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【掌編】齊藤想『ゴチソウ』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第39回)に応募した作品です。
テーマは「穴」でした。

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『ゴチソウ』 齊藤想

 診察室のドアが開く。
 不安そうな小さな顔が覗く。少女は母親の手を硬く握りしめている。母親に促されて丸椅子に座る。両足はまだ床に届かない。
「大丈夫だよ、安心して、眼を閉じて。それではお話を聞かせてもらえるかな」
 ここは心療内科クリニック。診療を続けていくうちに、いつしか、私は心の穴を覗くことができるようになっていた。心の闇を直接触ることができるのだ。
 いつものように優しい言葉を投げかけながら、少女の緊張をほぐしていく。心の穴を探る前の準備作業だ。
 精神病の原因は心の穴にある。治療方針は心の穴を埋めること。だれもが楽しい思い出を持っている。そうした思い出を記憶の底から探り出し、心の穴を塞ぐ。そうすれば、子供は見違えるように元気になる。
 少女の心を探ったところ、いじめの原因は些細なものだった。友人の万引き行為を教師に告げ口したと疑われたのだ。もちろん悪いのは万引きをした友人だ。それなのに、少女が経済的に恵まれていることへの嫉妬が混ざり、陰湿ないじめに繋がった。
 もちろん少女は告げ口をするようなタイプではない。専門家として断言できる。
 目の前の少女も、徐々に心がほぐれてきたようだ。いじめが始まるまでは円滑な学校生活を送っており、家族関係も良好。心の穴を埋める思い出はたくさんある。心因的な症状も、一時的なものだと判断できた。
 作業は簡単に終わった。催眠状態にあった少女を起こしながら、母親と少女にアドバイスをする。
「楽しくなるような思い出を、たくさん供給してあげてください」
親子は「ハイ」と元気な返事をした。
 しかし、今日の患者は変わっていた。暗い表情をした年は、施設のスタッフに連れられてきた。その様子は警戒しているようでもあり、怯えているようでもあった。
「今日の気分はどうかな」
 少年は答えない。スタッフが何度か返事を施すと、小さな声で「ベツニ」と答えた。
 これは時間がかかりそうだ。問診票を読むと、彼は幼いころに両親に捨てられ、施設で育てられていると書いてある。里親が見つかったこともあったが、少年の心を開かせることができず、施設に戻されるということを繰り返しているらしい。
 私はカルテを机の上に置きながら、他愛のない質問を繰り返した。名前とか、好きな食べ物とか、最近見たテレビとか。
 少年の答えは全て「ベツニ」だった。
「いつもこのような感じなのです。良い薬があればよいのですが」
 少年を預かっている施設のスタッフは、いかにも困っている表情をした。
 私は少年に催眠術を施すと、心を覗きこんだ。驚いたことに、少年の心には巨大な穴が開いている。というより、少年の心は穴そのものだった。
「薬を必要とする病気ではありません」
 少年の表情は変わらない。ここまで少年の心を奪った原因は何か。私はスタッフを疑った。
「またきます」
 私の視線に耐えられなくなったのか、スタッフは少年を連れて診療所を後にした。
 少年は月1回のペースで来院した。少年の治療は難航した。心の穴を埋めるような思い出がなく、彼の心は洞だった。
 私は毎回彼の心の奥底まで手を突っ込み、何か手がかりはないかと探り続けた。
 しかし、全ては徒労だった。彼の心には何もない。
「ベツニ」
 少年の声が耳に響く。
 ついに私は最後の手段を取ることにした。彼の心の穴を埋めるために、自らの思い出を少年に移植するのだ。
「今日はいつもと違う治療をしよう」
 私は少年に優しく声をかけた。少年はわずかに顔を上げた。興味を引いたようだ。
「少し目を閉じてごらん。いつもより、ゆっくりと、ゆっくりと」
 強い催眠術を前にして、施設のスタッフは船をこぎ始めた。少年の眼は冷めている。それでも続けるしかない。私は自分の心を手で掬い取ると、少年の心の穴に貼り付け続けた。初めはゆっくり、徐々にペースを上げていく。
 最後のひと掬いを少年の心に埋める。まるでパズルのピースのように、綺麗にはまる。
 治療は終わった。疲労感が私を包み込む。少年の心は思いのほか広く、私の心にぽっかりと穴が開いてしまった。いわゆる気の抜けた状態だ。
「気分はどうかな」
 私の問いかけに、少年は笑った。
「ゴチソウサン」

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