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【掌編】齊藤想『一打席』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第30回)に応募した作品です。
テーマは「花火」でした。

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『一打席』 齊藤想

 小沢弾道は、なぜ自分がプロ入りできたかも分からなかった。
 甲子園には三年間を通じて縁が無く、実績といったらプロ入り確実と噂された強豪校のエース左腕から地区予選でホームランを打ったぐらいだ。
 もちろんまぐれ当たりで、あとの三打席は完璧に抑えられた。チームも負けた。
 高校三年生のとき、冗談のようにプロ志望届けを出したら育成選手として拾われた。いわば三軍のような扱いだ。
 プロ入りした小沢は、コーチから奇妙な指示を与えられた。
「他の練習はしなくてよい。左腕のスライダーを打つ練習をひたすらしなさい」
 強豪高のエースから放った弾道を、ひたすら思い出すかのような練習だった。
 しかし、同じ練習を三年続けていると、さすがに焦りがでる。育成選手の契約期間は三年間だ。再契約も可能とはいえ、ひとつの目安であることは間違いない。
 それがシーズン終盤になり支配下選手登録、簡単に言うと二軍に昇格し、日本シリーズ直前に一軍と帯同することになった。
 プロ入りしたときと同じく、小沢にはなぜ一軍になったのか分からなかった。
 監督のサプライズ人選に注目されるかと思ったら、記者会見で監督は「まあ、一芸に秀でているから、使う機会もあるでしょう」とそっけないものだった。
 無口な監督は、ときおり意表をつく選手起用をする。引退直前のピッチャーを開幕投手に起用したり、一人一回、九人の継投で完封勝ちしたこともある。また監督の気まぐれかと記者たちも思ったとだろう。
 それにしても、なぜ小沢なのか、自分でも分からなかった。

 日本シリーズは一進一退の攻防が続いた。
 チームが勝利を挙げると、相手チームが取り返す。オセロのような展開に一喜一憂しながらついに第七戦にまでたどり着いた。
 この試合に勝てば優勝だ。もちろん小沢に出番は無い。
 大一番に先発として起用されたのは、両チームともローテーション通り三番手投手だった。シーズン最後の試合なので、両エースも準備を怠らない。
 試合はいままでの疲労が蓄積されたかのような乱打戦となり、六回終わって七対七の同点だった。
 寡黙な監督がコーチに何事かつぶやいた。うなずいたコーチが小沢に声をかける。
「いまから振っておけ」
 代打の準備だ。一軍経験が皆無な小沢に声がかかる理由が分からない。
 小沢は日本シリーズになって急に呼ばれた監督の意図を、主力選手へのあてつけだろうと思っていた。油断していると試合に出れなくなるぞという警告だと感じていた。
 だから、本当に出番がくるとは思っていなかった。
 最終回になった。チームは一点を追いかける展開だった。最終回のマウンドに立つのは相手チームのエース。三年前に地区予選でホームランを放った、強豪高の左腕だ。
 彼は野球エリートらしく、入団二年目から活躍していた。
 四球でランナーがひとり出たところで、小沢が呼ばれた。監督が直々に声をかける。
「三球目のスライダーを振りぬけ」
 初めて生で聞く監督の声だった。感動で体が震える。
 そこから先は、夢見心地だった。直球が続けてボールとなり、ストライクを取りにきた三球目を振りぬくと、まるで高校時代のように、綺麗にレフトスタンドに飛び込むサヨナラホームランとなった。
 歓喜の渦。チームメイトからの手荒い祝福。
 そして、小沢のプロ生活はこの一打席で終わった。
 小沢が育成選手で登録されたのも、ずっと同じ練習を続けたのも、日本シリーズ直前で一軍に登録されたのも、すべてはこの一打席のためだった。
「同じ作戦は二度と通用せん」
 監督はそう言ったそうだが、小沢には悔いは無かった。
 ほどなくして引退した小沢は、自分のプロ野球生活を振り返った。
 自分はまるで花火だ。リトルリーグに入団した小学一年生から、一振りのために、十五年間も努力を重ねてきたようなものだ。
 小沢は思う。もし、小学一年生のとき、未来を告げられていたら、野球を続けていただろうか。と聞かれたらどう答えるだろうか。
 答えはもちろん「YES」だ。一瞬の輝きは、何によりも美しいものだから。

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