SSブログ

【短編】齊藤想『冬の手品師』 [自作ショートショート]

14年前に「ゆきのまち幻想文学賞」に応募した作品です。
いやはや、なつかしい。

―――――

『冬の手品師』 齊藤想

 多香子は、高校の校門を出たところで、頬に冷たい物が当たるのに気がついた。空を見上げると、灰色の空に白い粒がちらつき始めている。初雪だ。
 処女雪を頬で受け止めるていると、多香子は右手を強く引かれるのを感じた。クラスメイトの理奈だ。
「ね、ね、初雪だよ。今日は冬の魔法使いがやってくる日だよ。去年の初雪の日に約束したから、絶対にいるはずだよ」
 この町には、初雪の日にだけ現れる謎の手品師がいる。それを、理奈は魔法使いと信じている。もちろん、魔法と信じているのは理奈だけだ。
「あれは魔法じゃなくて手品なの。理奈は、クリスマスになると、いまだにわくわくしながら枕元に靴下をぶら下げるひとでしょ」
「別にワクワクしたっていいじゃない。多香子がなんと言おうと、あの人は手品じゃなくて魔法なの。じゃあ、先に行くから」
「ちょっと待ってよ!」
 理奈は多香子の手を離すと、一気に走り始めた。理奈は陸上部で短距離の選手だ。あの猛練習は、この日のためではないかと思うほど早い。多香子は呆れながら、自分のペースで理奈の後を追いかけた。
 多香子が駅前の広場に到着すると、いつもの手品師は、手品の準備をしているところだった。道行く人がコートの中で縮こまって歩いているのに、彼はしわ一つ無い燕尾服を着こなし、背筋を伸ばして黙々とテーブルを組み立てている。すでに陽は大きく傾き、うっすらと雪が積もり始めている。
 ようやく、多香子の息が整った。
「いくらなんでも、そこまで本気をだすことはないじゃない」
 多香子も運動部だ。だが、足の速さでは理奈にかなわない。
「ごめんごめん。後であったかい飲み物おごってあげるから」
「面白くなかったら缶ジュース二本ね。コーヒーにココア」
「了解!」
 口を尖らす多香子に、理奈は元気な敬礼で返した。
 手品の準備ができたようだ。手品師は組み立てたばかりのテーブルの前で、深いお辞儀をした。観客は、スーツを着た男性や大学生風のカップルなど、二十人ほどに膨れ上がっている。
 燕尾服の紳士は周囲をゆっくりと見渡すと、両手を薄暗くなった空にそっと持ち上げた。白い手袋をはめた指が交差した瞬間に、どこからともなくカードが現れた。バネのような指先でカードを弾くと、そのたびに新しいカードが現れては宙を舞う。背景の模様に雪の結晶をかたどったあの人独自のカードだ。不思議なことに、このカードはいつの間にかに消えてしまう。これも、理奈が彼を魔法使いと信じる理由の一つだ。
 手品師は観客の反応を楽しむように見回すと、今度は机から握り拳大の氷を取り出した。彼が力をこめて手をかざすと、氷は豆の木が成長するかのように伸びていく。杖ほどの高さになったところで彼が手を伸ばすと、その透明な塊は氷であることを証明するかのように凍りついたアスファルトの上でくだけた。
「みてみて、本当にすごいでしょ」
「こんなの簡単なトリックよ。カードは隙を見て裾やポケットから取り出して手の甲に隠し、あとは手を振るタイミングに合わせて観客に見せているだけ。氷が大きくなるのも、角度を変えれば簡単よ。あの机が丁度良い目隠しになっているの。なぜ、彼が手や腕を大げさに動かしたりする必要があるのか分かる? 一瞬の不自然な動作を隠すためのカモフラージュなの。あの手袋だって、手を大きくするための道具なのよ」
「それじゃあ、なぜ飛ばしたカードがなくなるの? なぜあの人が手を伸ばしただけで氷が砕けるの?」
「それは……何か仕掛けがあるのよ」
 その言葉を聞いた理奈が、勝ち誇ったように胸を張る。
「分からないのなら黙ってみてなさいよ。素直に魔法を楽しみなさい」
「私は理奈に付き合っているだけだもん」
 多香子はコートの襟を立て、亀のように首を隠した。二人の会話が聞こえたのか、手品師は理奈と多香子に軽くウインクをすると、繊細な指で袖口をつまんで肘まで捲り上げ、手袋も燕尾服にしまいこんだ。彼の腕はガラスのように白く、子供のように細かった。
 手品師は手のひらの美しさを自慢するように両手を観客に見せると、そのまま手のひらを合わせて口元で拝むような仕草をした。そして軽く手を膨らませると、指の隙間から白い粒があふれ出した。それは、点灯したばかりの外灯の光を反射して滝のように輝き、どことなく驚きの声が上がった。まさに魔法だった。彼が両手を空に突き上げると、残りの白い粉が勢いよく飛び散る。多香子が白い粒を受け取ると、ひんやりとした感触と共に水に戻った。
「見てみて! これは雪の結晶よ。多香子もこんな手品みたことないでしょ」
 多香子はしばらく目を丸くしていたが、おもむろに口を開いた。
「今度こそネタが分かったわ。あの人の口元を見なさいよ。こんなに寒いのに、息が白くなっていないじゃない。これは映画なんかでよく使われるテクニックなんだけど、冷たいものを口に含むと息が白くならないの。これこそ、口の中に雪を隠している証拠よ」
 理奈は多香子の袖を引いた。
「いくらなんでもそれは無理じゃないの。唾液で溶けちゃうわよ」
「それくらい何か道具を使えば防げるわよ」
 理奈は黙り込んだ。理奈も口元で拝む仕草に不自然さを感じていたのかもしれない。多香子はようやく勝った、と思いながら、同時に悲しくなった。いった私は何をしているのだろうか。誰のために、何のために、戦っているのだろうか。
 手品師は、両手を広げたまま、観客の反応を確かめていた。人壁の中で違う雰囲気を感じたのか、多香子と理奈の前で視線が止まった。彼は理奈を見ると、少し眉をひそめて悲しそうな顔をした。理奈は制服を包むコートの裾を両手で閉じた。その姿を見た多香子は、激しい後悔に襲われた。自分が理奈の夢を壊したのだ。
 彼は、頭が地面につくほど深いお辞儀をした。
「次が最後の手品になります」
 多香子は初めて彼の声を聞いた。冷え切った空気に合う、高くて澄んだ声だった。
 手品師は上着を脱ぐと、肩口を持って顔を隠すように掲げた。そのまま上下させて仰ぐと、彼が雪雲になったかのように、際限なく白い結晶が飛び出してきた。雪の帯が燕尾服の紳士を中心に広がっていき、それは瞬く間に観客達を飲み込んでいく。
 多香子は目を丸くした。理奈も呆然としている。観客から自然と上がった歓声が彼を包み、その中に二人の声も含まれていた。
 彼は上着で仰ぐ速度を増していった。風が粉雪を吸い上げ、桜吹雪のように散らす。
「それ!」
 手品師の掛け声が響き渡るのと同時に、上着が宙を舞った。後には何も残らなかった。

 多香子は目の前で起きたことが信じられず、今まで人間が立っていたはずの場所に駆け寄った。多香子は観客達に聞いてみたが、全員が首を横にふった。もしかして地面に隠れているのかと思い、つま先でアスファルトを叩いてみた。もちろん、ただのアスファルトだった。彼が投げ捨てた上着も、あったはずの机も、忽然と消えていた。多香子は理奈に何度も手品のタネを聞かれたが、ひとつも答えることができなかった。
 
 次の日、登校前に多香子は寄り道をして、冬の魔法使いがいた広場に向かった。同じ事を考えていたのか、先客として理奈がいた。すでに雪は溶け、地面が濡れた跡すら残っていない。
「やっぱり魔法だったでしょ?」
 理奈はそう言った。その言葉を聴いた瞬間、多香子は胃から鉛が抜け出たような安堵感に包まれた。
「それにしても不思議だなあ。まさか地面に隠れるわけないし、上着を上下させるところに秘密があることは分かっているけど」
 多香子はいつもの強がりを言った。けど、これが単なる強がりであることは理奈も理解している。雲ひとつ無い青空で、雪は降りそうに無い。
「きっとあの人は雪の化身だったのよ。だからいくらでも雪を出せるし、息も白くならない。最後の魔法だって、あの人は雪に戻っただけなんだわ」
 多香子はお腹を抱えて笑った。理奈の幼稚さを嘲る笑いではない。心から嬉しいのだ。
「理奈はすぐ夢を見るんだから。もっとも、それが理奈のいいところなんだけどね」
 多香子はお姉さんのように理奈のおでこを小突いて、理奈の腕を引く。
「こんなところでぼやぼやしていると遅刻するよ。宿題は来年に持ち越しだね」
 多香子は理奈の腕を引いた。今年はあと何回雪が降るだろうか。たくさん降ればいいな。幼い頃と比べてめっきり雪が降る回数の減った冬空を見ながら、多香子はそう願った。

―――――

この作品を題材として、創作に役立つミニ知識をメルマガで公開しています。
無料ですので、ぜひとも登録を!

【サイトーマガジン】
http://www.arasuji.com/saitomagazine.html
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。