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【掌編】齊藤想『傘職人』 [自作ショートショート]

TO-BE小説工房(第29回)に応募した作品です。
テーマは「かさ」でした。

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『傘職人』 齊藤想

 「武士は食わねど高楊枝」という言葉がある。武士たるもの貧しくとも堂々とせねばならぬという気高き魂を唄ったものだ。しかし、父上は食うためにひたすら傘貼りの内職をしている。
 六畳長屋に並ぶ傘たちをみると、清太郎は「これは内職ではなく本職だ」と思わざるを得ない。そもそも父は旗本の身分も売り払ってしまい、形式上は武士だが、実質的には町民と同じ生活をしている。
 身分売買の仕組みは簡単だ。金銭を受け取る代わりに成金どもの息子を養子として迎え入れ、本人は隠居届を出してひっこむ。これで売買完了だ。
 いまや父は憐憫の情をもって高利貸しからあてがわれた長屋の一部屋で、ほそぼそと傘貼りの内職にいそしんでいる。
「おい清五郎」
 先祖代々の屋敷を失った父が言った。「ちょっと傘を外にだしといてくれ」
 清五郎は情けなく思った。祖先は名もない足軽だったが、大阪の陣で先陣を切って槍をふるい、夏の陣では城内になだれ込み名のある将を打ち取った。
 その功績で旗本に抜擢され、長年家禄を守り続けていたのに、父といったら生来のずぼらさが災いしてまともな役目につけず、いつしか蓄えを食いつぶし、ついには武士の身分も失ってしまった。
「この傘はきれいだとはおもわんか」
 父は狭い長屋で一本の傘を開いた。四畳一間の長屋暮らしで、室内で傘を開くのは危険極まりない。頭を払われそうになった母が露骨に顔をしかめた。
「骨ごとに違う和紙を張り合わせた。江戸っ子は派手好きだ。こういうのを店先に出せば売れるとおもわんか」
 清五郎は軽蔑のこもった目で、父を見返した。浦賀には黒船が来襲し、寺小屋仲間だった為助の父は二本刺しを抱えて海岸まで走ったというのに。
「商人の下請けだけではだめだ。わしは自分の力で一旗揚げて、儲けたいのだ」
「父上」
 あまりの浅ましさに、清五郎の声は鋭くなった。もはや父ではないと思った。
 清五郎は刀をもって立ち上がった。拵えは立派だが、中身は竹光だ。本物はとうの昔に質流れしている。
「どこへ行くのだ」
 浦賀に決まっている。
「外に出たついでに傘を開いて並べてくれ。売り物だから丁寧に扱うのだぞ」
 清五郎は返事の代わりに新品の傘を蹴飛ばして、黒船へと向かった。

 浦賀では散々だった。
 幕府の役人にまるで浮浪者のように追い立てられた。黒煙を吐く巨大な船に恐れおののいた幕府は、アメリカの小役人相手に土下座をするようにして開国が決定された。
 日本はめまぐるしく動いた。清五郎は長屋に戻ることはなく、尊王攘夷を叫び、志士として刀を振るい続けた。
 父のことは一度だけ外国人居留地で見かけた。例の派手な傘を売り歩いていた。青目鬼どもは喜んでいたようだった。
 清五郎は、まるで女形のように柳腰で頭を下げる父を見て、情けなくて涙が出た。
 時代は容赦なく流れていく。薩摩と長州が蜂起し、鳥羽伏見の戦いで惨敗した幕府は戦うことなく江戸城は明け渡し、北へと続く戊辰戦争もほどなく終結した。
 清五郎は志士仲間が起こした会社に就職し、商社のまねごとのような仕事を始めた。食べるためには理念を横に置いておくしかなかった。

 江戸は過ぎ去り、矢田挿雲の江戸を懐かしむエッセーが好評を博すようになった。
 何十年ぶりに実家にもどると、父はまだ生きていた。ざんばり頭になった息子の顔を見て「変わったものよのう」とただひとことつぶやいただけだった。
 清五郎は確信した。父は知っていた。まもなく幕府が崩壊し、商人の世が来ることを。
 「父上」背中に声をかけても、父の手の動きは止まらない。
「教えてください。侍の時代が終わると、いつ気が付いたのですか」
 父はしばし何かを考えるような姿をした。
「昔しすぎて忘れてもうた。ただ、ひとに喜ばれる仕事をしたくてのう」
 それだけいうと、職人の顔に戻った。もう武士の面影は一厘も残っていない。
 清五郎は過ぎ去った時代を懐かしみながらも、父の選択は正しかったのかもしれないとぼやけた頭で思い始めていた。

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