【書評】早坂隆『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』 [書評]
陸軍の至宝とまで言われた永田鉄山の評伝です。
永田鉄山は明治17年に長野県諏訪市で誕生しました。
その後、陸大まで進み、基本的に軍政畑を歩んでいきます。
昭和初期の陸軍には大きな派閥抗争がありました。軍隊としての統制を重視する統制派と、非合法的な手段をとっても改革を目指す皇道派です。
永田は統制派の代表的な立場となり、暴走する陸軍を抑えるのに四苦八苦します。
この当時の問題として、在留中国における日本人保護と農村の疲弊がありました。中国ではたびたび日本人殺害事件が起きていますが、中国政府は犯罪者をかくまう始末です。
永田鉄山は中国に対しては不拡大方針を取り、クーデターにおいては厳しい対応を取ったため、皇道派からの恨みを買います。
最後は永田を攻撃するためにまかれた怪文書を真に受けた相沢中佐に執務中に斬られて絶命します。
もし永田鉄山が生きていたら、陸大でも東条英機のひとつ上で立場的にも強かったので、おそらくは陸軍大臣となり日本軍の暴走を多少なりとも押さえられたかもしれません。
とはいえ、あれだけ日本人が殺され続けて、出兵を抑えるというのは、現実的には難しかったのかもしれませんが。
一部分に偏らず昭和初期の流れが分かりやすくまとめられており、当時の状況を知ることができる良著だと思います。
永田鉄山について知りたいひとのために!
永田鉄山は明治17年に長野県諏訪市で誕生しました。
その後、陸大まで進み、基本的に軍政畑を歩んでいきます。
昭和初期の陸軍には大きな派閥抗争がありました。軍隊としての統制を重視する統制派と、非合法的な手段をとっても改革を目指す皇道派です。
永田は統制派の代表的な立場となり、暴走する陸軍を抑えるのに四苦八苦します。
この当時の問題として、在留中国における日本人保護と農村の疲弊がありました。中国ではたびたび日本人殺害事件が起きていますが、中国政府は犯罪者をかくまう始末です。
永田鉄山は中国に対しては不拡大方針を取り、クーデターにおいては厳しい対応を取ったため、皇道派からの恨みを買います。
最後は永田を攻撃するためにまかれた怪文書を真に受けた相沢中佐に執務中に斬られて絶命します。
もし永田鉄山が生きていたら、陸大でも東条英機のひとつ上で立場的にも強かったので、おそらくは陸軍大臣となり日本軍の暴走を多少なりとも押さえられたかもしれません。
とはいえ、あれだけ日本人が殺され続けて、出兵を抑えるというのは、現実的には難しかったのかもしれませんが。
一部分に偏らず昭和初期の流れが分かりやすくまとめられており、当時の状況を知ることができる良著だと思います。
永田鉄山について知りたいひとのために!
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