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【掌編】齊藤想『レンタル和尚』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第42回)に応募した作品です。
テーマは「彼岸」でした。

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『レンタル和尚』 齊藤想

 暦の上では秋なのに、残暑が厳しいな、と慶念は思った。「暑さ寒さも彼岸まで」という諺は地球温暖化が進んだ今日では通用しない。9月も後半になろうというのに生き残っているセミが、やかましく鳴き続けている。
「このたびは本当にありがとうございます」
 和服を着た淑女が丁寧にお辞儀をした。年頃は八十手前ぐらだろうか。白髪が下げながら、奥ゆかしくお布施を差し出してくる。慶念は夏用の袈裟を身にまとっているが、それでも全身から汗が噴き出してくる。早く車に戻って、冷房を全開にしたかった。
 慶念は定額制のレンタル和尚だ。依頼者が金額に後ろめたさを感じる必要はない。予約もインターネット。顔を合わせるのは法要の最中のみ。慶念は仕事として、和尚を選択した。それ以上でもそれ以下でもない。
「これはどうもありがとうございます」
 慶念は両手を合わせ、宗教家らしい仕草を見せながら、お布施をいただく。これも仕事のひとつだ。
「ところで慶念さん」
 お膳の招待だろう。慶念は断ることにしている。そのことはHPでも明記している。「依頼者のご負担を……」とかもっともらしいことを書いているが、本当の理由は数をこなしたいからだ。あらゆる分野に価格破壊が進んだ現代社会では、法要も数をこなさなくては稼げない。人間は裏切るが銀行預金は裏切らない。それが慶念の信念であり、哲学であった。
 もちろん、この薄利多売は同業者の恨みを買った。「金に汚い」「守銭奴」「生臭坊主」などつけられたあだ名は数知れない。もはや自分の異名がいくつあるか数えきれない。どの坊主も口では立派なことを言っていても、ひとかわ剥けば欲にまみれた同じ人間なのだ。
「お心遣いはありがたいのですが、次がありますので」
 慶念はいつもの切り口上を述べながら、車のキーを懐からだす。日差しの厳しい玄関先で会話を交わすのは極力避けたい。そう思っていたが、依頼者は一方的に会話を続ける。
「ところで、慶念さんは真厳さんのご子息様ですよね」
 慶念の体に錐のような電気が走った。HPには経歴を一切書いていない。それなのに、なぜ、その名前を知っている。
「真厳さんはたくさんの借金を背負われて、残念なことになったと聞いています。なにしろ、弟子がこさえた借金を肩代わりなさり、大変苦しまれたと」
 慶念はだまってうつむいた。様々な記憶が蘇る。大きく首を振った。
「その名前は知りません。人違いでしょう」
「そうですか」依頼人は残念そうに首を横に振った。「失礼なことを申しました。いま私が話したことは忘れてください」
「そうします」
 慶念は軽自動車に乗り込んだ。残り僅かな人生を楽しむセミたちは、ますます盛んに鳴き続けていた。

 慶念の自宅はアパートの一室だ。寺は持っていないし、必要もない。法具を脱ぎ去ると、メールを開き、仕事の依頼をチェックする。山のような誹謗中傷にはもう慣れた。ゴミの山のような受信箱から、探していたメールを拾い上げる。
「まだ生きています」
 月1回の定期報告だ。真厳らしく、完結で、必要最低限の言葉しかない。
 師匠の借金を返し終わるまであと少し。
 真厳はカジノにはまり、借金を重ねたあげく「弟子の借金を背負った」と嘘をついて逐電した。残された家族は寺を売り、家を売り、無一文になって路頭に迷った。借金取りは弟子の慶念のもとに押しかけ、慶念は師匠の養子になっていたこともあり、子供の義務だと割り切って払い続けている。
 坊主だって失敗するし、後悔もする。だからひとを許せる。過去を水に流せる。慶念だって、パチンコで身を崩し、無一文で路頭を迷っていたとき真厳に拾われたのだ。師匠から最低限の教育を受けたおかげで、こうして和尚として生活できている。
 坊主だって人間なのだ。助け、助けられて生きている。
 今日はお彼岸だ。実は師匠はすでに死んでいて、あのメールは来世からの私信ではないか。そのようなことを、ふと慶念は思った。

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