そんなことないぜ。お前はいたって正常だ」
 鏡の中の自分が、口を結んだままケタケタと笑う。精神の破滅が近いらしい。そう思いながら、奴隷のように職場へと向う。
 俺の会社はブラック企業として有名だ。土日出勤徹夜勤務は当たり前で、昨晩帰宅したのは一週間ぶりだ。
 上司の口癖は「仕事があるのは幸せなことだ」である。
 仕事をどんどん取るのに人は取らない。二十代前半で課長になれるが、裏返せば三十代まで体がもつ人間はほとんどいない。
 ひといきつけるのは、同僚と営業周りをするときぐらいだ。外出中も一時間ごとに報告が義務付けられているので、完全に安心ができるわけではない。
「最近なんだけど」と俺は営業車から降りると同僚に昨日のことを話した。車内はドライブレコーダーが回っているので、余計なことを口にできない。
「まだ、そんな段階か」
 同期は俺の悩みを笑い飛ばした。
「鏡の中の自分と会話を交わすなんてまだまだ甘い。早く入れ替わらないと、頭がおかしくなるぞ」
 話を聞く限りだと、同期の方が頭がおかしくなっているように思うが。
 俺の疑念を感じたのか、同期は人差し指を横に振った。
「鏡の自分と入れ替わるのはいいぞ。おれなんて現実世界に出てくるのは週一だから、こんなに元気というわけだ。あ、ちなみに今日は本物の田中だから安心してくれ」
 同期は鏡の中の自分と入れ替わる呪文を教えてくれた。会話ができるようになれば、壁を越えるのはあと少しだという。
 どうにも信じられない。そう思いながらも、気がついたら呪文をメモしていた。

「たまにはゆっくり休め」
 鏡の中の俺は、意気揚々と自宅を出た。鏡の中は意外と快適で、鏡だから当たり前かもしれないが、左右が逆であること以外は同じだった。好きなだけベッドで寝ることができるし、テレビを見ながらごろ寝もし放題。
 田中があんなに元気なのは、鏡の中で休んでいるからだと納得した。
 試しに家の外に出てみたら、左右が逆であること以外は現実世界と同じだった。空は快晴で、すがすがしい気持ちになる。
 十分に休んだところで、鏡の自分が戻ってきた。目に隈ができ、疲れた顔をしている。
「お前、よくこんな職場に耐えられるな」
「まあな」と休養十分の俺は余裕で答える。
「明日は変わってくれ。もう無理だ。鏡の世界に帰りたい」
「仕方がないなあ」
 俺は王様の気分だった。
 
 こうして、日替わりで現実と鏡の世界を行き来する日々が始まった。鏡の世界にも飽きてきたところで、試しに職場に向かったところ、いつもの上司も田中もいた。
「近頃、サボリ癖がついてきているじゃないか。今日は働いてもらうぞ」
「おいおい、ちょっと待て」
「なんだと、上司に口答えするのか」
 俺は首根っこをつかまれ、むりやりデスクに座らされた。明日もサボったら一晩中電話するぞ、との脅し文句とともに。

「今日は現実世界に戻させてくれ」
 俺は鏡の自分に懇願した。
「だいぶ慣れてきたのになあ。ずっと、こっちの世界にいてもいいぜ」
 鏡の中の俺は、ずいぶんと余裕をかましている。少しイラつく。
「お互いに元の世界に戻るだけだろ。何が問題あるんだ」
「はいはい、分かりましたよ」
 俺は現実世界に戻った。だが、やっぱり上司がいて調子の良い田中がいて、おまけに「近頃、サボリ癖がついてきているじゃないか」と脅された。慌てて鏡の世界に戻る。 

 あるとき、俺は思った。隣の芝生は青いというが、鏡の中と外も同じことなのかもしれない。
 それにしても、今日の俺がいるのは鏡の中の世界だろうか、それとも現実の世界だろうか。
 入れ替わりすぎて、俺には判断できなくなっていた。
 
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