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【掌編】齊藤想『ピンとキリ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第44回)に応募した作品です。
テーマは「ピン」でした。

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『ピンとキリ』 齊藤想
 
 杉本は同期である石田と、若手漫才コンビ「ピンとキリ」を組んでいる。漫才師としては駆け出しだが、相方である石田がときおりTVに登場するようになったこともあり、杉本には徐々に注目度が増している実感があった。
 「ピンとキリ」が小さな地方公民館で漫才を披露して舞台の袖に戻ると、いつもは現場にこないマージャーが、満面の笑みで二人を待ち構えていた。
 相方の石田は少しモジモジとしている。杉本は嫌な予感がした。空調が足りず、額から汗を掻いているマネージャーが、いかにも期待しているといった感じで石田の肩を大げさに叩いた。
「今日から君はピンだ」
 とまどう杉本に対しては、マネージャーはおざなりに左肩に触れただけだった。
「ということで、杉本君は単なるキリだ」
「それはどういう意味ですか」
 半分以上は石田に向けて投げかけたのだが、答えたのはマネージャーだった。
「決まっているじゃないか。”ピンとキリ”は本日をもって解散し、お互いにピン芸人の道を歩むのだ。ピンだった石田はピンとして、キリだった杉本はキリとして活動してもらう。ピン芸人のピンなんて、面白いじゃないか」
「ちょっと」と杉本は抗議したが、無駄であることは、相方の表情を見て悟った。人気が出てからのコンビ解消はともかく、名前が売れる前にそれぞれの道を歩むなんて、捨てられるにしても情けなさすぎる。
 確かにネタを作るのも人気も石田だ。事務所としても、限られた仕事と稼ぎを分配するのに、実力も将来性もないタレントは邪魔なのだろう。マネージャーの脂ぎった顔を通じて、社長の本音がにじみ出る。
「ピンとキリがどちらが上なんて、まあ、あってないようなものだ。この言葉はずいぶんと歴史があって、室町時代はキリが上でピンが下だった。それが逆転したのは江戸時代のことだ。それから昭和になって、”いろいろな”、という意味が加わった。これから二人が活躍すれば、ピンキリに新しい意味が加わるかもしれない。うん、そうだ。君たちならできる。二人の力で辞書を書き換えてくれたまえ。わっはっは」
 マネージャーの作られた笑い声が、杉本には不愉快だった。

 杉本がアパートに帰ると、彼女である加藤詩織がとんかつを揚げていた。将来は結婚を意識しているが、まだ彼女を養えるだけの甲斐性はない。それどころか、貿易事務で働いている詩織に食べさせてもらっている。
「今日のライブはどうだった?」
 一枚目のとんかつが揚った。とんかつを挟んだ箸の隙間から、新鮮な油がゆっくりと鍋に落ちていく。
「まあまあ、かなあ」
 杉本はあいまいに返答した。実質的に首宣告されたなんて、口に出せない。
 再び台所からは油のはねる音が聞こえてくる。しばらく無言。二枚目のとんかつも完成。テーブルに料理が並べられる。なんとなく重苦しい食卓。
「私ねえ」と詩織が口を開く。「仕事辞めようなあ」
 最悪だ、と杉本は思った。このままだと二人で無職だ。結婚どころから明日の生活費すらままならない。だが、自分の夢のために、いつまでも詩織に甘えてもよいか。杉本はとんかつの脂をかみしめながら葛藤した。
 芸人は才能の世界だ。いくら頑張っても、ダメな芸人はダメなのだ。所詮、キリはキリだ。芸人生活はもう潮時ではないのか。
「この豚肉、とっても安いの。ピンキリだったらキリの方。だけど、とってもおいしいと思わない?」
 杉本はうなずく。マネージャーのうんちくが頭をよぎる。
「どっちがピンでどっちがキリだなんて、だれが決めるのかしらね。キリならキリでいいじゃない。私は職場ではキリだけど、独立して会社を興そうと思うの。比べるひとがいかなくなれば、ピンもキリもないからね」
 詩織は杉本のことを親よりも理解している。芸人としての実力も、将来性も。その上で、呼びかけているのだ。
「おれ、芸人から足を洗って手伝うよ」
 キリの語源は大正かるただが、キリは王様を意味する。キリだから社長になるのは、ある意味で正しい。
 しかし、詩織は小さく首を横に振った。
「直幸はそのままでいいの。芸人として頑張ってくれたら。その代わり、いつか、わが社の広告に格安で出演してね」
 杉本はとんかつの最後のひときれをかみしめた。
 何よりも大切なひとのために、自分は何をすべきなのか。
 杉本は石田とマネージャーの顔を思い浮かべながら、思考の海に引き込まれた。

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